【ヤクルト】山田、日本人右打者チーム最多タイの34号
◆ヤクルト3―1DeNA(10日・神宮)
あいさつ代わりに強烈な一発をブチかました。4回先頭、山田は石田の甘く入ってきた128キロのチェンジアップを完璧にとらえた。「打った瞬間、行ったと思いました。変化球に自然とうまく対応できました」。弾丸ライナーで飛んでいった打球は、左翼席中段に突き刺さる34号ソロ。チームを勝利に導き、阪神とは同率首位に浮上した。
レジェンドたちに並ぶアーチだ。シーズン34本は球団の日本人では、04年に44発を放った岩村に次ぐ歴代2位タイ。89年の池山に並び、日本人右打者最多タイの本塁打だった。
この夜は9回表まで、米ヤンキースのAロッドらを手がけた敏腕代理人のスコット・ボラス氏が視察。山田は「来るのはニュースで知っていました。何も思いませんけどね」と話すが、胸には究極の目標を秘めている。
山田少年が10歳だった小学4年時、学校で「2分の1 成人式」という課題が出た。成人の半分である10歳の時に将来の目標を書くというものだが、そこに「メジャーリーグでホームラン王」と記した。当時は2002年。松井秀喜がヤンキースに挑戦する直前だ。「もうそんなの覚えてないですよ」と笑うが、物心ついた時からメジャーにあこがれを抱いていた。
現実的に考えて、大リーグへ挑戦するのはまだまだ先の話。それでも日本代表として海外の選手と戦うチャンスは、すぐに訪れる。この日は国際大会「プレミア12」に出場する侍ジャパンのロースター45人に選出された。「すごいプレッシャーもかかるし、日本代表として恥のないプレーをしないといけない。出られるのであれば、(本職の)セカンドで出たい」。日の丸を背負う覚悟はできている。日本の山田から、世界のYAMADAへ―。そんな日が訪れるのも、そう遠くはないかもしれない。(井上 信太郎)