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http://6027.teacup.com/situation/bbs/31074
S班OBさんへ
『泣いて馬謖を切る』という言葉をご存知でしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E9%A6%AC%E8%AC%96%E3%82%92%E6%96%AC%E3%82%8B
泣いて馬謖を斬る
また、語源となった故事はこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E4%BA%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
街亭の戦い
ウィキペディアはちょっと簡略されているので僕の方から少し。
諸葛亮孔明は馬謖の才能をみて将来性を期待していたものの、劉備は馬謖の人柄を信用しておらず「重く用いてはならない」と孔明へ忠告していたんですね。
そして、劉備が亡くなった後に、孔明は劉備の悲願を成就するべく打倒魏国と誓いをたて攻めた。
流れは「勝ち戦」になっていて、進軍するために馬謖へ「要所を守る」よう指示を出した。
「進軍するために、敵より分断されないよう要所を守る」のですから、長期戦になることも想定し「要所を守り維持するための補給」のことも暗黙の常識の範囲だったのでしょう。
ところが馬謖はその場所に着くなり『守る』のではなく『敵を攻め破る』べく、山の上に陣を敷いた。
欲張って功に焦ったというところでしょうか。
馬謖の手伝いとして孔明より指示をされていた副将は危険性を指摘し諌めたが、馬謖は聞かないのをみて孔明に陣立てを手紙した。
それを見た孔明は陣立てを改めるよう指示をしたが、馬謖は聞かずで、副将は再度同様に孔明に知らせたが、馬謖はついにいうことを聞かず。
やがて敵は来て、敵は「持久戦には補給が不利な陣立て」をみて、馬謖軍を全包囲して、兵糧攻めならぬ水の補給を絶つ作戦に出た。
馬謖軍の兵は水が使えず、水に飢えて「戦にならぬ」ほど士気が落ち、攻め破るどころか要所を打ち破られることになったわけです。
それを知った孔明は、敗戦が予想できたため、無理攻めになってしまうのを見越して『全軍撤退』を選択した。
「兵は速きを尊ぶ」のごとく、「逃げるに如かず」とばかりに『撤退』の方針に変えた。
『生兵法』とはまさにこの「馬謖」について言ってるようなものです。
またこの故事の「副将」は我々反対者を象徴してます。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/164929/m0u/
なまびょうほう【生兵法】の意味 - 国語辞書 - goo辞書より
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1 中途半端に兵法を知っていること。未熟な兵法。
2 十分身についていない知識や技術。なまはんかな学問。
生兵法は大怪我の基 少しばかりの知識や技術は、それに頼ったり自負したりして、かえって大失敗をすることのたとえ。生兵法は大疵(おおきず)のもと。
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いろいろと故事などを述べましたが、遠山議員の話は『生兵法』でしかないものでしょう。
ちなみに、ウィキペディアには失態の後についてこんなことも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E4%BA%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
街亭の戦い
戦後
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馬謖の軍が街亭で敗れ、蜀軍が全軍撤退したことにより、蜀軍に降伏した天水・南安・安定の3郡は再び魏軍に降伏した。敗戦した馬謖は戦場から旧友の向朗の下へ逃亡し向朗もそれを黙認するも、直に捕縛され投獄・処刑された(『馬良伝』『向朗伝』)。これが有名な故事「泣いて馬謖を斬る」である。馬謖配下の将校である張休と李盛も処刑され、将校・黄襲の配下の兵も剥奪となった。そして向朗は馬謖逃亡を黙認した為に北伐の事務から外され成都に帰還、また諸葛亮も責任を取って3階級降格して丞相から右将軍へ、善戦した趙雲も鎮軍将軍へ降格したものの、街亭で善戦した王平のみは官位が上がり参軍の地位を加えられた。
蜀軍による北伐で、魏国の皇帝を督戦の為に引き出したのはこの戦役のみであり、戦役の規模も祁山一帯に加え涼州にまで及ぶなど、最も大きいものであった。この戦役で祁山一帯を占領できなかった蜀軍は、以後、魏との戦いにおいて苦戦を強いられることになった。
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↑いろんな意味で「将来を暗示してるもの」ではないでしょうか。
遠山議員自身のみならず、公明党や日本の将来など。
遠山議員は「歴史から学ぶ」というのを知らないのでしょうか。
「兵法」も中途半端。「法華経の兵法」はさらに上回る中途半端。
まさしく『生兵法』そのものです。
ご自身の「平和」さえもできないのに世界平和なんて本末転倒してるんじゃないかと思われてならない。
日本が「街亭の戦い」の故事を真似ないよう祈るばかりです。
追伸:
馬謖にとって敗戦の原因になった「欲張った功」は、遠山議員にとっての「功」と重なるのではないでしょうか。
遠山議員のホームページにみる自画自賛と自己矛盾からは「自己顕示欲を満たすため」なのが読めます。
さながら幼児が「オモチャ」として「イジって」いるだけにしか見えません。
そのために国民の命を危険に晒し、日本中はおろか世界をも「敵」に仕向けている事実は許しがたいものです。
いずれにせよ、遠山議員は「馬謖」の後を追うことになるでしょうか。
故事では「馬謖を切る」だけでなく、孔明自身も役職の責任を取りましたが、山口代表はどうなるでしょうか?
真面目に信心をしていれば「馬謖」の後を追わずに済むものを、これではもう遠山議員の将来が決まったようなものです。
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
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