• 第15回MMD杯の総括及びランキング操作等の裏舞台について

    2015-09-11 12:5913時間前729

    ◆まずはじめにお断り

    まず初めに書いて置きますが、僕は文章を書くのは得意ではないので読みにくかったらもうしわけありません。
    加えて、自身の不勉強で統計学的手法を身に付けておりませんので、記載したデータの扱い方は主観的で交絡が混じったものになっているかと思います。その点ご了承ください。

    さて、MMD杯も15回を数え、公式上は、おそらくは無事に終了しました。
    しかしこれは「杯」と名の付くイベントですから、作品には順位が与えられます。ご存知MMD杯は作品個々の「マイリスト数」でソートし、それがそのまま順位となります。
    そして、このイベントは毎度2週間の投票期間が設けられており、当然その間は杯ウォッチャーは順位の推移を見守ることが出来るのです。その過程で一部の方々から不平不満が漏らされ、各々の持論を交わし合っていたようです。これも毎度のことですね。

    なぜ、MMD杯にもニコニコにも運営として関わっていない一般ユーザーである私が偉そうにこのイベントについて語ろうとしているか。それは私がMMD杯の順位を操作したからです。そして、それは今回に限った話ではありません。この記事は、そのような特異な立場にある私が犯行声明、あるいは暴露としてしたためた真偽不明の怪文書と捉えていただいて差し支えありません。

    ◆今回のMMD杯は数値上はどのような推移を辿ったか

    なお、この項は「MMD杯作品支援システム」http://angel-cup.ch2.cc/ からデータを用いております。
    おおよそ各杯における規模と特性を表すものと見做すことのできる「作品全ての合計値および平均値」並びに「ランキングを形成したマイリスト上位5動画」を取り上げて列挙します。




















    コメントは動画の特性に多分に影響する(動画毎にかなりバラつきがある)上、一人で何回もコメントしうる性質を考えると規模を表すことが出来ない、と推定し考慮しませんでした。
    再生/マイリストの総数がその杯の規模を、平均値がその杯の質的特性の傾向を表すと考えられます。
    特に投稿された作品総数はその杯の規模および当時の杯に対する関心の高さを示すものと見て良いでしょう。

    なお、杯終了時における作品全ての値を得ることはこちらでは叶いませんでしたので、本データは中央値を得ることはできず、平均値および合計値のみを用います。しかしこれには信頼性に問題がありまして、
    「マイリスト数、特にマイリスト数上位の複数の作品に対する大規模な水増し操作が行われた」というまことしやかに囁かれている噂=仮説に立つと「マイリスト平均値の単純比較」に対する信頼性が損なわれてしまうからです。

    しかしながら、「順位操作を目的としたマイリスト水増しが行われた」という仮定からはこのような推測も出来ます。
    MMD杯はマイリストのみを順位の対象とするから再生数は操作されていないと仮定すれば、再生数の平均値に限れば信頼性は高いと言えるのでこれを全体的な傾向の判断としうる、という理論です。
    しかしこれに従って投稿数-総合再生数でもって近似曲線を書いたところ想定以上に相関が出ませんでした。
    そういうことなので、ここで合理的に図説することは諦め、最近7回まで遡って杯の上位のマイリストを並べて見て「感覚的に」第15回と他の差異を見てみます。



    全体的な傾向に統計的に合理的説明を付けることは出来ませんでしたが、上位に限って見れば第15回は誰から見ても異常ですね。
    優勝作品は5万ものマイリストを獲得する、という長年のお約束は破られ、5万で横並びして決着がついた前回第14回とは違い失速の感があります。
    第15回の異常性はこんなところにも現れています。第1回まで遡って「マイリストの総合値」を示します。



    再生総数に対してマイリスト総数は高い相関を示す中、第15回だけが、その再生数からは不釣り合いなマイリスト数を出しています。

    この項の纏めとして、youtube板の名無しさんからの投稿グラフを載せておきます。各数値について全体を通しての最高値を基準にしており、これまでの歴史的推移が一覧出来て分かりやすいですね。このグラフでは第8回優勝作品の圧倒的マイリスト数を弾いて分かりやすく示してあります。


    さて、ここまでご覧になって「第15回のマイリスト数が何だか低調だったらしいぞ」ということが理解されたかと思います。
    一方で、それ以上の統計学的な説得は難しい、場の雰囲気に左右されるようなイベントであるとも言えるのかもしれません。
    次の項からはいよいよランキング操作・マイリスト工作という公式的には語られることのない部分を中心に、この不確かなMMD杯の現象を説明します。

