あと1778日。2020年7月24日に東京五輪は無事に開幕を迎えているだろうか。メーン会場の新国立競技場に続いて大会の象徴であるエンブレムも白紙見直しとなる相次ぐ失態に、本気で心配になってきている。ビッグイベントの予定通りの開催を不安にさせるのは通常は準備の遅れなのだが、今回は準備運営する側の組織の劣化、欠陥が根元にあると考えられるだけに、ずっと深刻な事態といえる。国民の五輪に向ける視線も開催が決まった2年前とは様変わりしたようだ。
■遅すぎたエンブレム白紙撤回の判断
エンブレムの使用中止に関して、大会組織委員会の決断が遅すぎたことは否めない。そもそもエンブレムは大会の象徴としてその価値を高め、ムードの醸成や資金集めのためのビジネスに活用されるものだ。そのイメージが傷ついてしまったら、もはや存在する意味を持たない。模倣かオリジナルかは関係ない。巨費を投じるスポンサー企業にとっても、イメージの悪いエンブレムを使い続けられたらたまったものではない。
今回でいえば、ベルギーの劇場からの抗議は「いいがかり」と退けられても、作者の佐野研二郎氏の名でなされた別の仕事で、本人が認めざるを得ない盗作が発覚した段階でアウトだった。エンブレム自体に欠陥がないとしても、そのイメージは作者を含めた関係者全員でつくっていくものだ。無数のネットユーザーによる調査の標的となった佐野氏は気の毒だが、イメージを傷つける不手際の責任は免れない。同時にこの問題で組織委が責任を問われるのは、現時点では取り下げになるエンブレムを選んだことより、むしろ撤回の判断が遅れたことだろう。
新国立についても、ずるずると放置されて決断が遅れに遅れ、最後は首相が決めるという異例の事態となった。こちらは文部科学省の担当であって組織委の責任ではないが、共通しているのは「集団的無責任体制」による問題の先送りだ。なんでも計画通りに進んでいるうちはいいのだが、いざマイナスの方向に修正や方針転換する必要を迫られると、誰も負の決断ができなくなる。責任の所在が分からない。泥をかぶるリーダーがいないといってもいい。
■組織委トップの不人気が負の影響
「なんとかなるだろう」「誰かがやってくれるだろう」と、決断が先延ばしされているうちに、取り返しのつかないダメージになるまで状況は悪化していく。こう考えると、問題は五輪に限ったことではなく、この国全体の大きな組織にまん延する「はやり病」のような気もしてくる。
新国立は「このままでは国民みんなで祝福できる大会にできない」(安倍晋三首相)、エンブレムは「(オリジナルだとしても)国民の理解が得られなくなった」(組織委の武藤敏郎事務総長)という理由で、ともに白紙見直しとなった。大会成功の鍵を握ると考えて民意にそこまで配慮するなら、もう一つ見直すべきことがある気がする。大会組織委会長である森喜朗元首相の存在だ。
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