2015.09.10  中国少数民族を周縁視する時代は終わった
      ――八ヶ岳山麓から(157)――

阿部治平(もと高校教師)

近刊書に『周縁を生きる少数民族――現代中国の国民統合をめぐるポリティクス』(勉誠出版)という好書があります。一読して文化人類学研究者たちのいきいきとした若い情熱を感じることができました。
残念ながら論文集なので、一つ一つが孤立していてつながりがありません。それで内容の紹介もそれぞれになります。

本書は三部に分かれていて、第一部は「チベット族のナショナリズム・宗教実践・歴史認識」とされています。1980年代後半からラサを中心に起きた、公然たるデモによる中国当局への抗議運動が、2008年(北京オリンピックの年)の一斉蜂起で頂点に達し、その後焼身自殺による抗議が突出しました。ところがチベット社会にはこれと並行して、目立たたない日常生活でのしずかな抵抗運動があります。
別所裕介論文は、チベット人のデモや焼身自殺といった激しい抗議から、菜食・不殺生・環境保護など柔らかな抵抗にいたる、庶民のナショナリズムを丁寧に紹介し、その根強さを指摘しています。フィールドワークを行なう別所の視点がよいのか、現地の人々に信用されているのか、非常に優れた内容だと思います。

小西賢吾はチベット社会でも少数派の、政治動向にもてあそばれたボン教僧侶の生活の変化を描いています。中国経済の市場化とともに観光地化した環境の中でボン教僧侶がどう生きたか。私はボン教について知識がなかったのでおおいに得るものがありました。

大川謙作は1950年代のはじめ、中共が実体のない「外国帝国主義の排除」を呼号してチベットに進軍したものの、59年ダライ・ラマのインド蒙塵後はスローガンをたちまち「農奴解放」に切り替えた、その経過を追っています。私は自著『もうひとつのチベット現代史』の中でこのような綿密な考察をすることができませんでした。恥ずかしく思います。

第二部は「中国共産党の宗教政策とムスリムの戦術・戦略」です。
奈良雅史は雲南省沙甸を中心に、回族(漢語系ムスリム)の「イスラーム学習」の実態を書いています。私も1980年代に文化大革命時期の解放軍による沙甸の大量殺人を知ったときは、背筋の寒くなる思いをしました。沙甸でイスラムの教育が大目に見られているのは、ここが大虐殺に遭ったからだと思います。

松本ますみは、イスラム教育を受けた回族女性の力強い生き方を紹介しています。回族は多かれ少なかれ差別を受けています。私が長年生活した天津でも雨が降ると水が出やすいところに回族の集中居住地がありました。松本は貧困・識字率の低さ・男尊女卑などの中で教育を受けた女性が教師や通訳に就く、その実態を書いています。ただ今も職業選択の範囲が狭いことに胸が痛くなります。

中屋昌子の論文はトルコへ移住したウイグル宗教家のライフ・ヒストリーです。論文冒頭に「イスタンブールは、ある者にとっては政治活動の退避地であり、ある者にとっては安らぎの地であり、またある者にとっては新天地である」とあります。1950年代「東トルキスタン共和国」運動そのほかのチュルク系民族主義者の亡命地がトルコでした。それが今日もそうであることに感慨深いものがあります。

澤井充生は毛沢東が発動した反右派闘争・文化大革命の宗教あるいは民族政策によって回族が翻弄される歴史をたどり、右派分子とされ、文化大革命期に銃殺された人物の足跡を検討しています。そこには殉教のムスリムを通して中共の民族・宗教政策が見事に浮き彫りにされています。

この第二部では、中国ムスリムについて教えられるところが多かったのですが、私は凄惨なニュースが絶えない東トルキスタンの人々の日常生活を描いたものがないのが不満です。それは澤井がいう「現在の中国共産党主導の民族・宗教政策が学術研究の方向性に(ママ)左右している現状」によるものだとは思いますが。