    ◆今回のMMD杯に対して私はどのような介入をしたか

    工作というのは「何を持って不正・異常値と見做すのか」素人目には断言し辛いものです。
    それを工作実行者である私が「何をどうやった」と証言することは、これ以上ない証拠を与えるものであります。
    そして、他者が関与した工作についても、同業者特有の理解がありますので、現象を見て裏にどういった力が働いているのかといった推察は他の方よりは正確であるはずです。そういった視点で解説します。

    まず、私自身どういった介入をしたのかご説明します。今から書くことは100%正しい。これを見たあなたが私を信用すれば、の話ですが。

    ・第14回MMD杯について
    まず私が関与したMMD杯は第14回と15回に限られる、という話を信じてもらいましょう。
    第14回はマイリスト上位の動画、具体的には1位~8位全ての順位に関与しており、それは閉会前日までの暫定的1~4位を予めマイリストを水増しすることで確保し、5~8位のマイリストを増やしつつ1~4位のマイリストを全て削除することで順位の逆転を実現する、というドラマチックなものでした。
    しかし、「一般男性」動画全てに関わった訳ではなく、「悪魔」「脱糞」は私が関与するところではありません。
    前項の図をご覧頂ければ上位4動画が異常高値を示す第14回の様子から、私と他工作員の予期せぬ一般男性戦争の「共闘」が見て取れると思います。






    ・第15回MMD杯について
    第15回は他工作員の不在、マイリストの低調進行と異例尽くしの滑り出しでありました。
    そういった状況下では私が関与すれば1位を奪取出来ることは余力を持たせても確実でありました。そこで、前回の少数精鋭がランキングを独占した華々しいデビューから多彩な作品が投稿された一般男性をどう扱うかが問題となり、「麻原彰晃掲示板」の住人と話し合い、何をどのような形で優勝まで持ち上げるか事前に決定させる余裕がありました。
    最終的には「生まれる」というクッソ汚い前衛芸術を、萌えキャラダンスと技術力誇示の異世界に登らせることが最も面白い絵であると結論づけ、実行しました。
    例によって事前に対抗馬に積んでおいたマイリストを削除するイベントもこなしましたが、第14回の「逆工作」に比べれば小規模でした。これに加え、やはり他の工作がない状況というのは寂しく、張り合いがないものですね。これをご覧の皆様、次回は楽しませてください。

    参考画像:第14回のネスカフェくん、コメント大荒れに必死の弁解



    参考画像:第15回のネスカフェくん、今回もドラマチックな終劇が待っていた


    ◆ランキング操作の歴史的経緯について

    まずご説明申し上げたいのですが、巷で言われている通りMMD杯にマイリスト操作は行われてきました。
    しかし、やはり実際と皆様の理解に隔たりがあるようで、例えば企業や運営の介入といったものは存在しません。特定ジャンル支持者による「集団票」といった動きも否定しておきます。
    MMD杯の順位決定に必要な数万単位のマイリストを操作しうる「工作力」を人が限られており、いくら多勢が関与しようとしたところで、一体となってマイリスト操作を行う団結力は何処様にもないからです。

    この項も図を交えて説明を加えます。



    まあふざけた図ですが、内容について間違いはないはずですよ。
    どこが優勝したとか、どこが不正操作してただろうといった歴史的事実は図の通り、皆様もすんなり思い出されるかと思います。
    おそらく気になるのは「第4回~第11回」までの「大工作時代」でしょう。
    実はこの時期、無限かつ高速にマイリストを増やせる仕様の甘さが存在したのです。
    今はこういったことは出来ません(出来ないことになっている)ので明らかにします。
    まず、適当なニコニココミュニティーに任意の動画を登録します。そうすると、10桁のIDが発行されますよね。このIDを使って動画をマイリストする。そうすると、同一の動画が同じマイリストに何度も登録出来てしまう。例えば、(sm114514と、それがコミュニティーに登録された1145141919が同じマイリストフォルダに存在する)

    酷いですね。しかし、もっと酷いものがあった。同様の理屈で、動画をマイ・メモリー登録する。帰ってきた10桁IDでマイリスト登録する。登録した後にマイ・メモリーを削除する。ここからが輪をかけて酷い。マイ・メモリーを削除すると、動画として既にニコニコから存在しないことになり、マイリストを削除してもマイリスト数は減少しないのです。しかもこの2つの方法、時間経過でIP重複を無視してマイリスト数が増えますから、ごく少量のアカウントで無限にマイリストが増やせた。

