教育が再発明される日

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TEDで行なわれたサルマン・カーン氏の「ビデオによる教育の再発明」のプレゼンテーションは、あまりにも有名です。

ビデオやソフトウェアを利用した教育、と聞くと、リアルな場である学校が無くなったりして、生徒と教師、または生徒同士との関係が壊れてしまうのではないかと危惧してしまいますが、実は全くと言っていいほど逆であることが分かります。

あらかじめ、動画で自分のペースで学んでおき、学校ではみんなで宿題をして、教え合ったりすることができる。

教師が何十人もの無口な生徒たちに、ひたすら勉強を教えるというだけのつまらない教育は、もう終わりを迎えます。

授業は生徒と教師、生徒と生徒同士のコミュニケーションの場へ、より人間的なものへと生まれ変わるのです。

世界中の教室を1つに。

サルマン・カーン氏は、ビデオ教育では生徒たちが気兼ねなく繰り返し個別に学習できることで、学んでいる科目を完全に理解してからステップアップしていけるため、高レベルの難しい科目に到達してもひっかからずに理解することができると言っています。

(今までの教育は、どんなにできない人がいても、強制的に授業が先に進んでしまうため、どんどん出来なくなって勉強を放棄するという負のスパイラルが起こっていたが、それがなくなる。)

さらに、自宅で科目の基礎を学習することで、学校では教師たちがコミュニケーションを通じて分からない部分を教えていくことができ、結果的に教育の質も向上するとしています。

さらにビデオ学習であるため、教材は(新発見以外では)劣化することなく、子や孫の世代まで受け継ぐことができるほか、いつでも好きなときに好きなだけ学べるのも利点です。

加えて、インターネットと同じ教材を使うことで、離れた場所の人同士でも互いに教えあうことができるため、学問への理解を深めることも容易になります。

インターネットによって、世界中の教室が1つとなるのです。

実は教育の仕方は何千年もの間、差異はあれども基本は変わっていませんからね。

今も昔も、紙のテキストを用いて、誰かが誰かに膨大な時間をかけて教えるのが基本。

それがようやく、変わる。いや、もう変わっている。

ワクワクしますね。

僕もそんな時代に生まれたかったなぁ、なんて。

補足

下のビデオでは、上のビデオで紹介されているカーンさんの従兄弟や、カーン・アカデミーの活動を支援しているビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation)のビル・ゲイツ氏とカーン氏が登場し、ビデオを実際に授業に取り入れているカリフォルニア州の教育現場などを紹介していました。

これらの2つのビデオで説明されているように、一部の教育現場では家でビデオを見て “予習” し、授業中に “復習” して分かりにくいところを先生に確認するという、これまでの授業のあり方を反転させる事態(flipping the classroom)が起こりつつあります。

こうすることで、生徒も授業中にきっちりと学習内容を身に付けることができるうえ、先生も一人一人の理解速度に合った指導をすることが可能になっている。

2つ目のビデオでは、実際にこのような授業を行っているサンフランシスコ郊外のLos Altos学区にあるEgan Junior High Schoolの様子が紹介されていました。

問題点があるとすれば、この学習方法にはインターネットが必要不可欠です。生徒の中には家でインターネットが使えない子もいるはず。

学校側は、そんな生徒のために22時頃までコンピュータ・ルームを開放するなどの配慮をしていて、万全の態勢を整えているとのこと。

日本ではあり得ないですよね〜。図書館は17時なんかで閉まりますし、大学なんかも18時には追い出されます(笑)まぁ銀行が3時で閉まったり、ATMが24時間稼動しない国なので驚きませんがね。

それはともかく、市の図書館などでも、公共施設ではインターネットが無料で使えたりしますし「インターネットが使えない」というのはあまり問題にはならないのかもしれません。


Googleによると、講義や全過程に YouTube を使っている大学は400校以上にもなるとか。

Ivy League(米東部の名門私立8校)や米国のトップ大学100校のほとんどで Google Apps(独自ドメインで Gmail や Google Calendar などのグーグルが提供するウェブアプリケーションが使えるGoogleのサービス)を使用しており、昨年2012年の秋からChromebooks (Googleが開発した「Chrome OS」を搭載するノート型PC)を使用する学校及び学区は500以上になるそうだ。

