東日本豪雨:次々救出「助かった」 食料分け合い一夜

毎日新聞 2015年09月11日 11時35分(最終更新 09月11日 13時20分)

商業施設「アピタ」の屋上へ救助に来た自衛隊のヘリに乗り込む人たち=茨城県常総市で2015年9月11日午前6時38分、大西岳彦撮影
商業施設「アピタ」の屋上へ救助に来た自衛隊のヘリに乗り込む人たち=茨城県常総市で2015年9月11日午前6時38分、大西岳彦撮影

 記録的な大雨で10日に鬼怒川堤防が決壊し大きな被害が出た茨城県常総市では、一夜明けた11日、水につかった住宅地や商業施設に取り残された人たちの救出作業が本格化した。住民らは駆け付けた自衛隊員らの姿に「命だけは助かった」と胸をなで下ろした。栃木県では泥が覆う自宅や商店で、住民たちが普段の生活を取り戻そうと掃除などを始めた。しかし、北上する雨雲は東北地方にも大雨を降らせ、被害地域は拡大し続けている。【加藤栄、山田奈緒】

 ◇茨城

 客58人と従業員83人が取り残された常総市本石下のショッピングセンター「アピタ石下店」では、全員が浸水した1階から逃れ、2階に避難した。運営するユニーグループ・ホールディングスによると、2階の100円ショップの飲料や食料品などを食べ、売り場にある寝具などを利用して一夜を過ごした。1階売り場は80センチほど浸水、商品も多くが水没したが、大きな混乱はなく、11日午前までに自衛隊のヘリコプターなどで全員救出された。

 一方、常総市新石下にある市地域交流センターでは、約1000人が身を寄せ合って朝を迎えた。美容師の高畑令子さん(77)は「情報がなく、不安でたまらなかった」。自衛隊のボートに救助され、夫と長男、孫2人と避難した。センター内では元気よく遊ぶ子どもたちもいたが、高齢者は疲れ切ったのか無言だ。11日朝までの食料は災害用クラッカーが各世帯に約30枚配布されただけ。飲料水は当初、高齢者と幼児しか配られず、脱水症状の人のみ、コップ1杯の水を口にできた。持病が悪化した人は、優先的に夜中のうちにボートで救出したという。

 常総市の石下総合運動公園には住民が次々とヘリから降ろされ、災害派遣医療チーム(DMAT)が対応に当たった。救助された同市若宮戸の女性(47)は「ヘリの音がしたので手を振って気づいてもらえた」。会社員の男性(49)は「水も電気もだめだったが、食べ物はみんなで分け合った」と振り返った。

 常総市役所庁舎でも10日深夜から1階で浸水が始まり、職員が土のうの準備に追われた。周囲の浸水は続き、待機する職員約400人も含めると、約1000人が取り残された状態に。11日に記者会見した高杉徹市長は、市役所も含め複数の避難所が孤立状態になった点について「高い場所にある公共施設を(避難所に)選定してきた。(助ける側も被災者になり)極めて異常な災害」と釈明した。市役所に避難した男性(67)は「着替えも持ってこなかった。自宅が心配だ」と不安そうだ。

 国土交通省は11日早朝、国土技術政策総合研究所の専門家を常総市新石下の鬼怒川堤防決壊現場に派遣した。決壊は100メートル以上にわたり、勢いのある水流が地盤までえぐった「落堀(おちぼり)」が複数確認された。付近の被災住宅に残った痕跡などから、はんらん時の水位は堤防の高さ4メートルと同程度か、一部ではさらに高かったとみられるという。

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