第104回 砂田 実 氏
3. 個性的なテレビマンがテレビを面白くする
砂田:あまりいませんでしたね。もちろん久世(光彦)さんなんかはどんどんやっていましたよ。ただ、お芝居の舞台が多かったから派手にはやらなかったですね。私はちょっとひどかった(笑)。TBS在籍中にミュージカルと音楽制作をやりたいからといって、いずみたくと一緒に会社作っちゃうんですから。
−−音楽制作もされていたんですか?
砂田:そうですね。昔、銀座に日航ミュージックサロンという喫茶店あったんですよ。そこにお茶を飲みに行ったらすごく歌の上手い女の子がいて、それが佐良直美だったんですけど、あるとき「プロにならないの?」と聞いたら「なりたいです!」というので、いずみたくの事務所(オールスタッフ音楽出版社)に預けて、それでレコード大賞を受賞するわけです。佐良直美とか森田公一を、メジャーに向けて応援をしていました。アーティストの成長過程に寄り添うことができる素晴らしい仕事でしたね。
−−砂田さんがショクナイしていた作品で一番有名なのは植木等さんが出演されていた「なんである、アイデアル」のCMですか?
砂田:そうです。私は「なんである、アイデアル」で全日本シーエム放送連盟(ACC)の金賞をもらったと思っていたんですよ。ところが本(『気楽な稼業ときたもんだ』)を書くときに、当時の広告代理店の人に確認したら、そのCMがもらったのはタレント賞だったんです。
それで、植木さんの契約が切れた後も、スポンサーが面白いからと私を継続して使ってくださって、それで新しいCMを考えたんですよ。植木さんに匹敵する人を探してもどうしても二番煎じになってしまう。それで人格のない人間、つまりパントマイマーでやったCMが金賞を獲っていたそうなんですね。もし知っていたら自慢もできたんですけど、全然覚えてなくてね。賞を獲ってからは色んな所から仕事がきて、パンシロンとか、キンチョールのCMを作ったりしましたね。
−−キンチョールのCMは桜井センリさんが女装で出演されていた作品ですよね。
砂田:そうです。CM撮影のときに桜井センリさんに商品を逆さまにして渡しちゃったんですよ。そうしたら「逆じゃないの?」と言われて「ああ、本当だ。ルーチョンキだな」と言ったところからあのCMが始まったんですよ。
でも、当時の大阪電通の局長が「商品名を逆さまにするなんてダメだ」と言ってきて大変だったんです。そのときちょうど電通の担当部長と気心が知れていたので、相談したら「任せてください」と言ってくれて、2〜3日後に大阪ミナミの料理屋に呼ばれて行ったんですよ。そこには先客がいて、紹介されたのがKINCHOの専務だったんです。今は社長になっていますが上山直英さんという方で、彼がいきなり「砂田さん、あれ面白いじゃないか」と言うんですよ。そこからKINCHOのコミック路線が始まったわけです。
−−今だとギャグのCMもたくさんありますけど、当時はあまりありませんでしたよね。
砂田:CMって小学生やサラリーマンが飲み屋で言い出したら成功なんですよ。当時はCMも花盛りで、杉山登志さんというものすごく有名なCMディレクターがいたんですが、40歳くらいで自殺してしまうんですね。それで、ごく最近杉山さんのことが書かれた『伝説のCM作家 杉山登志』という本が出たので買いに行ったんですが、どこにあるのかわからないのでお店の方に聞いたんですよ。そうしたら、後ろから中年の紳士が出てきて「僕、持ってきますよ」と言うんです。それがある広告会社の経営者だったんですよ。私のことも覚えていてくださって、二人で話していたら、今度は別の男性が本棚のかげからひょいと出てきて(笑)。彼はその本に出ている映像作家で、長沢佑好さんという方なんですが、杉山登志さんと仕事をされていた方なんですね。それで、どうやら私たちの話を聞いていたようなんです。偶然そこで会って、2〜3日後には3人でお茶を飲みましたね。そういう偶然って面白いですよ。私は昔からそういう偶然が多いんですよ。
−−植木等さんやクレイジーキャッツとはどのようなきっかけでお仕事されるようになったんですか?