アメリカの教育革命は目覚ましいものがありますよね〜。

日本でもさっさと教育を再発明しないと、どんどん置いていかれますよ。

アメリカだけでなく、勢いのある国に行けば実感します。

日本はとんでもなく遅れてると。

自分たちの本当のライバルって、同世代じゃなくて、自分たちより少し上か、下の世代ですからね。

アメリカでこんなに良い教育を受けた人が社会に出た時を想像すると・・・、ああ、怖い怖い。

【リンク】
TED サルマン・カーン「ビデオによる教育の再発明」
khanacademy

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完璧主義よりも”最善主義”を目指せ。

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NYに来て、新しく会社を作るような気持ちで仕事に臨んでいるのですが、最近、”高学歴で書類上ではとても優秀な人”を雇用した。

そのような人が当社に来て下さることは大変に心強いが、早速、問題が発生した。

彼は日本人とアメリカ人とのハーフなのだが、日本人らしい完璧主義さがある。

その結果、先日、あるプロジェクトにおいて、彼はその実力を買われてチームに参画したのだが、必要以上にクオリティの高いものを出そうとして、ついには大前提であるはずの納期を延ばしてしまう、ということをした。

(そもそも納期を守れない時点で僕はその人を優秀とは呼ばないし、完璧主義でもないと判断するが、プライドの高さから生じた問題ならば、それは完璧主義というのが自然か。)

その件に関して彼は、

「完璧なもの以外は提供できないし、そもそも完璧を求めないことは妥協ではないか?」

僕にそう言いました。

それを聞いて、僕は彼に1つ話をしました。その時のことを書く。

「完璧にすること」が目的ではない。

まず最初に、僕たちは完璧を求めていないわけではない。

どうせやるからには僕だって完璧なものを作りたいし、完璧なものを提供したい。

完璧ではないもの、自分が出せる最大限のものでなければ、誰にも提供したくない。

その気持ちは誰しも同じだと思う。本人が努力家で、高みを目指せば目指すほど、完璧を求めるのではないだろうか。

だが、よく考えてほしい。

僕たちの目的は何だっただろう。

僕たちが目指しているもの、それは、顧客の問題を解決し、顧客に最高のUser Experienceを与えることだ。

決して自己満足なものを提供することではない。

人によって、満足と感じる点は違うし、行き過ぎれば、それは大きなお世話になるのだ。

最も優先すべきものを把握すること

顧客が提供してほしいものとは何だろうか。それを考えることが、最も優先すべきことだ。

言うまでもなく、第一にスピードである。早ければ良い、というわけではないが、遅くては元も子もない。誰も1秒たりとも待ってくれないし、時間は有限で、平等だ。

その中で、僕たちが1日でも早く顧客に価値を提供できれば、どうだろうか。

顧客にも競争相手がいる。僕たちが提供する価値とは、大体が顧客の問題を解決するものであり、武器である。早く提供するというだけで、顧客は競争相手との間に優位になる。それだけではなく、早く提供できる、ということは、僕たちが提供する価値にいち早く触れてもらうという、それ自体が、スピード感、つまり1つのUser Experienceにも繋がるのだ。

相手の期待を上回る為には、もしくは相手が望む価値を提供するには「いつまでに」「どれだけの成果」が求められているのかを考え、それをクリアできるようなプランを立てなくてはいけない。

たとえ最高のクオリティを提供できても、期限を過ぎていれば意味がない。僕たちが提供する価値に触れたとしても、その感動は半減、いや、0に等しいのだ。

プロとは何か考える。

イチロー

そもそも、時間を存分に使って(制作者が考える制作者視点の)完璧なものを提供するのは、当然のことである前に、それは三流のすることである。

時間内に顧客の満足がいくものを提供できて、ようやく二流といったところか。

本当の一流とは時間内に「顧客が考える価値」だけではなく「顧客が考え得ないような価値」を提供できる者のことだ。(少なくとも僕はそう教えてもらったし、AppleやGoogleの人を見て学んだ。)

