艤装品の表現 その5「救命浮環」
海上自衛隊では、浮き輪のことを浮環(ふかん)と呼ぶ。
「救命浮環」とは、溺者救助用の浮き輪のことである。
艦船模型を作る上で、カラフルな救命浮環はグレー基調の船体にあって良いアクセントになるため、再現している作品も多い。
以前は自作するしかなかったが、最近はエッチングパーツのみならずキットパーツにモールドされていたりと、ぐっと身近な存在になってきた。
しかし、その塗色や付属品についてはまだ余り知られておらず、また、艦これのせいで誤ったイメージが定着しようとしている。
というわけで、第5回は救命浮環について掘り下げる。
「救命浮環」とは、溺者救助用の浮き輪のことである。
艦船模型を作る上で、カラフルな救命浮環はグレー基調の船体にあって良いアクセントになるため、再現している作品も多い。
以前は自作するしかなかったが、最近はエッチングパーツのみならずキットパーツにモールドされていたりと、ぐっと身近な存在になってきた。
しかし、その塗色や付属品についてはまだ余り知られておらず、また、艦これのせいで誤ったイメージが定着しようとしている。
というわけで、第5回は救命浮環について掘り下げる。
(大和ミュージアム 1/10 戦艦大和)
日本海軍では救命浮標と呼び、コルクを綿布で覆ったものに防水塗料が塗られていた。
塗色は、円周を8等分して白色と赤色に塗り分けている。(十字ラインではなく扇型)
艦これから入った人には、連装砲ちゃんでお馴染みだろうと思う。
防水塗料ということで、ツヤあり塗装だったと考えられる。
ただし、明治期は白一色だったようで、紅白塗装となったのは大正期からである。
切り替わった正確な時期は不明ながら、明治41年の「白い浮標」と明治45年(大正元年)の「紅白の浮標」の写真が確認できたので、明治42年〜44年の間であろうと推測される。
従って、戦艦三笠など日露戦役艦を作る場合は注意を要する。(明治期に建造された艦船も、大正以降は紅白塗装に統一)
また、連装砲ちゃんの「ぜかまし」がすっかり有名になってしまったが、実際には救命浮標に艦名表記はない。
現用艦に見られるような救命浮環番号もなく、紅白の塗色のみである。
装備方法は、構造物設置のものは3本爪のラックに引っ掛けるだけであるが、舷側装備のものは写真のようなカゴ状の遠隔投下装置に格納され、索を引くと遠隔操作で投入することがてきた。
(護衛艦はまぎり)
現在の自衛艦が使用する救命浮環は、船舶救命設備規則(運輸省令)で「非常に見やすい色であること」「搭載する船舶の船名及び船籍港を表記すること」が謳われている。
色は「救命浮環用ペイント」というそのものズバリなペンキで塗られているが、これはSOLAS条約でも指定されているインターナショナルオレンジに類似した色である。(インターナショナルオレンジより若干赤みが弱い)
材質は、発泡ポリエチレンと思われる。
表記については上段に艦種、下段に艦名、左右に救命浮環番号が白字で記されている。
救命浮環番号は、艦上の高い所から順に、及び前から後ろへ順に振られているので、ほとんどの自衛艦は艦橋右舷が「1」である。
写真のものは、艦橋左舷であるため「2」が振られている。
救命浮環の左にあるのは「O旗(溺者発生を表す国際信号旗)」を付加したブイ、右にあるのは自己点火灯と言い、海面に落下すると自動的に点灯する救難信号灯である。
ブイと自己点火灯は、浮環の救命索に索で結ばれて1セットになっているが、その格納方法は各艦ごと、また装備場所ごとに異なる。
(護衛艦あきづき(初代) 丸スペシャルから引用)
前述の船舶救命設備規則は昭和40年の施行であるため、それ以前に建造された自衛艦についてはこの限りではない。
従って、ピットロード社が鋭意製品化中の1次防艦や2次防初期の自衛艦の救命浮環を、橙色に塗るのは誤りである。
初期の自衛艦は、白地に細い赤ラインが十字状に入ったもので、上段に艦種、下段に艦名、右に錨マーク、左に救命浮環番号が黒字で表記されている。
救命浮環番号は装備甲板に関わらず艦首から順番に振っているようで、あきづき型では51番砲ブルワークに装備された救命浮環に「1」「2」「3」が記されている。
ただし、この救命浮環が使用されたのは昭和44年までで、それ以降は既成艦も新造艦も橙色のものが搭載されている。
この昭和44年と言えば、「艦船の塗粧及び着標に関する訓令」が改定され、かつ「艦船の塗粧及び着標に関する達」が新たに施行された年であり、自衛艦の舷側から艦名標記が消えた年である。
しかし、同訓令にも達にも救命具に対する塗色指示はされておらず、直接の関係は確認できなかった。
(駆逐艦マキャンベル)
おまけで、海外艦艇も一つ。
写真は米海軍のイージス駆逐艦の救命浮環である。