砂田:すぎやまこういちがフジテレビで「おとなの漫画」という時事風刺のバラエティ番組をやっていたんですよ。で、TBSの社員なのにそれの脚本も書いていました(笑)。朝起きて、脚本を書いて、フジテレビに持って行って、何食わぬ顔でTBSに行くと。
−− (笑)。
砂田:当時のクレージーキャッツはまだスターになる前ですよ。すぎやまこういちから、「昼の10分、帯でクレージーキャッツのコントをやるから書いてくれる?」と頼まれたんですよ。最初はそうそうたる作家メンバーが名を連ねていたんですが、朝6時に起きて新聞を読んで、その場で脚本を書いて局へ持っていくという仕事が、流行作家に務まるはずがないんです。それで私と青島だけ残りました。
−−面白いことは頑張るんですね(笑)。
砂田:ええ(笑)。今でもはっきり覚えているのが、元々顔見知りだったクレージーキャッツに、すぎやまこういちがニヤニヤ笑いながら「今日から作家の砂田実さん」って言うんですよ。ハナ肇がガハハって笑う。桜井センリがピアノでポンポンなんてやって笑う。石橋エータローが「あれ? ここTBSじゃないよな?」って言う。谷啓が「またまたぁ」という顔をする。全員リアクション違うんです。それが全部ギャグになる。それで植木等だけはチューニングしながらじろーってこっちを見ているんですよ。あのグループはハナがトップなんだけども、実質は植木が仕切っているわけです。
植木さんは本当にいい人でね。あの人が亡くなったときは本当に悲しかったですね。普段はろくなことないのでタレントと付き合うのが嫌いだったんですよ。だいたいナルシストで、エゴイストで。そうじゃなければタレントになんてならないでしょ?(笑) もちろん例外はあるんですが、そういうのは珍しいですね。だいたいはワガママで自分のことしか考えてないんですから、付き合わないのが正解ですよ。
−−(笑)。「おとなの漫画」の脚本はずっと書かれていたんですか?
砂田:「おとなの漫画」はずっと続いていたんですが、浅沼稲次郎が右翼の少年に殺されたときに、本気になって真面目な脚本を書きました。別に私はそのとき左翼でもなんでもないし、当時は右翼のフジテレビと言われていましたからOKは出ないだろうなあと。それをすぎやまこういちに言っちゃうと立場上辛いだろうと思って、いきなりハナちゃんのところへ行ったんですよ。あの人はノリやすいから「分かった。砂さん、任しとけ」となって真面目なテロ批判を書いたんです。
−−そのままやっちゃったんですか?
砂田:やっちゃいました。1時間くらい経ったら右翼の街宣車がフジテレビに乗り付けて。
−−1時間で来るんですか?!(笑)
砂田:はい。それで「今日の脚本書いたの誰だ!」ということになって私がTBSの社員だということがばれてクビになりました(笑)。それからは舞台の演出だけにしたんです。
−−それが、ザ・ピーナッツや五木ひろしさんですね。
砂田:そうです。ザ・ピーナッツ、梓みちよ、森山良子、尾崎紀世彦。菅原良一が最初で、最後が五木ひろしかな。私が色々と注文をつけるものですから、実力派じゃないとできないんです。いわゆる構成演出なんていうのはクリエイティビティがまるでないじゃないですか。下手するとスター様の仰る通りに曲を並べるだけで終わってしまうわけですよ。それじゃあつまらないと思ったので、その時期に合ったオリジナル曲を作ることにしました。これの最たるものが、ちあきなおみの『ねぇあんた』です。DVDにもなっているんですが、悪い男に振られても振られてもすがりついて、その男のことを心配するという歌詞なんです。「ねぇあんた、こんなことしてたら女に嫌われるわよ」の連続の曲。
「たけしの誰でもピカソ」という番組で、ちあきなおみを特集するのを新聞で知って、番組を見てみたんです。そうしたら『ねぇあんた』が出てくる。映像で撮った記憶が全くなかったんですが、コロムビアの人が記録のために撮っていたんでしょうね。それでたけしさんが「これ凄いなあ。正にシャンソンだよ」と感心してくれたんですよ。そうしたらコロムビアも力を入れて売り出して、今ボックスセットが出ています。面白いですね。ちあきはもう出てこないのにコンスタントに売れているんですから。
−−これはレコード会社の人間にはできないですよ。
砂田:そういうのは嬉しいですね。雪村いづみの『約束』という曲は今でもコンサートの最後に歌ってくれていますし。ザ・ピーナッツの引退のときに、『帰り来ぬ青春』を、なかにし礼に詞を付けてもらって作ったり、加藤登紀子さんと一緒に作った『朝の食事』とか、番組でいずみたくと一緒に作った岸洋子さんの『希望』とか、ヒットと言うよりは、視聴者の記憶に残り、長く聴き続けていただいてる歌が色々とあります。よく考えるとそういった曲にはドラマ性があるということに気がつきました。
−−テレビ創成期に活躍された方にお話を伺うと、「思いつきを形にしたら上手くいった」というようなことをよく仰いますので、当時は相当楽しかったんじゃないかなと思うんですよ。
砂田:楽しかったですね。ほとんど生放送だったからよかったんですよ。だけど、その分だけ苛烈な時間の連続で、何日も家に帰っていませんでした。後にTBSは入社試験が厳しくなるんですが、そこから変わってくるんです。私たちのときは、縁故採用が6割、残りが正規採用という感じだったんですが、意外と縁故のヤツがいいんですよ。それぞれ個性的だし、色んな意味で才能のある人たちでした。テレビってそういうものだと思うんですよ。
−−そういった個性がテレビを面白くするんですね。
砂田:試験に英語を取り入れてからは東大生ばかり増えちゃって…。久世光彦さんにしても鴨下信一さんにしても、東大出身で作り手としても優秀なんですが、評論家になってしまう人がかなりいるんですよ。そうすると社内の空気が変わってしまうんです。
−−受験エリートみたいなのは入れちゃダメだと。
砂田:だってつまらないんですよ、みんな。