2015年9月10日23時14分
■鬼怒川の堤防決壊
「つかまれー!」
上空に静止したヘリコプターから自衛隊員が叫び、ロープで下りてきた。茨城県常総市大房の松沢芳子さん(66)と孫の竜乃介君(9)は必死で隊員の服の袖を握りしめ、自宅2階のベランダからつり上げられた。
ヘリは鬼怒川の決壊現場から西に約3キロの石下総合運動公園へ。午後6時前、グラウンドに降ろされた。自宅で浸水が始まってから約5時間がたっていた。竜乃介君は「怖かった」。
ぐったりして消防隊員に背負われた人、はだしのままの人……。同公園には、ヘリで救出された人たちが次々に到着した。
鬼怒川から約500メートルの自宅にいた介護福祉士、後藤忍さん(42)=同市三坂町=は正午過ぎ、大きな音を聞いた。「ドーン」という衝突音。続いて「メリメリ」「ガシャン」。急いで2階のベランダに出た。
そこで見た光景に、血の気が引いた。「東日本大震災のとき、テレビで見た津波と同じ。もう死ぬんだと思った」
屋根の上によじ登った。車や自転車が流されていった。怖くて手が震え、涙が出た。車の上に上り、必死に助けを求める人の姿もあった。でも、自分のことで精いっぱいだった。上空のヘリに手を振り続けた。
つくばみらい市の解体工の男性(39)は午前9時前、常総市内をトラックで仕事に向かう途中、冠水した道路で立ち往生した。Uターンしようとしたが、みるみる水かさが上がる。トラックを置いて近くの山の中に逃れ、不在だった民家の2階に避難した。1階に水が入ってきて、119番通報し続けたが「救助要請が多い。待ってくれ」。ヘリに手を振り、午後3時半ごろに救助された。
堤防を破った濁流は急激に水かさを増しながら、広がっていった。
常総市大房でパイプ加工場を経営する荒井和弘さん(55)は午後0時半すぎ、いつも工場に来る弁当屋が来ないため、近くのコンビニに昼食を買いに出た。上空には、多数のヘリが飛んでいた。
「雨がただごとではないのかな」。そう思った時、西に流れる鬼怒川の方から赤土色の濁流が迫っているのが見えた。音もなく、においもない。ただ、大波のように見えた。
全速力で工場にとって返し、残っていた従業員2人に「逃げろ」と叫んだ。車に乗り、水が迫ってくるのと反対方向に走り出すと、鬼怒川にかかる橋がまだ渡れる状態だった。対岸に渡り、そのまま、10キロほど離れた高速道路のインターチェンジまで逃げた。
途中、車内で見たテレビで、上空から映したニュースを見た。工場のある地域はすでに水浸しだった。住民が屋根に登って救助を待つ映像を見ながら思った。「間一髪だった」
決壊場所から東北に約3キロのスーパー「アピタ石下店」(同市本石下)では、浸水が始まって15分ほどで腰の高さまでつかった。アピタの広報担当によると、客と従業員100人ほどが取り残された。2階の100円ショップにある飲み物や簡単な食べ物で、空腹をしのいだ。発熱した1人が救出されたほかは、11日までとどまるという。
10日未明から避難所となった同市地域交流センターも、建物の周囲が腰の高さまで水につかり、避難した550人はボートでないと出入りできない状態に。朝におにぎりやパンを支給したが、食糧は尽きた。1千本ほどあったペットボトルの水も全て使い切った。市職員は「停電するかもしれない。真っ暗になるのが怖い」と電話取材に話した。
救助された人が避難した石下総合体育館。午後10時現在、約600人が身を寄せた。同市三坂新田町の無職飯野よしいさん(80)は夕方、隣の親類宅にいてヘリに救助を頼んだ。泥水がまたたく間に床上50センチほどつかり、畳が浮いた。「本当に怖かった。家には帰れない。いつまでここにいるのか」と疲れた様子で話した。
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朝日新聞社会部
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