典型的なインターナショナルオレンジの浮環に十字状に反射材が貼られ、艦名と艦番号は黒字で標記されている。
同じ橙色とは言え、一見して自衛艦のものとは印象が異なる。
実は、世界的にはこっちのスタイルが一般的で、確認できただけでも、米、露、英、伊、スペイン、トルコ、ベルギー、中国の各海軍が採用している他、商船や客船、海上保安庁の巡視船もこの反射材付きの救命浮環を使用している。
ただし、前述の通り商船や巡視船では、上段に船名・下段に船籍港を表示しなければならない。
日本海軍では救命浮標と呼び、コルクを綿布で覆ったものに防水塗料が塗られていた。
塗色は、円周を8等分して白色と赤色に塗り分けている。(十字ラインではなく扇型)
艦これから入った人には、連装砲ちゃんでお馴染みだろうと思う。
防水塗料ということで、ツヤあり塗装だったと考えられる。
ただし、明治期は白一色だったようで、紅白塗装となったのは大正期からである。
切り替わった正確な時期は不明ながら、明治41年の「白い浮標」と明治45年(大正元年)の「紅白の浮標」の写真が確認できたので、明治42年〜44年の間であろうと推測される。
従って、戦艦三笠など日露戦役艦を作る場合は注意を要する。(明治期に建造された艦船も、大正以降は紅白塗装に統一)
また、連装砲ちゃんの「ぜかまし」がすっかり有名になってしまったが、実際には救命浮標に艦名表記はない。
現用艦に見られるような救命浮環番号もなく、紅白の塗色のみである。
装備方法は、構造物設置のものは3本爪のラックに引っ掛けるだけであるが、舷側装備のものは写真のようなカゴ状の遠隔投下装置に格納され、索を引くと遠隔操作で投入することがてきた。
(護衛艦はまぎり)
現在の自衛艦が使用する救命浮環は、船舶救命設備規則(運輸省令)で「非常に見やすい色であること」「搭載する船舶の船名及び船籍港を表記すること」が謳われている。
色は「救命浮環用ペイント」というそのものズバリなペンキで塗られているが、これはSOLAS条約でも指定されているインターナショナルオレンジに類似した色である。(インターナショナルオレンジより若干赤みが弱い)
材質は、発泡ポリエチレンと思われる。
表記については上段に艦種、下段に艦名、左右に救命浮環番号が白字で記されている。
救命浮環番号は、艦上の高い所から順に、及び前から後ろへ順に振られているので、ほとんどの自衛艦は艦橋右舷が「1」である。
写真のものは、艦橋左舷であるため「2」が振られている。
救命浮環の左にあるのは「O旗(溺者発生を表す国際信号旗)」を付加したブイ、右にあるのは自己点火灯と言い、海面に落下すると自動的に点灯する救難信号灯である。
ブイと自己点火灯は、浮環の救命索に索で結ばれて1セットになっているが、その格納方法は各艦ごと、また装備場所ごとに異なる。
(護衛艦あきづき(初代) 丸スペシャルから引用)
前述の船舶救命設備規則は昭和40年の施行であるため、それ以前に建造された自衛艦についてはこの限りではない。
従って、ピットロード社が鋭意製品化中の1次防艦や2次防初期の自衛艦の救命浮環を、橙色に塗るのは誤りである。
初期の自衛艦は、白地に細い赤ラインが十字状に入ったもので、上段に艦種、下段に艦名、右に錨マーク、左に救命浮環番号が黒字で表記されている。
救命浮環番号は装備甲板に関わらず艦首から順番に振っているようで、あきづき型では51番砲ブルワークに装備された救命浮環に「1」「2」「3」が記されている。
ただし、この救命浮環が使用されたのは昭和44年までで、それ以降は既成艦も新造艦も橙色のものが搭載されている。
この昭和44年と言えば、「艦船の塗粧及び着標に関する訓令」が改定され、かつ「艦船の塗粧及び着標に関する達」が新たに施行された年であり、自衛艦の舷側から艦名標記が消えた年である。
しかし、同訓令にも達にも救命具に対する塗色指示はされておらず、直接の関係は確認できなかった。
(駆逐艦マキャンベル)
おまけで、海外艦艇も一つ。
写真は米海軍のイージス駆逐艦の救命浮環である。
典型的なインターナショナルオレンジの浮環に十字状に反射材が貼られ、艦名と艦番号は黒字で標記されている。
同じ橙色とは言え、一見して自衛艦のものとは印象が異なる。
実は、世界的にはこっちのスタイルが一般的で、確認できただけでも、米、露、英、伊、スペイン、トルコ、ベルギー、中国の各海軍が採用している他、商船や客船、海上保安庁の巡視船もこの反射材付きの救命浮環を使用している。
ただし、前述の通り商船や巡視船では、上段に船名・下段に船籍港を表示しなければならない。
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