はてなキーワード: タモリとは
進撃の諫山先生はとてもいい人なのだが、基本的に全然想像力が足りていない。
自分のメディアにおいて人を傷つけるのが云々かんぬんと言った上で、更に表現者として知らずに傷つけることも有るから想像力を持たなければ、とも言う。
この内情には自分を擁護するずるさも込みだからこそ、すみません酔っ払ってます、などという締め方すら用いる。
過去の仕事の事も考えて自分の仕事が仕事ではない気がする、とかつてタモリがなんとなく口にした言葉を今先生も述べているが、そもそもその発言自体今の立場の有り難さを全く理解していない。
諫山先生一人の名前と巨人というビッグタイトルが億の金を動かし、かつて末端のアルバイターだった自分の首を左右する金が動いている事も実感していない。
諫山先生は馬鹿ではないので、数字が動いているという事実認識はしているだろう。でもいきなり成功したから成功していない立場がわからない。
これに近い感覚を僕は中学校の頃に持った。皆が珍しがらないものをなぜ珍しがらないのだろうと不思議がる子どもだったのだ。
皆はそれをありがたいとも面白いとも思っておらず、僕一人が革新的なこと・楽しいことだと思っていた。
有り難さに対する無痛はどんな人でもなりうる状態で、健常な僕らが身体障害者の復讐にも似た惨めさはわからないだろう(『おそいひと』など)。
結局諫山先生の想像力のなさを追求しようとして、己の想像力のなさに至ってしまうところはある。
ただ、一つだけ答えがあるとすれば、人間は生まれた時から知らずに人を傷つけているのだから、そんなもんどうだっていいし、気にしなくても良い、と言い切れる。
俺はあまり洞察力もなく、思慮も深くないが、これまでの人生で「これは世の原理原則と言っても差し支えないのではないか?」と言えるほどの法則を見つけた。
それは「よく笑うやつは好かれる」ということ。
性別問わず、よく笑う人・表情豊かな人は好かれ、頼られ、仲間と認められ、出世する。少なくとも、そうなりやすいという法則だ。
好かれるやつは100%よく笑って表情豊かである、というのが成り立たないのが謎だが、人に好かれるため、人間関係を円滑にするために、「よく笑う」ことはとても有効なのだと確信している。
これはみつを的な戒めでも、自己啓発でもなく、ライフハックでもない。ただのよくある処世術のひとつだ。
笑いたくもないのに笑え、とか、終始笑顔で口角アップでモテ顔、という無理な話でもない。
ただ、相手の話に合わせて、自分でもちょっと大げさかな、と思える程度に笑い声を上げる。それだけだ。
それだけでいい。すぐに効果は現れないかもしれない。だが、それを癖付けると、周囲の反応が少しずつ変わってくる。相手と打ち解けるレベルが下る。俺はそれを実践し、その効果を少しずつ感じてきた。現時点で、その法則は成り立つ、と仮定し、自分の中では確信している。
思い出してほしい。合コンで人気のあの子は、相手の男の(どうでもいい)話にアハハと笑っていなかったか。サークルで中心人物を務めていたあの男は、お前らのくだらない笑い話にもガハハと笑ってくれなかったか。となりの部署の下っ端は、飲みの席や雑談でダハハと破顔し、愛嬌があるやつだと、少しずつ認められていなかったか。
お前らと来たら、昔の俺ときたら、そんなやつらを「なんだ大げさな。下品な。そんな低レベルの話題で笑ってんじゃねーよ」と孤高ぶって、話を振られても「フヒヒ」とか「フへッ」とか、息継ぎにしか聞こえない弱々しい笑い声を上げるしかできないんじゃなかったか。
人気者を眺めてみた。自分にとって好感が持てる人物を思い描いてみた。
どう考えても、自分が浮かべるシニカルな笑いしかできない人物ではなく、大げさにワハハと笑う男性、笑顔を見せて、口を手で押さえる女性がそれに当てはまる。自分の話題にそんなリアクションをされると、まんざらでもないんだ。きっと誰だってそうだ。
だったら俺もそうしよう。そうする努力をしよう。そう思って、実践した。
できないだって?難しいだって?クールで賢こぶってるキャラを捨てられないだって?
