読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

LIFE IS HAPPY!!!

人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽しい!!人生楽

寿司を食べるとこんなにヤバイ!寿司、ダメ。ゼッタイ。

妄想

何故、人は寿司の写真をSNSに載せるのか

f:id:HappyEnjoyLoveFunPositive:20150914220652j:plain:h300

大体の日本人は寿司が好きだ。事あるごとにツイッターで「寿司食べたい」とか呟き、隙を見つけては寿司を食べようとする人たちは多い。アメリカ人はハッピーな気分になりたいときにピザを食う、みたいなもんだろうか。いや、それにしても何かがおかしい。多くの人が寿司を目の前にすると異常なまでに興奮し、周りの誰もが別に聞いてもいないのに関わらず、一人で舞い上がってフェースブックツイッターやインスタグラムに寿司の写真を投稿し自慢し始める。SNSをやっている人間なら誰もが見たことあるこの現象、そのはずなのに誰も何も言わないのはよくよく考えてみるとちょっと異常である。何故、人は寿司にそれほどまで興奮するのか。
色々考えてみたが、やはり寿司は日本における一種の合法ドラッグみたいなもんなんだと気づいてしまった。食べた時に味わえるまたとない多幸感と酩酊感、一度食べるとその後も定期的にそれを摂取したくなる中毒性、そして手が届かないほどではないけれどもちょっと値が張るので毎日は食べられないという消費者心理を見事に突いた胴元側の絶妙な価格設定。まさに危険ドラッグとして必要な要素が寿司には全て詰まっている。

一人前の寿司職人になるには何故アレほどまでに時間がかかるのかこれまでずっと疑問に思っていたが、米と酢と海産物などから快楽物質の元を抽出し著しく中毒性の激しく多幸感を味わえる経口摂取型の化学物質を手作業で作り出すという工程は科学実験の如く繊細であり困難だからなんだろう、と今にして気づくことが出来た。

日本社会は寿司に支えられている

その昔、第二次世界大戦の頃、連合国軍を相手に分の悪い戦いをしていた日本人たちを支えていたものの一つがヒロポンであったように、「過労死」という言葉がワールドワイドで使われるようになり日本全体がまるで戦争の最中以上に激しく消耗し合う現代において、ヒロポンに変わるものが寿司なのだろう。日本人の残業の多さ、仕事での休みの少なさが海外と比べてとてつもなく低いというような言説をよく見るが、それは日本人が勤勉で真面目だからとかいう民族的な性格としての性質のおかげでも、そういう状況におけるストレス耐性や体力・集中力に優れた体質であるからではない。寿司があるからだ。人間は睡眠などの休息を取らなければ生きてはいけない。体を思うがままに酷使し続ければ生物としての寿命を短くしてしまう。故に脳がリミッターをかけて眠気を誘って休憩を促す。集中力を生み出す脳内物質も脳がリミッターをかけて管理をしている。正常な人間であれば無意識的に脳のそれらの信号を受け取り行動し、休息する。数億年をかけて生物がより長く生き永らえるように最適化した方法がこれだ。しかし、自嘲気味に自らを家畜と同じであるような「社畜」という言葉で表し、その身を粉にし精神や身体を消耗させてまで働くという、数億年に渡り蓄積されてきた生物史を否定しそれに反するような生き方を出来るのは寿司があるからだ。寿司屋だけでなくスーパーでも、どこにでも点在し24時間開いているコンビニにも、寿司があるという特殊な環境、日本。これほどまでに身の回りに寿司がある環境は日本しか無い。日本における寿司の流通量と日本人の異常なまでの労働時間の間に相関関係があるのは明白である。寿司が脳のリミッターを外しているとしか考えられない。

外国人と寿司、そして気づく者たち

日本人だけでなく外国人にも寿司は人気だ。日本に来て本場の寿司を食べる、という行為はオランダに行って大麻を吸う、みたいな感覚なんだろう。 それに乗じて日本国外でも寿司を提供するところは多くある。しかしシェフが日本人ではなかったり、本場の寿司を食べたことのない人間が調理をしているようなところもたくさんある。日本人がそれらの店に行き、「これじゃない感」を抱くのは、味が違うという単純な理由ではなく、本場の寿司によって脳に植え付けられた依存性や中毒感を感じることができないからという事実に他ならない。
もちろん日本の寿司を知っている日本人の寿司職人や、海外から日本へやってきて日本の寿司に隠された秘密を知りその技を習得して本国へ帰って日本で出されているような寿司を提供する人たちも多くいる。まるでゴットファーザーの世界のように、日本の寿司を世界へ売り出してその中毒性をもってして世界を牛耳らんかの如く。しかし、そのような企みに気づく人たちはやはりいた。 www.sankei.com

寿司に必須である新鮮な海産物を、ニューヨークでは必ず冷凍しなければならないようだ。これによってニューヨークの寿司屋ではその味が落ちるということで悲鳴があがっているという。魚を冷凍しなければならないという食品衛生基準、表向きは食中毒予防とされているが、真相は冷凍することにより寿司職人による手作業での快楽物質の抽出を不可能にするものであろうということは容易に予想できる。さすがはFBI、CIAなどの世界屈指の捜査機関を有する国である。

抑えることの出来ない衝動

隠された秘密が連邦捜査局に露見してしまった以上、日本以外での寿司の摂取は今後困難になるであろう。かつてアヘンがその悪魔の様な性質から人々の精神を蝕み、世界的な戦争を引き起こす引き金となった歴史を世界は忘れていないはずだ。それ故アヘンは多くの国で麻薬の一種としてその製造・販売・販売目的の所持が禁止または規制されている。となるとさしずめ現代のアヘンたる寿司の摂取は今後海外どころか国内でも困難になることが予想される。
数分歩けば寿司を手に入れることの出来るマッドシティ・東京を脱し、寿司屋はおろか最寄りのコンビニまでも1時間かかるような、薬物もとい寿司更生施設の如きド田舎に移り住み約半年、長きに渡り寿司を目にすること無く順調にその中毒と依存から脱しかけていたところ、今宵ツイッターのタイムライン上に寿司の摂取宣言と共にサーモンの炙りの写真が流れてきたのを目にしてしまい、再びその摂取への衝動に駆られる葛藤の中で寿司の真実に気づいてしまった。しかし気づいたところでどうにもならないのだ。ダメだとわかっていても欲してしまう。ダメだとわかっているからこそ欲してしまう。人間が禁断の果実を口にした時から、その欲望は変わること無く全ての人間の中に潜んでいるのだ。寿司に隠された秘密に気づくことが出来たのに、それから離れることは出来ない。嗚呼、FBIやCIAが日本へ干渉してくる前に寿司が食べたい。今日も多くの人間が寿司を口にし、その快楽に身を委ねる。