第三部「民族区域自治とモンゴル族社会の変容」では、ボルジギン・フスレによって、1945年の日本敗戦から中共主導「内モンゴル自治区」樹立までの経過が検証されています。これは政治史です。リンチンは清朝末期からの漢人農民によるモンゴル草原の浸食、1949年の革命による内モンゴルの土地改革、牧畜の集団化が行われ、生態系が破壊される過程を描いています。
内モンゴル草原の開拓は清朝末期から始まりました。中華民国に至っても漢人移民は草原を耕し、ダメになった畑を放置しました。それは荒地と化し、モンゴル人の牧草地は大量に奪われました。ガダメイリンなどの抵抗はそこから生まれました。1949年の革命後は牧野の開墾は国家事業となり、今日それは石油・石炭・レアメタルなど鉱産資源開発に変っています。

さて、本書は『周縁を生きる少数民族』ですが、本書序文にもあるように「周縁」は漢民族を中心とした概念です。当の少数民族にしてみれば、故郷がべつに端っこにあるとは感じていません。チベット人はよく自分らの居住地を「高原」とか「雪域」といい、漢人地域を「平原」といいますが。
いわゆるモンゴルは内モンゴルやモンゴル国からロシアのブリヤート、さらにはカルムィクに及びます。チュルク系民族は新疆だけでなく、中央アジアのステップとオアシスに分布しています。チベット文化はヒマラヤ南麓に広がっています。
これら民族の地域はロシアや清朝、イギリスなどから支配あるいは干渉を受けてきました。そして1917年のロシア革命以後、49年の中国革命以後も、かつては移住地いまは資源収奪の植民地です。しかし1980年代以後の中国の資本主義化と1991年のソ連解体の激動を経過した現在、文化人類学者は中国中心・漢民族中心の視点を変更すべきだと思います。

本書は論文集ですから、それぞれの論文が独立し、相互の関連が薄いのは仕方ないとしても、ひとくちでこの本を総括できるような筋が一本通らないといけないのではないかと思います。普通は序文でそれが示されますが、本書「はじめに」でもまず現代中国社会を総括しています。そこに気になるところがあります。
「はじめに」には、「インターネットによる情報社会化も進み、ネット市民が自由に討議するある種の『公共圏』も形成され、NGO・NPOのような社会団体も条件付きで容認されており、権力の直接介入のない『市民社会』も地域によっては確保されつつある」とあります。しかしそのすぐ後では2008年3月「チベット騒乱」、2009年7月「ウルムチ騒乱」、2011年10月天安門車炎上事件、2014年3月昆明事件などがあって、「和諧社会」を脅かす少数民族は取り締まりの対象となり、社会的弱者の人権や民主運動にかかわる言動も封じ込まれている、といいます。
私は本書論文の現代中国を論じた部分は、むしろ少数民族のおかれた状態が「公共圏」「市民社会」の存在を否定しているように感じます。

また序文には「西部大開発」が提唱されて以来、西北地方を中心とした経済開発の結果、『少数民族』地域におけるインフラ整備、資源開発、教育支援、経済成長、党幹部養成などがめざましい勢いで進んでいる、とも書いてあります。
たしかに少数民族地域でも道路整備があり、冬虫夏草の採集や出稼ぎによる収入増など、経済生活の向上がありました。しかし「西部大開発」で一番とくをしたのは国営資本とそれに連なる中高級官僚と私営企業です。少数民族地域では自治はもちろん、社会福祉や民族教育が特に進んだわけではありません。養成された少数民族の党官僚はたいてい漢化したか政権に従順な人々です。教育はむしろ強権をもって民族文化を漢化する方向で進められています。
たしかに黄河の水資源、ツァイダム・内モンゴル・新疆の石炭・石油・天然ガス開発は驚くほど発展しました。送電線は黄河の発電所から西寧・蘭州などに、石油・ガスのパイプラインは新疆から東部工業地帯まで伸びています。けれども資源開発の恩恵を地元少数民族はわずかしか受けていません。私は被害の方がはるかに大きいという印象を持っています。

以上のようなわけで、本書を貫くものをあえてあげれば、清帝国以来の少数民族の国家統合・植民地化が今日なお近代的な装いをもって連続していること、といえるでしょうか。
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