変われるよ、現に俺は変われた。
というネタはさておき、その法則に気づいてから、ほんのちょっと笑いのリアクションを高めてみた。
手を叩いて芸人のように笑うのは上級者しか許されぬ行為だし、現状との落差が大きく、ともすればDQNっぽく下品になるのでオススメできない。「フヒヒ」を「わはは」に変えるだけでいい。笑いたいときに、少しだけ大げさかな?くらいに笑ってみる。慣れないうちは違和感を自分にも相手にも与えるだろう。でも恥ずかしがることはない。素直に面白いと思ったら笑うんだ。それが相手を受け入れているというサインになる。自分にとっても、相手にとっても。最初は少し大げさに。続けていると慣れてきて、スタイルになる。それが継続的なサインになる。
結果、昔の自分よりは社交的になれたし、コミュニティにも打ち解けられたと感じている。初対面の相手であっても打ち解けやすくなった。気に入られることも増えた。仕事もうまくいくようになった。営業やプレゼンで結果を出せるようになった。
なぜこんなことを書こうと思ったかというと、最近「ブラタモリ」を観ていて桑子アナのリアクションがその法則を理想的に体現していると感じたからだ。あの笑顔、あの佇まい。タモリが面白いことを(たとえひとことでも)言ったあとに見せる笑顔と笑い声。作り笑いには見えない。毎回変わる案内人の一言にも応える笑い声。きっとみんな彼女をスキになるだろうと思う。その秘密はあの豊かな表情と笑い声だ。
俺自身、かなり彼女をスキになっている。恋愛対象としてではない。秘書にほしい。友だちになりたい。そばにいてもらって、話を聞いてもらいたい。同僚として笑いあいたい。そんな妄想が一気にほとばしる、すばらしい存在である。ぜひ番組で確かめてほしい。番組公式の写真からしてヤバイ。表情豊かすぎる。
他に好例を挙げるならば、「水曜どうでしょう」の藤村くんだ。大泉洋の話に律儀に笑い、出演者と視聴者の笑いを引き出す。カメラを超えて無遠慮に聞こえる「ガハハハ」という笑い声。彼のその姿勢は「水曜どうでしょう」が愛されるコンテンツになった大きな要因の一つであると確信している。無論、大泉洋の笑い声も素晴らしい(ただし真似するには大げさなので要注意)。
出演者は気持ちいいだろう。視聴者も気持ちいい。ガハハと笑ってくれる人。自分がそうあってもいいじゃないか。
笑わない桑子アナ、笑わない藤村くんが想像できないように、笑いはその人のキャラと雰囲気を容易に彩るファクターだ。それも、高い確率で、ポジティブに彩るのだ。それにより、あなたは今より少しだけ、世界に愛される。
その法則が分かったら、明日から、ちょっとおもしろい話を聞いたら、素直に笑い声を上げよう。シニカルなキャラ?世界への失望?そんなもの、快活な笑い声の前にはちょっとだけ薄まるだろうよ。
無理して手を叩いて笑おうなんて思わなくていい。つまんない話に無理して笑うな。
面白かったら、ちょっとだけ大きく笑う、それが鉄則だ。自分が面白い話なんてしなくていい。人の話に、心を込めて、素直に笑うんだ。常に笑ってる必要なんかない。
やがて、笑う門に福が来る。たぶん来る。
俺はあまり洞察力もなく、思慮も深くないが、笑いあう世間もいいもんだ。そう思う。
書きなぐった増田にたくさんのブクマ、コメントがついて大変うれしいです(ニッコリ)。
80ブクマ超えたあたりでキャズムを超えて、500ブクマ超えたあたりで人気から落ちて落ち着いた感じ。
話が長くなってすみません。おっちゃん話が長いんや。同じこと何回も書いてしまう。気をつけます。
もっと叩かれたり異論があるかと思っていましたが、同意いただけるコメントが多くほっこりしています(ニッコニコ)。
桑子アナかわいいよね~。大物になると見抜いた人がいた、なんてトラバあったけど、そのくらいのポテンシャルがある。
ヘラヘラ笑うのではなくて、笑いたいときに気持よく笑いましょう。自分が好きな笑い方ってあるはずなので、真似してみようぜ。
ではまたどこかの増田で。
ただひとつ言わせてくれ。
http://ui0723.hatenablog.com/entry/2015/07/22/195710
ってのを見かけて、怒りというか何つーか、何ともいえない気持ちになった。書いてる人は、個人的に心の底からそう思っているのかもしれない。しかし、だ。そこに本当に入りたかった人を見極められてるのか?その年その年の都合があるだろうけど、今年は数字が強い人がほしいからって落としておいて、本当に入りたかった文章に強い人は報われるのか???