    この利用法が最も生かされたのは第10回、11回のアイマス2連覇の際です。
    なぜ私が直接関与していないアイマス2連覇が工作であると言い切れるのか?実は知り合いの工作員とアカを共有していまして、そのアカに大量にマイリストされていた様子を目撃していたのですね。正確に申し上げると確かな証拠を得たのは第10回のみですから11回は誤認かもしれませんが、個人的にはこれも怪しいと睨んでいます。

    一方、12回13回の艦これ2連覇の時期は巷の憶測と反して、実はクリーンな実態だったのではないのかと推測しております。
    「決定的な事実が観測されない限りは黒としない」疑わしきは罰せず、推定無罪の原理です。ああ、ちなみに私は艦これは嫌いです。エロは別ですよ。

    実は第10回のアイマス動画のマイリスト操作に関与した人物、あるいはその方と協力関係にあった人物が第14回の一般男性の工作に寄与したと私は疑っております。状況証拠ですが、80%くらいの確率で正しいと考えております。この記事に反応してくださったら、この場で正します。

    追記1:「お前”自分が関与したのは14回から”という発言だが第12回MMD杯の艦これにも関与したよな」
    はい。このことです。


    この動画はランキングに載った直後、投稿者による削除となりました。削除動画は失格の扱いとなり、上の統計にも含まれておりません。
    削除されて存在しない動画は元々なかったことと同じ。ランキングから消えたのだからランキング工作ではない。MMD杯から消えたのだから、仮に途上のMMD杯には関与したのかもしれないが結果的にはMMD杯には何ら影響はなかった。それは分かるよね。

    ◆独自の考え

    MMDはニコニコに出始めた当初から知っております。杯自体はゲキド・オブ・ハツネをよく覚えているので遅くとも2回からはきちんと見ております。
    Lat式が現れてからは技術その他の部分も向上してきて、これまでのネタやお遊び的要素が強かった風から認識が一変し、これは本当に可愛いもんだと夢中になっておりました。当時は、将来的にはボカロPVのほとんどがMMDに置き換わるもんだと予感していたのをよく覚えています。
    MMD杯を通して最も好きな動画は第4回の「Chaining Intention」です。MMD杯が観る側として楽しかったのは個人的にはこの頃ですね。
    私は間違いなくMMD杯のファンでした。昔はニコニコそのものも毎日夢中になっておりましたが、MMD杯は特に楽しみにしていたフェスティバルでした。
    工作する能力がMMD杯を飲み込むまでに進化したときも、これを侵してはならないと決めていました。そうです、私はMMD杯を神聖視していました。
    その意識が変わったのは、やはり第10回以降です。第10回でアイマスに嫌がらせ的に粘着していた彼は一時期は別の部分で私と目的を同じくする同ジャンルの者でしたが、その信ずるものがなくなり離散して、いつの間にかここまで堕ちてしまったのはショックでした。

    工作は核兵器のようなものだと思います。
    常任理事国にのみ保有を許された核兵器、目に見える形の影響力の暴力は蜜の味ですが、あまりに堂々と核兵器を用いるとニコニコ運営によって規制を強化され、自らも滅びてしまうことになります。
    この力を持つものには戦力維持に膨大な出費を強いられます。保有するからにはその力を行使せねばそれだけで損をしているとも考えられるのです。
    MMD杯のようなマイリストで全て順位が決まってしまう大舞台というものは、こういった力の矛先を求める工作員の格好の標的になるのです。よく言われるように、「動画信者の支援」だとか「うp主の自演」だったり「企業の宣伝プッシュ」という認識は誤りです。
    工作というものは、もちろん発覚しないこともありますが、下手を打てば大変風評にマイナスに働きます。
    不正がどうとか公平性的にどうとか、そういう倫理の問題に留まらず、正しい推移に水増しを加えるものですから、注意深く見られれば必ず発覚するものです。
    では、なるべく発覚しないよう低速度かつ長期に渡って水増しを行うとどういった風に見られるでしょうか?
    私は、それはごく一般的な推移の範囲だと認識します。露見しない不正が仮にあったとしても、正常の周囲と一体化したそれはもはや不正とは呼びません。加えて、多くの場合、そのような低速度ではランキングには浮上しない程度に収まります。本来ランキングにあるべきでないものを無理に押し上げるという定義の「工作」の範疇から外れてしまいます。工作は露見しないよう高度に、高貴になろうとすればするほど、本来の姿からは離れてしまうのです。

