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2015年9月 4日 (金)

9月1日の母親

 この日の朝は不思議なやる気スイッチが入る。 引取り訓練があるので 学校へ向かう。 でもその前に保護者会での話し合いがある。 結果 子供の面倒は親がみることになった。 金銭の問題 でも 保護者間の約束事である 子供を待たせていた間の事故一切についての免責事項が引っかかった。 噛まれた後である。 子供同士の事故は一瞬である。 多分・・・ ケガや死亡事故が起こる可能性があるのは うちの娘である。 これは妄想かも知れない。 でも・・・ ワーファリンを服用し始めた時の医者から言われた注意事項が鮮明に思い出された。
「お母さん ケガには注意して下さいね。 内出血でも血栓が脳に飛べば脳いっ血や脳障害 心臓に飛べば 心停止。 指先に飛べば 切断もあり得ますからね。」
 最悪の事態を言われたに過ぎない。 でもその話は移籍前の相談員に 言葉でコミュニケーションが取れない子の多いクラスで怪我が懸念事項であることは伝えた。 医師の言葉も伝えた。 その時言われた言葉を 信じた。
「14人で3人の教師がみているのです。 介助の職員も入ります。 支援が手厚いので怪我等の事故はおこりません。」 
 移籍して 数か月でこの状態である。 保護者会が 恐怖に代わった。 

 当然意見は言ってみた。 でも保護者同士で面倒見るのは決定事項であると 多数決で負け 前に進んだ。 近くに親がいるのだから 子供の自立のため 離れて見守ると決定した。 誰が 保護者会に残るのか担任が確認をとった。 放課後教室に行く子 祖父母が面倒見れる子など いろいろだった。 学童に行く子の親は最初から来ていない。 
「Kaoさんの所は どうされますか? 放課後教室に行かれますか?」 
 行ける状態なら この話し合いに 出ていない。 夏休みも放課後教室に行ってもらうのを前提にシフトを入れたら 行きたくないと頑張った。 傷つきたくないのだ。 泣いていやがった。 仕方なく夫が在宅ワークに切り替えた。 切り替えられる日は・・・ 子連れで自営業を経験した私なら分かった。 仕事にならず 夫は夏中 不機嫌だった。
 全てが負の連鎖だった。

 関東大震災の教訓を生かし 9月1日に引取り訓練がある。 年齢が上の学年から引取るルールである。 最初に向った息子の教室。 保護者間での話し合いが長引いたので クラスには数人しか残ってなかった。 息子の性格を担任教師が把握してきたこの頃 挨拶をして帰る前に先生が言う。
「忘れ物は ないですか?」 
 何気ない一言だが 母親は反応する。
「机の中を がさ入れしたい気分です」 笑顔でつぶやいた。
「お母さん どうぞ・・・」
 片手を 教室に向け どうぞお入りくださいとジェスチャーで合図されれば 堂々と確認する息子の机の中。 新学期が始まったばかりなので道具がそろい余計な物が入っていない。 教科書を入れる方はカラのはずだが一応確認する。 なぜか算数プリントが一枚。
「これ? 宿題じゃないの?」 息子に確認する。
「終わってるから大丈夫!」 廊下から元気な返事が聞こえる。 
「それは すでに回収済みですが・・・ なんであるのかな?」 淡々と担任教師が息子に質問する。
「集める担当が 持って行ってくれなかった」 それが事実であるかのように語る息子。
「そういう時は 自分で 持ってきてね」
 やさしく笑顔で諭す先生の言葉 それが正解。 提出物を キチント提出しないと評価は得られない。 息子の机の上にあった宿題では無いと言い張る大量のプリントは こういうことだったのか・・・ と理解した母親。 
「ありがとう ございました」 がさ入れして正解だったと心の底から思った。 

 次に向かったのは娘のクラス。 学童に行く子しか残ってなかった。 他に親がいないとのんびり立ち話が出来るものである。 でも その内容が私の心を ダークサイドに変えてしまった。 
 昨日 偶然のチャンスから副校長とお話する機会があり 娘の話をした。 娘の就学相談は白紙撤回された経緯は3年前の出来事なので 副校長は知らないかもしれない。 教員に移動はつきものである。 ・・・が 娘の障害について何も知らなかったとは 私が知らなかった。 確かに個人情報であるが 悩ましいところであった。 その副校長からどんな指導があったのか知らない。 昨日の今日なので 出来ていないかもしれない。 
 でも支援級主任の先生が 私に向ってこう言った。
「ここは知的障害児学級です。 ダウンちゃんは このクラスにいてよい子なのです。 情緒障害も 本来なら違います。 Kaoさんの娘さんみたいなタイプも違うんです。 でも・・・ 市内にそういう学級がないから 受け入れているんです。」 

 唖然とした。 娘が噛まれた事を言っているのだと思った。 副校長から安全面の配慮を 指導され 親である私に 弁明したのだろうと思った。 ・・・というか 噛みつかれた事故は 確かに知的障害児学級ならよくある日常だろう。 それが昨年度 移籍に伴う懸案事項だった。 では昨年度の教育支援相談室でのやりとりは何だったのだろうかと疑問に思う。
 1年生の時 私の精神状態も悪く 学校給食のメニューも毎日チェックしてなかったせいと 担任の先生の見落としもあり 娘が間違って禁止食材の納豆(納豆汁)を 食べてしまった。 女の秘密じゃないけれど二人の秘密にしましょうと 担任の先生に報告したら 真面目にも管理職に自分から報告し 以降娘の禁止食材は アレルギーとは違うけど ミスが起きないようにしてくれた。 
 一方 噛みつかれたのが6月。 お泊り合宿の時にクラス担任に校医の言葉を伝えたのは7月。 養護の先生にも伝えたのに両方とも管理職に報告してなかった。 娘の日記(放課後教室でのトラブル)の存在も知らない。 何か対策をすると担任は言っていたが 管理職に報告すらしていなかった。 学校としてではなく 個人的に何とかするつもりだったのか疑問である。 だから 親のしつけが悪いと簡単に言葉がでてしまうのだろう。 親だけ問題ではないが 先生目線では 学校内でも放課後教室内での事故・トラブルは一切関知しないことになっている。 つまり担任の仕事ではない。 
 その結果が これである。

 娘の知的な遅れ 学校の勉強部分は面倒見るけど 心臓に関することは専門外(肢体不自由の管轄)だから 本来なら自分の仕事ではないと言っているのだろうか。 気持ちが完全にダークモードに突入して そんな風に言われているような気がした。

 話が途中だったけれど お迎えに来なかった生徒は体育館に集まるよう校内放送が入ったので ご挨拶して帰宅した。 娘と息子は おしゃべりで 帰り道に会話が途切れる事は無かったが 親の説教を聞く息子と同じ状態になった私は ただ相槌を うち 作り笑いも浮かべてたのか不明だが 泣きたい気持ちを押えるのに精いっぱいで何も聞こえてなかった。 
 何か言葉を吐きだしたら 泣きだしてしまいそうだったから 胸の中に飲み込もう 飲み込もうとする作業で いっぱい いっぱいになり 昼食も作れなかった。
 
 娘は久しぶりの学校で疲れたのか 帰宅と同時に眠ってしまった。 その髪をなでつづけ ながら この移籍は 娘の為になったのか疑問だけが残った。

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