タモリとかカーネル・サンダースの歳を書いて、頑張れ言ってるけど、世の中そんな遅咲きの天才ばかりじゃねえのよ。はっきり言って。そうなれって言って、信じちゃった人の多くは自宅警備員になるしかないじゃない。どうしたらいいのさ。
そう思うんだったら、ネットの世界にすら思いを吐き出さず、そういう気持ちを心の奥の奥底にしまっておいてほしかったよ、まったく。
一日一食はとても素晴らしい。
今まで食欲が無かったのは、朝と昼を食べているからだと気づいた。
一日3回も食べてれば、何を食いたいとかなくなる。
お腹が減った状態で買い物に行くと、今日は何を食べようかなとワクワクする。
当たり前だけど、3回食べるより1回のほうが食費が安く済む。
夕飯は、1000円買っていいことにしている。
それでも食費は3万円で済む。
天ぷらに湯葉にセブンゴールドにプレミアムビール、うまい棒プレミアムでも1000円だ。
なかなかの充実感がある。
これを夜中、増田をあてにしながらちびちびやるのが何よりの幸福だ。
今までなんで3回も食べていたんだろうと後悔する。
1回ならご飯はこんなに楽しいのに。
夕飯いっぱい食べたら太るだろうと思うけど、すごく痩せる。
同僚は今日も豚のように昼飯を食べている。
美味しいとか何も言わず、一度も箸を置かない。
きっと食べてない時の手持ち豚さに耐えられないのだろう。
俺は水を飲んでいる。
奈良って改めて魅力的だと思ったわけ。
いろいろいいもん持ってるのよ。
なのに控えめすぎるだろ。
京都に「古都といえばうちしかあらしまへん」みたいな顔されてもちょっと悲しそうな顔するだけで文句も言わない。
大阪に湯水のように金を使う中国人観光客をとられても「近鉄で難波から1時間弱やねんけどね…」と残念そうにつぶやくだけ。
鹿と写真とることにしか興味のない修学旅行生や、リュックサック背負って山辺の道を歩きに来るだけでほとんど金を使わないジジババだけで満足していていいのか?
と問われても、「まあのんびりしたところが奈良のええとこやと思うし…」ときたもんだ。
奈良がんばれよ。
って、2ちゃんねるの派遣スレでよく言われるけどなんか怪しいと思っていたけどやっぱりそんな風潮ないやん
「ノマド」ってバブル期の「フリーター」と何が違う?③~「会社に縛られない自由な生き方」としての「フリーター」~
『笑っていいとも』の素人参加企画で、タモリが出演者に「なにやってるの?」と聞いたら、
そのときにタモリが「それ言うわけ」と、すごい引いてたんだよね。
http://student.mynavi.jp/freshers/senpai/point-of-view/2013/03/post-10.html
同じようなのに「ハケンの品格」で派遣が持ち上げられてうんぬんってあるけど
あのドラマで派遣は基本的に待遇の悪い可哀想な人・差別されているって設定だったぞ。
どこのホテルかまでは書かないし、一部ごまかしや嘘も織り交ぜて書くけども、読む人が読めば俺が誰だか分かるだろう。
最初は辞めるつもりはなかったのだが、以前から出勤率があまり良くないことがホテルから指摘されていた客室清掃業務を委託している我が社は、以前から応援で結構な頻度で入っていて現場をそこそこ知っている俺をその責任者の休みの日に責任者代行にしようと考えた。
だが、その我が社のやり方を以前からよく思っていなかったその責任者は、やめると言い出し、俺とは別に仲が悪かったわけではないが、ろくな引き継ぎもせずにほぼ唐突に現場に来なくなった。
それも尋常ではない不足。
単純計算だが、平均で必要な人員数の半分にすら満たないこともあるくらいだ。
数百室の客室があるホテルで、結構な人気もあり、満室である日もかなり多い。
委託している以上、どんなに人員不足であろうとも、絶対に毎日、必要な全室を清掃しなければならない。
しかし募集を何度やっても、まるっきり人が集まる気配もなく、そんな状態が何年も続いてきた。
そんな状況でどうやって何年も業務を続けられてきたかについては言わないが、しかし、そんな現場をずっとやってきたのだから責任者がそのストレスに耐え難くなるのも無理は無い。
そもそも無茶なのだ。
人を集められずに仕事を続けるなんで、はっきり言って我が社は無能だと思う。
ホテルというのはどこでもそうだけど、その当日の朝にならなければ、何室清掃しなければならないのかは判明しない。
空いてる部屋があれば売る、当たり前のことではあるけど、その前日に泊まった部屋の数で清掃数が決まるわけだからこればかりはどうしようもない。
ホテルで仕事しながら変な話だが、だから売れ行きが悪いほうが我々にとっては喜ばしい事態となる。
だから、その当日の朝にフロントから清掃数を知らされるまでストレスが続く。