    すなわち、スキャンダルとして発覚することを恐れず力を行使する人は多くの場合、愉快犯です。
    その振る舞いも、何か深い意図あっての行動であることもありますが、完全に無作為的に、手当たり次第に選ぶケースも多いのです。
    工作されることを許容する雰囲気にあるジャンルもターゲットに選ばれやすいと思います。工作する対象を狙っている愉快犯的工作員は、後付け的に介入を正当化する形で飛びつきます。
    私は確固たる信念を持って一般男性の布教に身を投じましたが、これから別の方がこれを押し上げたとすればそれは愉快犯による可能性が大きいでしょう。

    ◆最後に

    仮にもニコニコのドメインの中である、こういった公式の場で、当事者がここまで馬鹿正直に工作について語ったことはこれまで無かったのではないでしょうか。
    これを書く決心をする過程で熟慮逡巡を経ました。ひとえに、これを区切りとしたいのです。
    ニコニコ運営からの規制も歴史的にかなり厳しいものとなり、大規模な工作をする上で技術的に、労力的に厳しいものになった、そういった個人的な事情もあります。
    しかし、この工作員に対する「締め付け」は上からの警告であり、見過ごすべきでない意思表示であると思うのです。
    もちろん、ランキングを利用するニコニコユーザーやMMD杯のファンに後ろめたい気持ちがないわけではありません。
    そういった申し訳ないという気持ちを完全に捨て去る決意で毎回事を行っております。
    時々、「ニコニコは工作とともに歩んできたから」という声を聞きます。しかしどうでしょうか。もうそういった意見が許される時代ではないと思うのです。ご存知、私含め工作員は喧嘩上等の姿勢ではありますが、受け容れられない手段にいつまでもしがみついていられるほど惨めではありません。こちら側に都合の良い言葉を使うなら、「工作員に都合の悪い時代になった」とでも言うのでしょうか。何も信ずるところのない愉快犯的人物ばかりが残ってしまったことも、別の見方をすれば行き場を失った工作員たちの悲鳴でもあるのです。
    核戦争の終わりには荒んだ大地だけが残ります。草も根も生えぬ土地が残されます。稲が生えたとしても「怪しいお米セシウムさん」として風評を引き摺ることになるでしょう。
    ランキングやイベント、良くも悪くもそれは時が経てば忘れられるもので、結果を弄ったところで何も生まれない、旨味も何もないと言われます。
    しかし、風評は残るのです。流れ行く時は連続的なものです。これを無かったことには出来ない。失った名誉は不可逆的な侵害とし残り続けます。
    一つの工作は数々の邪推を産み、MMD杯の名誉を、未来を汚してしまいました。そしてその責任は工作員たちに、私にあります。



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  • ニコニコにおける流行の移り変わりに関してなんちゃって考察を

    2015-04-18 18:4184


    まず初めに書いて置きますが、僕は文章を書くのは得意ではないので読みにくかったらもうしわけありません


    ランキング予想スレから多数引用
    http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/streaming/1424869619/


    ■今年を振り返る流れに

    866 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2015/04/17(金) 14:03:46.92 ID:9aDswrTr0.net
    今年1/3が過ぎ去ったところだがニコニコで何があった?
    デカキンって今年に入ってからだっけ?デカキンは面白かったよ

    に対して

    867 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/17(金) 14:08:13.24 ID:See5Jj5l0.net
    お前全然ニコニコ見てないだろ

    というツッコミが入った。実際ニコニコは首を深く突っ込んで見ていない(タグ検索やランキングを見ていない)から黙ってスレの流れを追うことにした


    ■今年もプチ流行は続いているという評価の声がある一方


    869 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/17(金) 17:03:59.72 ID:rOZtT6k/0.net
    便乗ブーム系だけでも結構ある
    ・ドラゲナイ
    ・あったかいんだから
    ・キリン メッツCM
    ・尊師
    ・エンゼル体操
    ・刀剣乱舞
    ・デカキン
    ・ぽいぽい
    ・オムライスRTA
    ・ヘスティア