顧客では思い付きもしないような、僕たちがプロフェッショナルだからこそ考えつくようなものに価値がある

プロとは何か、今一度考えることで、その“中途半端”な完璧主義を次のステージへと上げられる。

完璧主義ではなく”最善主義”を目指せ

僕は彼に、最後にこう言った。

「完璧かどうかを判断するのは君でも、上司でもなく、顧客だ。僕たちが出来ることは、ただ一つ。限られた時間内で、自分が持つ最高のパフォーマンスを出すことだ。もしも時間が必要ならば、タイムリミットを伸ばすように顧客やチームの仲間と交渉をして掴み取るのも、実力のうち、仕事のうちだよ」

彼は深く頷いて、最後は納得してくれた。

そして彼は、僕の予想を超えることを言った。

「分かりました。完璧主義ではなく、”最善主義”に切り替えろということですね」

僕は驚いた。

要約すれば、まさにその通りだ。

僕が言うのもなんだが、彼はまだまだ荒削りなところが多い。というか、雑に近い。

だが、彼はこれから、とんでもない結果を次々と出すのではないだろうか。そのポテンシャルは持っている。少なくとも僕はそう感じた。

彼の成長を願って、今日はこの辺で。

それでは。

posted by TOSHIYUKI.

グローバリゼーションを知る上で読んでおくべきビジネス書3冊

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最近、日本人の方(大学の先輩方など)から、「どんな本を読めばいいか」「お勧めの本はないか」と聞かれることが多くなってきました。(就活シーズンだから?)

はっきり言うと、僕はほとんど実用書しか読みません。自己啓発系の本はゴミ(というか、科学的な裏付けもない根性論だけの本が嫌い)と同じだと思っている人間なので。

今回は基本的な書籍だけを紹介したいと思います。

基本的な書籍というのは、グローバリゼーションとは何か、ICT技術の普及の歴史、世界の現状、日本の現状といったことを知ろう、という事前知識が詰まった書籍のことです。

フラット化する世界 上フラット化する世界 下

この本はご存知の方がたくさんいらっしゃることと思いますが、ご紹介します。

この本を通じて学べるのは、ICT技術が世界にもたらした「グローバリゼーション」について、世界のフラット化が進む中で個人はどうしたらよいかということ。主としてアメリカの視点から書かれていて、特に現場での臨場感と、それを概念としてまとめ上げる著者の高度な技量が存分に発揮されています。

僕の中では必読というか、基本の1冊です。

僕は原文も日本語訳もどちらも読んだのですが、日本語訳が非常に読みやすかったです。

言ってしまうと、筆者は「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化(=フラット化)されることがない人を目指すべき」と言っており、その為にはどうしたら良いか、というところまで触れています。

興味がある方は是非読んでみて下さい。

米ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院のフィリップ・コトラー教授は、マーケティングの神と呼ばれるくらい、言わずと知れた方ですが、ご紹介します。

この著書は、書名からも分かる通り、マーケティングに関する書籍なのですが、コトラー氏は著書の中で「3.0」という新しいマーケティングの概念を提唱しました。

マーケティング、というと、日本語だと定義がしづらいのですが(詳しく言えば、その定義は時代とともに変遷している)、ここではシンプルに「マーケティングとは売れるための仕組みづくり」としておきましょう。

内容に触れると、モノづくり中心の時代が「1.0」、消費者中心の時代が「2.0」、そして価値が人間を動かし、利用者同士がパートナーになる人間中心の時代が「3.0」なのだそうです。その為に「協同」「文化」「精神性」がキーワードとなります。

気になる方、特にマーケティングに興味のある方だったら是非とも読んでほしい1冊ですね。

本書によると、左脳を使って論理的に考える重要性は無くならないものの、今後は右脳も活用しないと、低賃金国やコンピューターに仕事を代替されてしまう、という内容。

これから求められるのは以下の6つの感性(センス)