スタッフへの指示や指導は当然として、各スタッフに対して処理すべき部屋数を指示し(スタッフの能力や個人的諸事情により部屋数は変わるからほんとにややこしい)、各部屋の備品の状況に応じてそれらを準備したり、あるいは在庫管理や発注、スタッフには出来ない特殊な清掃作業、フロントとの直接対応、客の忘れ物の整理、毎日の業務報告の作成、スタッフの労務管理…普通の会社なら多くの人がする仕事を全てほぼ責任者一人でやらなければならない。
清掃人員数は数十人。
そんなのを毎日やってたら頭がおかしくなるのも無理は無いし、その上での人員不足なのである。
だから、応援してきてある程度知っているつもりであった俺であっても、いくらなんでもまともな引き継ぎを受けずに責任者やるとか、無茶苦茶だ。
なんにも教えられなかったとまでは言わないけども、実際にやってみると、おかしなことが次から次へと発覚したしね。
例えば、客室清掃と言っても部屋の仕様によって作業量が変わってくるので、ある程度はスタッフに支払う料金を変更しているのだけども、今までのやり方ではアナログ過ぎて間違いが頻繁に生じかねないことは明らかだった。
数十人のスタッフについて、個人別に仕事の量や質で事細かにデータを打ち込まないといけないのに、自動的に集計できるシステムの整備があまりなされていなくて、記録との照合もかなり難しい状態だった。
ほんの少しだが調べてみると明らかに付け間違いもあった。
「これはマズイぞ…」と直感した。
しかも、そのデータの元になる証拠書類は、給与支払いを終えるとすぐに処分されていた。
つまり、スタッフに支払っている給与が正しく計算されていなかったのである。
俺は早速、作業量の集計システム整備に取り掛かった。
ネットに繋がってはいるけども、別に本社のサーバーとかと繋がっているわけでもない。
俺には大した知識も技術もなく、ワードやエクセル、ほんのちょっとだけマクロが書ける程度だ。
多分そんなのは普通はRDBMSとか使うんだろうけど、俺はエクセルでやるしかない。
しかしエクセルって、特に古いエクセルは貧弱なんだよね、意味不明のバグとかも結構あるし、なおかつ結構な頻度で落ちる。
作ってたらファイルサイズはどんどん肥大するし、重くなるし、意味不明なバグには苦しめられるし、ただでさえ他の仕事に忙殺されながら、しかも引き継ぎもろくに受けてないから知らないことだらけで苦労して…体重がたったの一週間で五キロも減った。
毎朝5時に起きて、帰るのは夜10時を回ることもあるし、なかなか休めないし。
一応、最近はどういうわけだか以前からすると嘘のようにどんどん新人が入ってくるんだけども、その人達を研修しなくてはいけないし。
クレームもバンバン入って、こないだはある客室が清掃してないのに清掃したことになってて、むっちゃくちゃ怒られたし…。
多分過労死するんだろうと思ってる。
悔いはないけど、入る会社は間違えたとは思ってる。
追記:
ホッテントリ入りして驚いてる。
「受託」と「委託」を間違えてしまったのは恥ずかしい。意識朦朧の毎日なので日本語のおかしいのも許してタモリ。
エクセルを頑張らざるを得なかったのは、スタッフの給与に絶対に間に合わせる必要があった為である。
それなりの歳なので、特に資格や特殊能力があるわけでもないので、そうそう簡単には辞められぬ。
上手くいけば、もしかして、評価を上げられる可能性もないことも無いかなとの期待もないわけではないわけではないわけではない・・・・。
一応、PC以外ではあるが古かった機材も色々と買ってもらった。
労基に駆け込めねぇ・・・・ホテルではないけど、前に似たようなことをした事があるんですよね。その結果、会社に丸め込まれてしまい、そういう人だと思われるようになってしまって(笑)
過労死はさすがに言い過ぎかもしれんけども、欝にはなるかなぁ、間違いなく。
ずっと髪を短くしたくて、でもいちいち周りの人から「おっ?髪きった?」ってタモリさんばりに言われるの本気で嫌で切れなかった。
でもやむを得ず切った。
ライブにいくから綺麗にととのえる、という大義名分を利用して美容室に行った。
もちろん「そろえてください 」というオーダーも可能だった。
でも欲求が勝った。
「かなり短くなりますけど?」とローマの休日以来はびこるお決まりのセリフを言われ、
「おねがいします」とオードリーになりたかったわたしは答えた。
切った結果やはり楽だ。
知ってる。この楽さ。
髪乾くの速ウィーーー
抜け毛なんだか少ないように思えるーー
でも出勤するといわれる。しかたない。
「あぁ、誰かと思った」
「昨日の見積のやつどうしたの?」
同期の同僚のことば。いいぞ、スルー大歓迎だしわかってるなお前…
「あのさ、この伝票なんだけどさ!」
事務のおばさまのことば。いいぞ、ガチなスルーだありがとう好きになったよ!