    871 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/17(金) 21:48:00.50 ID:OlRTbVhQ0.net
    なんだかんだ言って今年もわりと豊作な方だな
    問題はスレ民を含めたニコ厨がそれをどれだけ大事にできるかだが

    (要約)875 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 00:01:47.74 ID:XNVV9+Hq0.net
    >2008年の頃のブーム、それこそイケメンとかIKZOとかも
    >当時の勢い自体は今と同じかそれ以下の一発屋と言っても差しつかえない程度だろ
    >ニコニコが積み重ねた歴史の一つとして扱わず最近の活気の良さから目をそらしてるんじゃねえよ


    876 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 00:52:27.83 ID:hos6t7x50.net
    小ブーム感はあるけどブーム感がない
    ブームってなんだよ(哲学)

    877 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 01:38:11.51 ID:lz5lDYtT0.net
    確かにブームがあるのは否定しないけど
    ランキング限定にするとあまり盛り上がってる感じが薄いんだよなぁ
    というよりランキングにおいてブームの兆しがあっても
    それと関係なくブーム無視の実況動画等で埋め尽くされて追いやられている感が・・・

    878 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 02:38:43.28 ID:U9ngZbH/0.net
    >>876
    自分がブームの内側に入っているかどうかでしょ
    偏食のスレ民はもう無理な話だけど

    879 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 02:53:27.37 ID:5JCJJqxP0.net
    ムーブじゃよ

    ■予想スレ民の感覚と今現在の「流行」の違和について

    884 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 11:32:22.66 ID:9FwPfFNt0.net
    ここのスレ民が求めてるのはもっと全体的に盛り上がってるものなんだよなあ
    そういう時代の思い出から逃れられない老害だらけだからね

    885 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 11:38:58.69 ID:eoWr22h00.net
    全体的に盛り上がるのはもう無理

    886 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 11:54:24.57 ID:C9JyEnXu0.net
    全体で盛り上がるってなると去年でいうアナ雪妖怪ウォッチクラスかな
    もう日本全土を巻き込むレベルの流行じゃないとそれは無理だわ

    887 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 12:06:44.38 ID:+MC2JiqZQ.net
    >>886
    後は佐村河内や野々村などの
    キセキの世代2014年関連とかあったな

    888 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 12:29:44.71 ID:9FwPfFNt0.net
    日本全土とかネット以外と関係なくニコニコの中だけでそれが起きてたのはやっぱり素敵な奇跡(本物)なんだよなあ

    889 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 12:35:51.22 ID:0tQKxF/m0.net
    世間と同じ基準でしか盛り上がれなくなったのはニコニコが一般化しちゃったってことやね


    892 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2015/04/18(土) 15:19:02.77 ID:E+lSUrX20.net
    何もかんも一般化が悪い
    オタク同士で需要と供給が成立してる駄サイクル倉庫の頃の方が良かった

    ■以上を踏まえて「ニコニコでの"流行"の移り変わり」について私なりに総括


    >小ブーム感はあるけどブーム感がない
    >ランキング限定にするとあまり盛り上がってる感じが薄い

    というスレ民感覚に同意する一方、

    >当時(2008年)の勢い自体は今と同じかそれ以下の一発屋と言っても差しつかえない程度
    >(2014年に続き)今年もわりと豊作な方

    である事実も理解出来る

    >全体的に盛り上がるのはもう無理

    全体的に盛り上がっている感が現れるのは「ランキングに上がった動画から派生して色々な動画がまたランキングに上がる」という時期が続くことで、
    もはや今の「流行」はランキングを主な舞台にしない形で「流れる」ものだということだ

    ではその「流れる」とはどういったものか

    >小ブーム感はあるけどブーム感がない
    >自分がブームの内側に入っているかどうか

    それはこの違和感を説明するものであり、

    >ムーブじゃよ
    まさにこの一言に尽きる
    つまり、ランキングに現れない人の移動=「ムーブ」である
    消費しては次の消費に喰い付く大きな集団の流れであり、この受動的消費人は「空気」を読んで次の流行りを察知するアンテナを張っている
    この人々の感覚とニコニコのランキングを主軸とする予想スレ民に感覚の隔離があるのではないか?
    だから消費する集団に遅れ、自らはムーブすることも出来ず、そのムーブの奔流から疎外されるのである

    では、実際にニコニコを巻き込んで大きく盛り上がった
    >アナ雪妖怪ウォッチ
    >(佐村河内や野々村など)キセキの世代2014年
    これについて考える

