2015年09月07日 (月)
視点・論点 「家庭料理と旬」
料理研究家 土井善晴
きょうは「家庭料理と旬」について、お話しさせていただきます。
家庭料理は、家族の健康を維持する家の食事です。私たちは季節の恵みに感謝して、旬を味わい、楽しんできました。
みなさまにおいては、日本の秋を楽しんでおられますか。
8月に入ればすぐに立秋、この日を境に暑さも さかりをすぎて、陽射しが和らいで 秋に向かいます。
現実には、9月になっても暑いですから、秋はまだまだ遠く感じられるもの。季節を楽しむことなどできない、というのが本音ではないでしょうか。
それでも9月になりますと、実りの秋、稲穂は こがね色に染まり、やがて新米の季節です。
9月の半ばになりますと、栗のイガもはぜて実を落とす。山の茸も楽しみになります。掘り立てのジネンジョをとろろにして、麦飯にかけるおいしさはたまりません。
旬は、夏のなごりの なすやトマトから、芋やこんさい、地面のしたの作物に変わっていくのがわかります。
夏の間、ハート形の葉を ゆらしていたのは里芋の仲間。
根を掘れば、親芋に小芋、孫芋がいっぱいついてきます。子孫繁栄、縁起ものですね。
掘り立ての小芋は白い頭をこするとツルリと皮がむけます。こんな小芋なら、油で炒めてから水煮して、お砂糖と醤油で味つけて、柔らかく火が通って、煮汁が煮詰まったところとを、カンカラカンと煮汁をからめれば「煮転し」のできあがりです。「あー初もんやな」と、お行儀が悪いですが、割り箸をようじにして、突き刺して味わってみて下さい。こういうものは上手下手なく美味しくできあがるものです。
このように、旬を愛し、楽しむのは、日本人と獣や鳥だけ だと思います。動物たちよりも、私たち日本人が優れているところは、旬をさらに深めて「はしりもの」「さかりもの」「なごりもの」の三つに分けて味わうところです。
実は暑さのさかりに、すでに私たちは「はしりもの」の秋を味わっているのです。それは、新生姜、新茗荷、新蓮根など、名前に新がついた野菜です。新ものの生姜や茗荷は そうめんの薬味に刻んだり。ご飯に炊き込んだりと、爽やかな香りをずいぶん楽しませてくれました。新蓮根は厚切りにして酢に浸します。細手の新さつま芋を蒸かして塩をふって食べました。
これら全てが秋の兆し「はしりもの」です。
ご飯が新米に変わった日は、「きょうから新米よ」 「新栗が出たから ごはんに炊きこんだよ。」 って言葉を添えてあげて下さい。
さて、「はしりもの」と言われる新もの野菜の魅力はなんでしょう。それは未熟でときに青くさい野菜です。
みずみずしくて爽やかさが特徴ですが、旨さは「さかりもの」の熟し味には劣ります。
日本人は昔から、絶えず移り変わる新しいものを尊ぶのですが・・「走りもの」とは、けがれのない新しい命。いわば生命力あふれる子供たちのことです。疲れを知らない子供のパワーは、たいしたものです。
先人は「はしりもの」の未熟な味わい中に特別なものを、見ていたのではないでしょうか。
知識ではなく、肉体で感じて「初物食べたら75日長生きする」といったのでしょう。それは縁起物であり、元気にしてくれる健康価値を含んでいる。科学で明らかにするまでもなく、人間は見えないものを感じる力を持っていたのです。
私はお年寄りの話しをよく聞きます。彼らのおいしいものを見つける知恵、素材を生かす知恵はすばらしくて、たくさんのことを学びました。それは「なごりもの」への感謝に通じます。大自然に生きた 豊かな経験と知恵を集めたものが 日常の食事にあったのです。 私たちはお年寄りから学んだものを、子供たちに伝えたいと考えています。
現代に生きる私たちにとって、旬である「はしりもの」「さかりもの」「なごりもの」を楽しむことはむずかしいことでしょうか。
そういうものは料理屋の仕事だと思われる人も多いことでしょう。家でそんなことは無理だと。
いや、そうじゃありません、どなたでも、自分でお料理すればできることです。
お料理したくても、忙しくてできない、無理だ。自分で作らなくても食べるものはいくらでもある。今、料理をしない理由なら いくらでも見つかるでしょう。
でも、「自分で作ることで元気になります。お料理をすることで 人を元気にしてあげられます。お料理は命をつくる仕事です。」
さてここからは、私たちの家庭料理の 最善の道を 考えたいと思います。昔の人も今と同じように、きっと忙しかった。でもちゃんと料理していました。なぜできたのしょうか。
それは、忙しいときでも、作れるものを作っていたからです。何を作っていたかと言いますと、「ご飯」と「味噌汁」それに「漬け物」です。味噌汁を具だくさんにしてください。毎日三食 これで大丈夫です。
これを「一汁一菜」と言います。祖末すぎるでしょうか。
でも、旅をして大黒柱があるような古い宿で、いろりに掛かった鉄鍋に山の茸汁が、ゆったりと湯気を立てています。おひつに入った温かいご飯と自家製の漬け物。これだけで申し分のない食事でしょう。味噌汁とご飯、これならだれでも作れます。それを毎日繰り返すことで、生活に秩序が生まれます。
ご飯と味噌汁のすごいところは、毎日食べても飽きることがないことです。味噌汁も具によって味わいは変化し、それまで知らなかったおいしさにも気づくことでしょう。
でも、余裕があれば、秋のいい秋刀魚を見つけたら、ぜひ焼いてあげて下さい。
なにも期待していない家族は「わっ! 魚がついてる!」って、いつもと違うことを見つけて、すごく喜ぶでしょう。
とにかく無理しないこと。それが持続可能な家庭料理です。これはけして、手抜きではありません。家族に対して、手抜きしたなんて思うと嫌な気持になるでしょう。
簡単なことを、ていねいに作って、きれいに整えることです。そして、気持に余裕があれば、「銀杏がおちたよ」って香ばしく炒った焼き銀杏を、ご飯と味噌汁の前に、お酒をつけてだしてあげて下さい。時間がある時に、ゆっくり栗の皮を剝いて栗ごはんを炊きます。栗を剝いているのを子供たちに見せてあげて下さい。炊きあがった栗ごはんは一層美味しくなりますから。
「がんばっている家族を喜ばせてやろう」と思う気持でつくるお料理に、義務感はありません。
それは お料理を作る純粋な心です。そんなふうにお料理をできれば幸せですね。
命を養うものは ご飯と味噌汁
心 楽しませるのは 旬のもの
シンプルな「一汁一菜」の中に 旬を味わい楽しむのが 、普通の日本人の食事の姿です。
複雑化した日本の食事の「初期化」です。
今、世界に誇れる和食のすべては、「一汁一菜」ご飯と味噌汁、漬け物 から発展したのです。
一昨年 ユネスコの世界無形文化遺産に和食が指定されました。それは皆さんのお母さまやお婆ちゃんが、慎ましく毎日作ってきた暮らしの料理が評価されたのです。
今、お料理をしっかり作りたいという人、ていねいに暮らしたいと望む人は大勢います。
私たちの「家庭料理と旬」を大切にして、お料理なさって下さい。きっといいことがたくさんあると信じます。