・「機能」(実用性)だけでなく「デザイン」(有意性)
・「議論」よりは「物語」(ストーリー生)
・バラバラの断片をつなぎあわせる「調和」(協調性)
・「論理」ではなく「共感」
・「まじめ」だけでなく「遊び心」
・「モノ」よりも「生きがい」

本書のアイデアには、基本的には賛成です。

特に「価格と品質では勝負できない」とあるのですが、まさにその通り。

しかし、その問題を解決するための手段がデザインだけになっているのには、個人的に違和感。デザインは、マーケティングの一部分にしか過ぎませんが、それほど著者はデザインに重きを置いている、ということの現れとも受け取れます。

ただ、本書を読んで、少なくとも今自分がやってる仕事は、高度な左脳と右脳の思考バランスが要求されるので、コンピューターやインド人には代替され得ない(人種にかかわらず飛び抜けた人材は別)と分かり、少し安心しました。(かと言ってそれに甘んじていてはすぐに蹴落とされる世界ですが。笑)

ちなみに、著者のダニエル・ピンク氏はTEDでも講演されている方なので、よかったらそちらも見てみて下さい。

まとめ

もちろんなのですが、今回ご紹介した本だけで必要な知識がすべて補えるわけではないですし、書いてあることがそのままその通り、というわけでもないですが、読まないよりは良いかなと。

それから今回ご紹介した本は全て日本語訳が出ている著書ですが、僕としては原文を読むことを強くお勧めします。

できれば購入してほしいところですが、なかなか手が出ないという人もいるかと思われるので、次回はざっと、グローバリゼーションについて書こうと思います。

今回ご紹介した本は3冊

フラット化する世界(トーマス・フリードマン)

コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則(フィリップ・コトラー)

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代(ダニエル・ピンク)

以上の3冊でした。

それでは。

posted by TOSHIYUKI.

「向いてない夢はとっとと諦めて、次の夢に向かえばいいんじゃない」

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僕の子供の頃に最初に掲げた夢は、経営者になることではなかった。

僕の夢は、プロ野球選手になることだった。

その為に人の何倍も努力して、リトルリーグではそれなりの成績を残していた。

だが、チームメイトを大切にしなかったことへの天罰だったのか、小学校5年生の時に肩と膝を同時に壊すという事態に見舞われ、僕の選手生命はあっけなく幕を閉じた。

手術して、日常生活に支障はきたしていないものの、今でもボールを投げても50mも投げられやしない。小学生で120m近く投げられていた肩がこの様。怪我をした当時は半年はまともに歩けず、手を上げることもままならなかった。

そして僕は、11歳の夏、プロ野球選手になるという夢を諦めた。

もしもあの時。

今でも思うのは、もしもあの時、諦めずに野手へ転向していたら、ということ。

脚の速さだけは怪我した後も、ほとんど変わっていなかったし、バッティングも授業や遊びでバッティングセンターに行った限りでは、相変わらず飛ばし屋だった。

もしも、あの絶望に打ち勝っていたら。

今でもそう思わずにはいられない。

今の景色

僕は、今でも夢を描き、追い続けている。

この景色は昔と何か変わったか、と言われると、1つ大きな変化があった。

プロ野球選手を目指していた頃は、ただ自分の為に、自分が強くありたかったから、最高の舞台を目指していた。

でも、今は違う。

昔は自分の為に自分の為の野球をしていた。

今は自分の為に他人の為の経営をしている。

対象が変わったことが、最大の変化だと、僕は思っている。

これが僕が今見ている景色。同じだけど、少し違う景色。

根性論を唱えるな。

夢を諦める人がいる。

きっと深い絶望に染まっているだろうことは想像に難くないが、僕は諦める前の人からよく相談を受ける。

「もう諦めようと思うんだ」

彼らはいつもそう言う。

僕は決まってこう言っている。

「向いてない夢はとっとと諦めて、次の夢に向かえばいいんじゃない」と。

無責任だと非難されたこともあるが、僕は大真面目に言っている。

僕は「諦めなければ夢は必ず叶う」というほどの悪説は他にないと思っている。

夢が叶うか否かは、やはり才能の問題だ。

桁外れな才能がいるわけじゃなくて、ほんのちょっとの才能さえあれば、というところで、多くの人が涙をのんでいる。その「ほんのちょっとの才能」の有無は決定的な差だ

だがしかし、それでも関係のない大人や他人がうるさく言ってくる。

途中で辞めるのは、お前に根性がないからだだの、途中で諦めるから出来なかったんだだのと。

オリンピック出れなかったのはみんな途中で諦めたからか?
甲子園に出られなかった球児たちは途中で諦めたから負けたのか?