    2014年のこれら流行は全てテレビが伝達の舞台となった流行である
    この流行を「キセキの世代」と命名し騒ぎ立てていたのはTwitterの人々で、ニコニコの流行りはあくまで2次的に派生した形に過ぎないということ、

    つまり、「日本中が沸き起こる」ようなフィーバー、消費する集団を大きく動かすことの出来る媒体はテレビ、それをネットの隅々まで波及させる役割はTwitterが担っている
    ニコニコが登場した06年は動画共有サイトというものがまだネット民には珍しく映って活気があった訳だが、
    SNSを使う勢力の台頭、特に2011年以降はテレビ番組も積極的にTwitterと連携させて、スマホの普及の効果も相まって現実-ネットを結ぶネットワークが形成された
    ニコニコも、大会議を拡張させた超会議なるイベントやニコファーレ等現実とリンクさせたネットの大プラットフォームとしての地位を現実でイベント化することで目指しており、相対的に動画共有サイトとしての存在感は薄くなったように思う

    これの状態を表す言葉は、
    >世間と同じ基準でしか盛り上がれなくなったのはニコニコが一般化しちゃったってこと
    「一般化」であり、独自の文化を持つ場所という性質が薄らぎ、世間一般の人間と同質になったということである

    これに対する「ニコニコの独自性」については次の項で書く

    ■ここまで来て書きたくなったので"流行"の話題から離れつつニコニコそのものについてちょろっと考察

    思うに最近のニコニコは、いわゆる何かを他のユーザーと共有して居付く場所というよりは、何か動画を見に来て直帰するコンビニか、動画倉庫か、といった使われ方にシフトしているように思う
    これまでニコニコと言えば独自の文化を表したアニメや実写系のMADとコメント文化であり、東方・ボカロ・アイマスと言った御三家が勢力を持つと知るネットユーザーも多い
    ニコニコ御三家は07年から3年、4年はニコニコ内で一文化が完結し続けていた、いわゆる
    >オタク同士で需要と供給が成立してる駄サイクル
    を表すモデルとして捉えられ、現在の「テレビなど他所から輸入したネタがニコニコでMAD化される"一過性"の流行」と対照的な側面を持つ
    一過性で飽きられ終わるから独自の発展が見られないのだ

    最後に、ニコニコ全体を俯瞰する上で今のネットを表すSNSと対比的にニコニコの独自性に焦点を合わせて文章を閉じる

    ニコニコ独自の機能であるコメントが使われなくなった理由が、ニコニコ利用者がコメントよりSNSでの共有に関心が向かったことだという考察がある
    SNSはその名の通り社会性を伴うが、その非匿名性故に発言にはSNSでの地位向上といった社会的報酬がある
    一方匿名的であるニコニコのコメントは何ら見返りは期待出来ない。かつて「面白いコメントをして笑わせてやろう、どんなつまらない動画でも、コメントで面白くしてやろう」という意気、活気が失われた理由はここにある
    また、ニコニコは動画に同期させてコメントをすることにより「場面の共有」を多数のユーザーとしている「一体感」を売りにしていたが、当然ユーザーは時間同期的にコメントをしているわけではない
    つまりニコニコの「一体感」とは「擬似的な同期」を元にするもので、SNSのタイムラインで感じる「真の一体感(時間的社会的一体感)」を経験したユーザーはニコニコのコメントに熱気を感じなくなり積極的にコメントをしなくなるのではないだろうか
    また別の見方をすれば、匿名性というものは社会的リスクから免れるメリットがあるので、元々悪意が満ちた荒らしコメントが投下される傾向にあるのだ
    動画に関するコメントは一体感を捨てレビュー的になり、批判的になり、ニコニコ独自の言い回しは減り続ける一方、コメントが一体となるとき炎上装置として働くだけ...

    こういったわけで、SNSの登場とともにコメントは量的にも質的にも低下し始めたのではないか?

    ニコニコは「馬鹿が馬鹿をやる場所」として長年付き合ってきたが、「テラ豚丼」などのネット炎上としての舞台もバカッターに移ったように思える
    ニコニコ独自の創作・便乗的加工文化が薄れ、どんな動画も面白くしうる装置であったニコニコ独自のコメント文化も劣化した

    馬鹿をやる冒険心、不特定多数を笑わせようとする熱心が現れたコメントなど、なかなか出会わない最近だ

    これからニコニコは何処へ向かうのだろうか?