「かわいくなったね」コロス
「どうしたの?イメチェン?」イメチェンてなんだ。お前もコロス。
「わぁー!わぁ!(ジェスチャーで指チョキチョキ)」昭和やめろ。わたしも昭和だから。
「なんかあったの?大丈夫??!」昭和やめろ。失恋で髪切るイコールやめろ。わたしも昭和だっつうの。
友達たちはいいんだ。話題のひとつだし。興味さしてないだろうし。
たのむ。なにもいうな。
いちいち言ったのは怠惰なやつだけだった。
もう一度言う。
たのむ。髪を切ったごときで、何も、いうな。
タモリの豆腐丼と、前に鯖カレーさんが豆腐+めんつゆ+ごま油+七味を推してたような記憶から適当につくってみたらなかなかうまかった。ただし見た目は悪い。ぜひお試しあれ。
根拠によらずに何かを言われたとき、その内容の強度や正当性や、得られる納得度が、何によってもたらされ、裏付けされ、保証されていると感じられるか。
最後の最後のところでは、その人の重ねてきた経歴の起源にある、原始的な帰属分野にあるんじゃないかと思える。
例えば、ビートたけしなら、なんとなく理工系の知見が通底しているように思える。
司馬遼太郎なら、旧陸軍の一兵卒として終戦を眺めた、モンゴルだかどこかの語学の学校を卒業した学生。
原始的な帰属分野のスコープが広いものであれば、著名になった以降の発言についても、そのスコープの及ぶ限りにおいて、なんとなく通用しているように錯覚することができる。
松本人志なんかは、どうなんだろうなぁ、と思うことが多い。
結局どこまで言ってもお笑い(それもごく限られた分野での笑いの作法。たまたま現在の日本において主流的な地位にある)だし。
最近だと父親げなことを言っているけれど、それもまた結局のところ、いわゆるそこいらの父親だ。
尾ひれがつくとしたらお笑いのスコープが及んでいる部分でしかないだろう。
コメンテータとかやってるのを不思議に思う(とはいえ、その発言が、世の中で重く受け止められているような気配はあまり感じられない)。
週刊誌の連載に基づいた著作があったりしているけれど、結局、お笑いの立場からのものであって、そのスコープの限りのものでしかなかった。
万人の納得を誘うものではなく、また、それを狙ったものでもなく、松本人志が何か言ってる、程度のものであったし、今もまたそうであるように思う。
で、タモリだ。最近、なんとなくその発言やら趣向やらについての記事を見かける気がする。
タモリは、坂道本の序文にあるように、その根底にあるのは、筒井康隆的な意味での西洋哲学であると、私は勝手に思っている。
(あるいは、西洋哲学に付託して物事を著述することによって、効果的に、煙に巻くことができると信じられた世代に所属している、というふうに思える)
なので、その域を外した分野における発言については、結局のところ、粋人であるところのタモリ一代のものであるので、スコープもその限りだ。
(カレーやら生姜焼きの作り方が取りざたされても、はぁそうですか、としか思えない)
京都を歩いたときに、御土居について語っていても、それは趣味として御土居を知っている人の発言であって、歴史的な文献・知見に裏付けされたものだと安堵できるに足る発言はなかった。
(もちろん、本人にしたら、そんなこと考えてなくて、単に膨大な興味のいち分野に過ぎないんだろうとも思う)
何が言いたいかというと、いちいちタモリって言われてもなぁ、というのが一つ。
それから、仕事をしているときに、根拠や裏打ちなく物事が進んでいくときの正当性が何によってもたらされているのか、それは自分の身体を預けるに足りるものなのか、というのが一つ。