「障害者を働かせるべきかどうか」ということが、ホリエモンこと堀江貴文氏の発言によってインターネット上でされていますね。
ホリエモン「障害者は働くな。無駄」「多くは社会的にはプラスにはならないよ。したいならやり方を考えよう」 | iCNET = 話題の記事
その一方で、ホリエモンは別に障害者は働くなとは言っていない。仕事の出来ない奴は仕事をすることで経済的にマイナスになっていることを自覚しろと言っている、と取れるような記事もある。
yasuyukiarakawa.hatenablog.com
この点について、障害者当事者として「障害者と仕事」をテーマに記事を書いていこうと思う。
障害者は働かないほうがいいのか?
「生産性」という観点から見れば、障害者は働かないほうがいいと思う。実際、税金を無駄に使っているし、仕事上で健常者の脚を引っ張っている障害者も多い。障害者自身が働かなくても生きていくことが出来て、尚且つ税金を使うこともなく健常者に迷惑をかけることもなく、幸福感や生きがいを得られるような状態なら障害者なんて働かせない方がいいに決まっている。
……無理でしょ。
元記事では、ホリエモンは障害者を含めた「仕事の出来ない人間」は生活保護でも貰って呑気に生きていけよ、というような発言をしている。
生活保護もらって呑気に生きればええやろ笑 RT @ahoahomen3: 笑、社長さんだけじゃないですかそれじゃー。それとも点検係りとして雇ってみんなで遊ぶって事なら楽しい未来ですが。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2015, 8月 20
まず、生活保護を貰う時点で税金がかかるわけで、生活保護を受給させるのと障害者を含めた生産性の無い人間を働かせるの、どちらのほうが経済的にダメージが小さいか、ということが論点になりそうではありますね。
生産性の無い人間を働かせない方が経済的ダメージが小さいのであれば、障害者を含めた、生産性の無い人間は全員解雇して、生活保護を受給させればいい。でも、そういうことをすれば、必ず、真面目に働けば生産性が高い人間でも仕事が嫌になれば簡単に生活保護を受給して働かなくなるだろうし、生活保護を受けていない人間からは不満の声が今以上に挙がるだろう。
以上の理由から考えても、障害者を含めた生産性の無い人間でも働かせたほうがいい。というよりも、そういった人間を使ってどうやって生産性を高めるのかを工夫したほうがいい。
例えば、障害者雇用なども、ただ法定雇用率を満たすためだけに障害者を雇うのではなく、少しでもその障害者が生産性を高められるように、障害者に合わせた仕事の仕組みを整えるべきだろう。例えば、この会社のようなね。
そして、障害者当事者である社長が障害者のみを雇用して成功している会社の例も紹介しましょう。
こちらの記事に関しては、堀江氏の言う「仕事の出来ない人間」ではなく、仕事の出来る人間になると思うので、例として挙げるのは若干違う気がしないでもないですが、例え仕事の出来なさそうな障害者でも、仕組みによって、仕事のできる障害者になることだってある、ということが私は言いたいのです。
仕事の出来る人間の脚を引っ張って生きて何が悪い?
そもそも、堀江氏を含めた「向こう側の人間」(仕事の出来る人間)は、生産性が高い人間は、
「生産性の高い人間の脚を引っ張るな!!」
と主張しているわけですが、そもそも世の中には色々な種類の人間がいるわけですよ。
・営業が上手い人間
・プログラムが得意な人間
・物作りが得意な人間
その適材適所が上手くいっていないから、そういった人間が脚を引っ張ってしまっているのではないでしょうか。勿論、そうではない場合もあります。ただ単にやる気の無い人間。楽をしてお金さえ貰えればいいや、というような人間。でも、全ての「仕事の出来ない人間」がそうではありません。仕事が出来ないことで悩みながら、生き辛さを感じながら生きている人間だっています。
例え、とても器用で何でもこなせるような人間だって、人間関係が苦手だという理由から「仕事の出来ない人間」側になることだってありえます。
十人十色という言葉があるように、人間の性質というものは0か1、○か✕かといった極端なもので表すことは出来ません。true or falseだなんてもので表せないから人間は複雑だし、そして面白いんですよ。
そして、これを書くと各方面から叩かれそうですが、私は仕事が出来ない人間、生産性の低い人間でも、例え仕事の出来る人間の脚を引っ張るような人間でも働く資格はあると思うし、生産性を上げることだって可能だと思っています。具体例は、上記の方に貼った記事のリンク先です。
ようは適材適所なんですよ。それが今の日本では出来ていない。それが出来ていない会社が多い。法定雇用率を達成させようとさせる為だけに「仕方なく」障害者を雇っているからそういった考えに至るのではないでしょうか。
というか、私は例え、楽して金を稼ぎたいだけの人間であっても、仕事をさせるべきだと思っていますけどね。
最後に
経営者という立場からすれば、生産性があるか無いか、という視点から物事を見るしかないという部分もあるかもしれません。そうしないと会社として成立しないからです。でも、「人間として生きる」という視点で見るとまた違ってきます。
障害者だって仕事の出来ない人間だって、人から褒められたいし、人の役に立ちたい。生きがいだって感じたい。社会貢献したい。
こういうのを堀江氏は自己満足だ。勝手にやれと言っているのかもしれません。勝手にやってもいいけれど、その多くは社会の役には立たないよ、と。
本当にそうでしょうか?
そういった人間をどうやって活用するか、というところも経営者の手腕にかかっているのではないでしょうか。
人間にだって、「早熟」や「晩成」といった言葉が当てはまります。
早期に能力を開花させたはいいけれど、長続きしない人間はいる。
なかなか結果は出せないけれど、ある日突然、能力が開花する人間がいる。
少しづつ能力が開花する人間だっている。
一生能力が開花しない人間もいるでしょう。
多くの企業は、早熟型の人間を「仕事の出来る人間」とし、ある日働けなくなればすぐにクビを切る。そして、次の仕事の出来そうな人間を入れる。こういったことが日常的に繰り返されています。
晩成型の人間を育てる体力が今の日本企業には無いのかもしれません。でも、「仕事が出来る」「仕事が出来ない」という二択に絞り、その片方が重宝し、そのもう一方を排除するような考えを広めてはいけません。
人間には様々なタイプがある。だからこそ面白い。経営者の視点がどうとか、そんなことしるか!!
だいちゃん(∀)