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2015.09.12

[書評] 数学の大統一に挑む(エドワード・フレンケル・著、青木薫・訳)

 たまに現代数学の本を読むことにしている。付け加えると、理解できなくても、時代の最先端の数学を解説しようとした本は読むことにしている。それでどうかというと、正直なところ、たいていはさっぱりわからない。

cover
数学の大統一に挑む
エドワード・フレンケル・著
青木薫・訳
 同じことは物理学や生物学・医学についても言える。ただ、そうした「わからない」に向き合うのを諦めちゃうのが、なんとなくいやだなと思っている。この本、エドワード・フレンケル・著『数学の大統一に挑む』も同じ。めっちゃ、現代数学である。もうこれは無理だろくらいの敷居の高さである。でもちょっと手にとってみたい気分にさせるのは、青木薫さんの翻訳だからだ。日本語として読みやすい。内容を理解している彼女ならではの自然さがある。もう25年以上も前になるが、彼女が物理学のアカデミズムから翻訳者なろうとしているころ、数学はお得意だったのでしょと聞いたことがある。ラグランジアンなんかも難しいと思わなかったと答えていたのが印象的だった。
 邦題の『数学の大統一に挑む』という表現はよく練られている。本書を見たとき、まず、そう思った。本書には大きくわけて2つのテーマがあり、1つは、現代数学のなかで関連が明確ではない分野(「ブレード群」「調和解析」「ガロア群」「リーマン面」など)を統一する可能性を秘めたラングランズ・プログラムについての一般向け解説書だからである。この統一は数学だけに限らず、物理学、特に超ひも理論にも関連していて、その意味では、邦題が暗黙に示唆する物理学の大統一理論との関係もきちんとある。この点には、「はじめに」とされた序章におけるクオークの発見の物語からも暗示されている。もう1つは、数学への愛情をだけを頼りにしてユダヤ人差別のソ連下から米国に脱出し、数学分野の一人者とまでなった著者エドワード・フレンケルの半生録である。この側面は同じく青木訳『完全なる証明』(参照)が描く、類似の境遇だったペレルマンの話題にも似ている。
 二面を本書として統合するのがまさに「数学への愛情」である。本書は、ラングランズプログラムの一般向け解説書というよりも、いかに「数学への愛情」がこの課題(プログラム)を引き寄せているのかという情熱の物語であり、それはかなり熱い。現題は「Love and Math(愛と数学)」としているのもそのためだろう。この熱さだが、終章に描かれる三島由紀夫が制作に関わった映画『憂国』との対比にまで至る。また情熱を補うように、ヴェイユ兄妹や、先日亡くなったアレクサンドル・グロタンディーク、谷山豊の挿話で彩られているのも読書の楽しみになる。と書いて、著者フレンケルには谷山の自殺への共感のようなものもあったのだろうなと気がつく。
 ラングランズ・プログラムがなんであるかについては、まさに本書がその概要的な解説書であり、ロゼッタ・ストーンの比喩は私のようなものでもなるほどと思えるほど秀逸である。数学史的には、その基礎であるガロワ群論からグロタンディークの層の概念を経て、各種の数学分野を統合する予想の集まり(プログラム)としてしている。この「プログラム」という響きだが、私など大学で数学基礎論の基礎を学んだ程度からだろうが、ヒルベルト・プログラムに似たようにも感じられる。
 本書は、とはいえ、その数学的な側面の記述はかなり難しい。終章前の章の終わりで、著者の父親が編集時の同書に「内容を詰め込みすぎだ」と示唆したことを記しているのも、著者自身にもその点は了解されているからだろう。
 本書はそれでも、現代数学に関心をもつ人に広く読まれるだろう。ざっと見渡したところ、ラングランズ・プログラムについての一般向け解説書は『数学の最先端 Volume 1 21世紀への挑戦』(参照)の他に見当たらないように思えるからだ。
 それでも、本書を読みながら、そうした、現代数学に関心を持つ人は、もしかすると素通りしてしまうかもしれないなとふと私が思ったことがある。著者のペンローズへの言及である。なかでも『実在への道』についての言及である。本書ではこの書名の言及に訳注がないのが少し不思議にも思えた。調べてみると、どうやらなぜか訳書がまだ存在していない。ただし、同書からの引用には、原題「The Road to Reality」(参照)についての注釈は付いている。ただの偏見かもしれないのだがペンローズの同書については日本では、タブーでもないだろうが、まともに批評したくないというような空気があるのかもしれない。日本人の科学者は、神学を連想させるような実在論は非科学的として好まないようにも思える。
 著者フレンケルはといえば、『実在への道』で示されている、数学的実在については簡素ながら同意を示し、さらにそこで合わせて実在主義者であるゲーデルにも言及している。もっとも、それ以上にこの問題へは深入りしていない。だが、本書を読み終えた実感すると、著者フレンケルが「数学への愛情」としているものは、数学的実在についてだが、ロシア正教神学でいう「エネルゲイア」に近いものではないかと、少し無想した。原書の副題は、「The Heart of Hidden Reality(隠れた実在の核心)」なのもそれに関わっているように思えた。
 
 

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