知られているとおり、日本の戦後美術を「通史」としてとらえる試みはこれまでにもいくつか存在する。一人の批評家による論考としては針生一郎の『戦後美術盛衰史』、千葉成夫の『現代美術逸脱史』、そして今言及した『日本・現代・美術』などが挙げられようし、『美術手帖』やかつての『みづゑ』誌上ではこのテーマに従って何度か特集が組まれた。展覧会としても、時に一つのディケイドに区切りながらも、1980年前後に東京都美術館や東京国立近代美術館によって企画された一連の試みが存在し、さらに1994年にアレクサンドラ・モンローの企画によって横浜美術館で開催され、グッゲンハイム美術館ソーホー分館に巡回した「戦後日本の前衛美術」は初めて日本の戦後美術を総体としてとらえようとする野心的な試みであった。あるいは時代と地域に限定が課せられているものの、一昨年、ニューヨーク近代美術館で開かれた「TOKYO 1955-1970 : A New Avant-Garde」もある程度問題意識を共有しているといえよう。これらの試みについては必要があれば立ち戻るとして、ここで私が参照したいのは同じ小学館から35年前に刊行された美術全集「原色現代日本の美術」の第18巻「明日の美術」である それではこのような見取り図に対して、本書の過激さは何に由来するのか。まず注意すべきは、椹木もかかる系譜そのものを否定している訳ではないことだ。作家と作品の選定に関して独自の視点が加味されているとはいえ、具体美術協会や実験工房、読売アンデパンダン展周辺の作家、そしてもの派にいたる流れを戦後美術の本流とみなす立場は本書でも踏襲され、これらの作家、運動についてはしばしば否定的なニュアンスを伴いながらも論及されている。しかしこの一方で「拡張する戦後美術」というタイトルが示すとおり、椹木はこのような枠組の外側にも目を向けて、戦後美術の見失われた本質へ肉迫しようとする。このような「拡張」として直ちに了解されるのはジャンルの拡張だ。先に触れた「明日の美術」において扱われた対象は広義の絵画、彫刻とデザインであったの対して、本書においてはさらに写真、建築、工業デザインから作庭におよび、とりわけマンガが大きく取り扱われていることが理解されよう。むろん前者はまだパフォーマンスやインスタレーションといった言葉さえ定着していなかった時代に刊行されており、現在との間には大きな隔たりがあろうし、ジャンルの限定は美術全集の全体としての編集方針と関わっていた可能性もある。しかしこの点を考慮したにせよ、本書を特徴づけるのは従来「正史」から排除されてきた対象を積極的に美術史に導入しようとする姿勢である。マンガを大きく扱う姿勢はその典型であり(なにしろ後述するとおり、論考のタイトルもマンガから引かれているのだ)、さらに次のような対象も取り上げられている。まず山下清のごとく、これまでアウトサイダー・アートの文脈でとらえられてきた作家たち、そして佐藤溪、牧野邦夫、久永強らのように職業画家でありながら、これまであまり知られることがなかった作家、さらに出口王仁三郎、いわさきちひろ、小松崎茂のごとく、従来はファインアートとは異なった文脈で論じられてきた作家たちである。さらに東山魁夷、杉山寧といった作家の作品が加えられていることにも強い違和感を覚えないだろうか。東山、杉山といえば確かに日本画の巨匠であるが、これまで戦後美術といった文脈で語られることはまれで、もちろん「明日の美術」には掲載されていない。それは彼らが今名前を挙げた作家たちとは逆に、いわゆる「画壇」の頂点として、現代美術とは別のシステムに依拠していたと考えられるからだ。このように列挙するならば、ここに収録された作家たちがいかなる意図のもとに選ばれたかも明らかになってくるのではないだろうか。椹木が本書で拠って立つ理念、それは端的に前衛主義の否定だ。先に日本の戦後美術を概観する意図のもとに組織された展覧会をいくつか示した。それらのタイトルに前衛、あるいはavant-gardeという言葉が冠されていたことは偶然ではない。マンガのごとき不純なジャンル、作家性を欠いた作家、さらには従来「前衛」と対立するとみなされていた「画壇」の大物を投入することによって、前衛に拠らない戦後美術史の構築がめざされているのである。そして前衛の否定は別のコノテーションをもつ。前衛とはモダニズムと不即不離にある概念であり、したがって本書は広い意味で日本の戦後美術を律してきたモダニズム美術史観を批判する立場に立つが、それは次にみるとおり、かなり入り組んだかたちをとる。 続いて椹木の所論をやや詳細に検証しよう。いくつかのキーワードが設定されているため、その議論を追うことはさほど困難ではない。まず椹木は本書が編年的に四部で構成されていることを告げる。すなわち本書の図版部は占領からの復興期を戦後の「再生」、高度成長期を戦後の「沸騰」、消費社会の成熟と退廃を戦後の「混沌」、そしてバブル経済の勃興と崩壊を戦後の「明暗」と名指しして、ほぼクロノロジカルに多様な作品を配している。続いて椹木は必ずしも歴史的な区分と対応しない五つの鍵概念を提起する。すなわち「サイエンス(科学)」「ラディカリズム(過激)」「ポスト・フェストゥム(祭りのあと・鬱)」「ポスト・フェストゥム(祭りのあと・躁)」「アイロニー(皮肉)」である。椹木も述べるとおり、これらの概念は日本の戦後美術に特徴的な症状であり、先に挙げた時代区分に対応するのではなく、むしろ横断的に認められる。このうちやや難解な「ポスト・フェストゥム」とは精神医学者、木村敏がフッサールを経由して提起した病理学的な概念である。