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教義事項改正、安保法制問題に関して多くの素朴な疑問が出るのはある意味無理からぬ事。
しかし「認識せずして、評価することなかれ」との殉教の先師の教えに則り、
私もこちらにたどり着いた。
無論、こちらのアンチ板の存在も含め、学会員と名乗る人の様々な意見を同じように見てきた。
しかし、だ。
センセーショナルな内部告発調の内容はよく見ればいずれも根拠に乏しい。
私にはどこをどう見ても真実と断定できる決め手は見い出せない。
一方的な意見が多すぎて客観的な論議の痕跡も見られない。
そのワンサイドな論調が支配する根底に何があるのか?
賢明な会員はじっと見ている。
私は本部が完璧だとは思わない。また、党も然りだ。
安保法制に反対の意を示し行動している同志や創価大学の署名運動が意味する
問題提起に関して、心ある会員ならばよくよく思索すべきだとは思う。
しかし現時点で、あるいは過去に遡っても両組織とも
両者が標榜する根本的な命題に対し、致命的なミスリードをしたとは私は思わない。
創価学会も公明党も原理主義に埋没して、社会的責任を放棄するものではない。
世論を二分するような(あるいは反対が多いとの報道もあるが)重大なテーマで、
人気取りに終始するだけならそれこそ連立離脱カードを切って云々で良い。
それこそ内部受けのみならず、今なら念願のより広い外部の支持も得られるというかもしれない。
しかし、そうしないという選択を党はしている。
また学会は元より個々の政策に一々態度を表明しないとしている。
この点をして学会も党も権力に堕した、平和主義の看板を下ろしたと言うのは
見当違いも甚だしい。
安保法制に反対をしているものが平和主義者で賛成をしているものが戦争容認派という
図式での解釈こそ安易で危うい。多様な意見と声なき声は無視は出来ない。
しかし、「現実」を見よ。
座して平和は守れぬ。デモで平和は守れぬ。
私は今回の決断は憲法を巡る神学論争や机上の空論を包摂しながらも、
国民の「生命」を守るという政治家の責務・使命を全うしたものだと評価し支持する。
また、それは師の教えに違わぬと確信している。
以上が私見である。
私見ではあるが、この掲示板が真に学会を憂い、党を憂い、平和を憂う立場なら、
どうかもうひとりの学会員としてのこの投稿を削除されぬ事を切に望む。
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