そんなものは結局、ただの根性論に過ぎない。

僕が夢を叶えるのに必要だと思っていることは、ただ1つ。

「向いてない夢はとっとと諦めて次に進もうとする潔さ」だ。

そして最も大切なことは、“全て自分の価値基準で判断して動く”ということ。

周りにどう言われようと「この道だ!」と思ったら、とことん自分の才能を信じることだ。

そう思える人は諦めてはいけない。執念を持って、頑張ってほしい。

でも、もしも、そう思い続けるのが困難になった時は、別の道を探してみてほしい。

夢を諦めたからといって、あなたはちっとも悪くない。寧ろ自分で決断できただけ、立派なことだと僕は思う。

悪いのは、無意味に人のことを責め立てる他人と、次の夢を探さず立ち止まったままの、あなた自身だ。

不必要に負い目を感じる必要はないから、とっとと次へ進め。

僕はあなたに相談されても、きっと同じ事を言う。

「向いてない夢はとっとと諦めて、次の夢に向かえばいいんじゃない」と。

お金持ちになる方法を聞かれたので、真面目に考えてみた。

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■ 最近よく相談される

「金持ちになりたい」

何を思ったのか、そういったことを僕に相談する人が続いている。

新年になって5人だ。

僕はその度に「お金はあった方が良いよね」と流していたが、ある時、ふと気まぐれに、この件について真面目に考えてみることにした。

「お金持ちになるのにはね・・・」
(僕はお金持ちじゃないけど・・・)

それが正しいかどうかはともかくとして、真面目に考えてみた。

■ 人は「環境 > 思考 > 行動」という序列の元で影響を受ける。

前置きを語らせてもらうが、戦争を知らない子供と戦争当事国の子供、先進国と貧困国とでは、原始的な価値観を共有することしかできない。

何故なら人には「環境 > 思考 > 行動」という序列の元で影響を受けるという原理があるからだ。

文化の違い、と人はよく言うが、文化とは環境だ。環境の違いがすべてを左右していると言っても過言ではない。

それを踏まえた上で、考えてみてほしい。

■「環境」を作ることができるのは「行動」のみである

だが、環境の違いですべてが決定付けられているわけではない。

現代は幸せなことに、一部の国を除いて封建的な制度があるような時代でない。

生まれで人生は決まらないのが今なのだ。

自分の道は自分で切り拓ける、素晴らしい時代。それが現代だ。

今の環境が本当に嫌ならば、僕たちは行動することで別の環境に触れてみることができるのだ。

事実、僕が今こうして、経営者として働けているのは、あの時、僕の家の隣に住んでいた小説家の方が、僕のメンターとなってくれたからであり、その先生が一般人には立ち入れないような場所に連れて行ってくれたからだ。

「我、天啓を得たり」とは、まさにこのことで、僕はその場所である人に出会い、気に入られ、そして自分1人では到底できないばかりか、やろうという発想にすら至らないことを任せられ、経験することができた。