まず椹木は先行する明治期や大正期、あるいは戦争期の美術と比較して、日本の戦後美術の特質を次のように指摘する。「そこには、明治期のような『理想』もなければ、大正期のような『理念』もなく、かといって戦争期の『野望』もない。それらがないまま、いや、それらを見失ったまま、近代化というシステムそのものが、復興の名のもと、ひたすら暴走したのが、戦後という時代の特徴であり、その上に乗って登場した戦後美術の素の顔つきだった。その様相をひとことで示すとしたら、『際限なき破壊と復興』ということになるだろう」いきなり結論めいた言葉を書きつけたうえで、椹木は時間軸に沿って戦後美術を概観する。彼によればほぼ同じ時期に結成された東の「実験工房」と西の「具体美術協会」、両者はグループ名が暗示しているとおり、「サイエンス」と深く結びついている。これまで全く異なった運動、正反対のヴェクトルをもつとみなされた二つの集団に共通性を認めたことは卓見といえよう。続いて椹木は60年代の読売アンデパンダン展をめぐる狂騒―いうまでもなく「ラディカリズム」という言葉にふさわしい―を「サイエンス」への反動とみなす。しかし無際限なラディカリズムによって発表の舞台であった展覧会そのものを失った60年代の作家たちには三つの選択肢しか残されていんなかったという。一つはアンデパンダン展を自主的に続けること、海外へ活動の場所を転じること、そして路上でアクションを繰り広げることであった。このような整理は60年代後半の美術状況を的確に要約している。そして「サイエンス」「ラディカリズム」、いずれの立場の作家たちにも巨大な国家的な「祭り」が影を落とすこととなる。いうまでもない、1970年の大阪万国博覧会である。私はかつて椹木の『戦争と万博』を読んで深い感銘を受けたから、かかる議論の展開は十分予想できたし、首肯しうるものであった。本書においても多くの作家たちに万博がいかに深刻なトラウマを残したかという点が語られ、まさに「ポスト・フェストゥム(祭りのあと・鬱)」としてもの派や美共闘の表現が論じられている。一方で椹木は赤瀬川原平や菊畑茂久馬が在野もしくは素人の作家に着目し、美術の未知の可能性に目覚めた点も、同じ「ポスト・フェストゥム」の徴候であったととらえる。最初に述べたとおり、本書にこれまでほとんど現代美術の文脈で取り上げられることのなかった作家たちが収められていることはこのような理由による。続いて椹木はクロノロジカルな分析を中断し、「巨大メディアとしてのマンガの登場」という一節を設ける。しかし私にはこの一節はきわめて唐突に挿入された印象がある。確かに石子順造や赤瀬川原平を媒介とする時、70年代美術と一連のマンガを接続することは不可能ではない。しかしそれは可能性であって、私は椹木のテクスト、あるいはコラムとして収録された「マンガと美術の『あいだ』」と題された伊藤剛の文章を読んでも、本書においてマンガがかくも大きな扱いを受ける理由が得心できなかった。あるいは椹木の論文の最後で論じられる「アイロニー」の傍証として挙げられる村上隆や会田誠、ヤノベケンジや中ザワヒデキらの作品の一起源としてもマンガが想定されているのであるが、両者の間に世代的な関係は認められるとしても、ここで論じられるほど積極的な関係は認められないように感じるのである。 このように全面的に同意できる内容ではないが、本書及び椹木の論考はきわめて刺激的であり、戦後美術史に対して新たな視点を提起するものといえよう。最初にも述べたとおり、それを一言で述べるならば前衛主義の美術史観からの解放であり、戦後美術を水平方向に押し広げる視点である。しかし同時に私は椹木の論考に通底するペシミズムが大いに気になるのだ。例えば先に引いた引用に続いて椹木は次のように続ける。「際限がないのだから、見かけのうえではいくら発展しても、目的へと向かう進捗感はろくになく、おのずと『つくっては壊す』が基本となり、その先へと歩を延ばすための模索も、全方位へと延びることになる。だいたい理想や理念、野望がないのだから、失敗や失意、そして多少の反省はあったとしても、当然絶望はない。絶望がないということは、どんなときでも、いくばくかの希望はあったということだ。たとえ、それがどんなに無方向的なものであったとしても、とにかく希望だけはあった。それが託されていたのが、戦後における『明日』という言葉の響きだった」ここに漠然と示された諦念は日本の戦後美術を論じた椹木野多くの著作に共通しているように感じられる。例えば『日本・現代・美術』の序章において椹木は日本の戦後美術を、ジャンルがジャンルとして機能しない「悪い場所」であると断じたうえで、このように結ぶ。この引用自体が先に引いた一文を反復するかのようではないか。「戦後の日本において、問題は吟味され、発展してきたのではなく、忘却され、反復されてきたということ、そしていかなる過去への視線も、現在によって規定され、絶え間なく書き直されている以上、過去を記述する条件として現在を前提にせざるをえないということを挙げておく」私は美術批評が建設的、楽観的なものである必要は特に感じない。しかしかつて同じ著者の『後美術論』について論じた時にも記したが、今や日本を代表する批評家である椹木がペシミズムとアナーキズムを批評の根幹に据え、対象の異なった多くの批評の中で繰り返していることは単に批評家の資質のみに還元できる問題であろうか。
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