2015年9月12日05時06分
今回の豪雨で最大の被害となった茨城県常総市で、浸水した地域が38平方キロに及んだ。11日に排水作業が本格化したが、復旧のめどは立っていない。市には避難指示を出す判断基準がなく、発令の時間や対象地域によって住民の対応の遅れにつながったケースもあった。
常総市南東部の新井木町地区。11日午後7時ごろ、市の東を流れる小貝川沿いの土手下に10台ほどのポンプ車が並び、「ゴオーッ」と水音を響かせていた。
周囲の住宅街は、胸がつかるほどの深さまで浸水。ポンプ車から延びるホースで水を吸い込んで川に流す作業が続くが、水位が下がる気配はない。応援に入った職員は「昼からやっている。長丁場になりそうだ」。作業を見守っていた近くの佐藤洋さん(69)は「約30年前にも小貝川が氾濫(はんらん)したが、今回は規模が違う」と話した。
国土交通省は10日夜から、毎秒0・5~1立方メートルの排水能力のあるポンプ車で排水を始め、11日夕現在、22台を投入。小貝川や鬼怒川にホースで流し続けている。据え付け型のポンプを使う排水機場も11日朝までフル稼働で毎秒30立方メートルを排水し、その後は水門から排水している。決壊した堤防では1週間以内に高さ3~4メートルの仮堤防を建てるという。
なぜ大量の水が流れ込んだのか。決壊した鬼怒川の上流の栃木県では、9日未明から10日昼前にかけて発達した積乱雲が次々と流れ込み、激しい雨が長時間降り続いた。積乱雲が帯状に連なる「線状降水帯」は南北500キロ、東西200キロに延び、千葉―栃木県の同じ場所に大雨を降らせた。
常総市の浸水地域は、南北に並行に流れる小貝川と鬼怒川に挟まれた低地で、田んぼが広がっている。国交省下館河川事務所によると、二つの川は戦後すぐまでは2、3年に一度は洪水を起こしてきた。最近も小貝川は1981年と86年に堤防が決壊。99年、2002年、04年にも洪水があった。流域は緩やかな地形で水が引きにくい。
市が09年に公表した洪水ハザードマップでは、鬼怒川が氾濫した場合、鬼怒川と小貝川の間の地域はほぼ全域が浸水すると予想されていた。10日夕に上空から浸水地域を視察した国立研究開発法人・防災科学技術研究所(茨城県)の中谷剛・総括主任研究員は「田んぼが多い土地で、あふれた水がたまりやすい。ハザードマップと実際の浸水がほぼ一致していた」と指摘する。
「ハザードマップの想定では、氾濫すれば逃げ場がないとわかっていた。いくら高い堤防を造っても、雨量が基準を超えることはありうる。早めに避難するなど、ソフト面の対策にもっと力を入れるべきだ」
残り:1024文字/本文:2115文字
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
PR比べてお得!