だから今の僕がある。

行動をすることで、環境を変えることができた。

環境で全てが決まるわけではないと証明した。

「いやいや、そんな都合良く凄い人は周りには居ないし、会えないよ」と思う人もいると思う。

その通りだ。

確かに、簡単には会えないし、簡単に気に入られたりはしないし、簡単にメンターとなってくれるはずがない。

そんな人が最初から身近にいる人は、とても幸運な人だけだろう。

だが、考えてほしい。

そのような人と巡り会えるような環境を作るのも、また行動しかないのだ。

■ 歴史から「思考」を知る

だからといって可能性が閉ざされたわけではない。

彼ら(成功者)のことを知る機会はいくらでもある。

歴史を学ぶことだ。

史実上、成功者の思考には共通するものがある。

歴史からは、どんな人物がどういった考え方をしていたのかを知ることができるのだ。

そこからいくらでも知ることはできる。

だから僕は、世界的に成功をしている人の伝記をよく読むべきだと思っている。

■ そうは言っても、面倒臭いよ!という方の為に。

だが、ただ本を読めというだけではあまりにも投げ槍すぎる。それではブログを書いている意味がない。

なので僕が歴史を学んだことによって、裕福な人とそうでない人の考え方の違いを書いていくことにする。

■ 貧する者は「今すぐ金持ちになりたい」と考え、富める者は「成功者にふさわしい人になりたい」と考える

僕が最も感じた違いはこの思考の違い。

よく「宝くじ」を買う人がいるが、仮に3億円に当選したとしても、当選した人が3億円以上の富を手にすることはない。

使うことしか頭にないからだ。3億円あれば十分だろうと考えて仕事をやめてしまったりする人は、所詮はそれまでだ。

3億円が当たったことがきっかけで成功した人がいるだろうか?

僕の記憶には存在しない。(いたら教えて下さい)寧ろ人間関係が破綻して、不幸になった人の方がよく耳にする。

なぜそんなことが起きるのだろう?

僕は単純に、その人がお金持ちに「ふさわしくない」から、そうなったのだと思う。

ふさわしい人は、先ずお金について人よりも詳しい。

その危険性を知っているし、それ以上に使い方を知っているし、生み出し方も知っている。

だから同じ3億でも、ふさわしい人とそうじゃない人が持つのとでは、全く価値が違う。

ふさわしい人は3億円を使い切っても、再びお金を生み出すことができるだろうし、3億円以上の資産を形成することができるだろう。

実質、同じ金額でも、持つ人によってその価値は何十倍もの差がある。

運でお金持ちになることはできても、ふさわしくなければ不幸になるだけだ。

だから僕は、成功する為には、成功に値する人物になることを目指すことこそが、何よりも近道なのではないかと思っている。

■ 貧する者は「時間⇔お金」と考え、富める者は「アイディア⇔お金」と考える

大学に進学しアルバイトをしている学生が周りに増えたことで、ようやくこの考え方を理解した。

僕が休学する前の大学では、

・時給1000円だから何時間働けば◯◯万円だ。
・あんまり働かなかったから給料少なかった。

そのような発言を耳にする。

別に否定する気はさらさらないが、長時間働くことだけが大金を稼ぐ唯一の方法ではないということを提示したい。

ビジネスとは、基本的には問題解決だ。

問題解決できるアイディアを提示できれば、いくらでもお金は稼げる。

たとえアルバイトであっても、そうした経営的な視点を持って、常に提案していくことによって、企業側はその人材に価値を感じ、雇用したいと考えるはず。

だから自ずと待遇も良くなるはずだ。もしも良くならないのだとしたら、そういった人材価値の理解力に乏しい企業には将来性がない。そこでの経験は今後、何の役にも立たないだろうから、即刻、別の職場に移ることをお勧めする。

■ マネーハック!!稼げる思考になる為の質問

自分がお金に対してどんな価値観を持っているか、把握していない方の為に、こんな質問を用意してみた。

* あなたにとってのお金とは何か?
* お金の本質を理解しているか?
* お金に対して偏見をもっていないか?
* お金に対して罪悪感をもっていないか?
* 自分には稼げないと思い込んでいないか?
* 何に対して価値があると思うか?
* 失敗してお金を失うことを恐れていないか?
* 自分を信じて努力しているか?
* 積極的にチャンスをつかもうとしているか?
* 子どもや身内にお金の重要性を教えているか?
* 自分に投資しているか?

先ずは自分の考え方をハックしてみよう。

そして行動すること。

行動しなければ、何も始まらない。

何かを変えなければ、同じ日々が繰り返されるだけだ。

最後に、アインシュタインの名言を。

「狂気。それは、同じ事を繰り返し行い、違う結果を予期すること。」

pated by TOSHIYUKI.