« 9月1日の父親 | トップページ

2015年9月 9日 (水)

9月1日の出来事

 知的障害児を一束にまとめても やはり個性がある。 タイプは違う。 知的障害児学級と言っても特別支援学級でもある。 あの時・・・ 昨年度の相談でその問題はクリアしたはずだった。 手順は全て踏んだ。
 担任に相談・スクールカウンセラーに相談・校長から2年間予算の話を聞かされ・教育支援相談室を訪れ・心理士と指導員に相談・特別支援学校(養護)の肢体不自由・知的を見学し肢体不自由の学校説明会に参加 ← 一度目の失敗を繰り返さないため 保険として参加 
何度も養護のコーディネーターと肢体不自由か知的か その両方に娘は適してない事・手帳を持つ意味を 改めて考えた。 相談先は 障害福祉課や児童相談所(愛の手帳 = 知的障害児に関して) にもおよび ここでも子供を知的障害児にしなくても教育は受けれる。 小学校の問題は教育委員会の管轄を言い渡された。
 支援級に誘導する時は 当時の相談員(教育委員会指導部先生)と校長が一緒になって支援級なら出来て 普通級は出来ないと言った 冬の体育の問題 = 長袖・長ズボンの許可がおりないことを 2年時担任は 「医者からの指示です ということにしましょう。 私がそう説明します」 と体を張ってくれそうだったのを 私が断った。 一人だけ別行動することを 特別扱いすることを 調和を乱すと言う。 そう言われてしまえば それまでだ。 
 でも世田谷区と 都内でも福祉が充実した地区から移動してきた担任目線では 思うことがあったのだろう。 担任にも立場がある。 学校長だか 体育の先生(学校内での教師の役割・管轄)を 無視して暴走することの意味を 学校での担任の立場を 孤立させるものにならないか配慮して断った。 1年時から担任経由でお願いして2年時でも許可がでなかった。

 それを 校長・相談員は 支援級へ移動したら出来ますと言った。 

 冬の寒い雪の日に 遊びたくなって黙って外出してサチュが63%前後 70という数字を切ったとき娘が死ぬかと思った。 暖房の温度をあげ コタツに入れ 布団にくるまっても上がらない数字に恐怖を 覚え慌てて温めの風呂に入れ 肌がピンク色に戻った。 
 あの出来事で 冬場の外出が恐怖に変わった。 特に雪の日・・・ 子供に遊ぶなと言えるだろうか。 触りたくなり 楽しそうな友人を見つめ それを学校の教師に管理しろとは言えないから あえて学校を休ませる。 その時に出た数字 70%の世界を 味わう。 

 子供らしく生きて 子どもらしく死んで逝くなら 親として本望だと思うよう自分に長い事言い聞かせてきた。 それは自分勝手なのだろうか。

 冬の体育の問題は 体育着だけではない。 娘の体調不良(咳やたんがからみ嘔吐)のすき間を縫って 学校に行かせる。 どこまでやってくれるのか。 教師は何をやらないのか。 障害名をあげれば 体の中身の障害だから 学校の先生は配慮してくれるのか しないのか。 その話合いも この二人とした。 予算の話も聞かされ 養護との復籍で教師を(介助員)を確保する提案・冬場だけでも(サチュが下がり体調不良をおこす)教師の訪問は無理でも 学業に付いて行けるように指導や配慮はないのかも検討した。 ないということが分かった。
 手厚い支援 40人学級の3年生に進むより 8人で教員一人+担任(現在14名で教師3人)のほうが 手厚く面倒が見れると説得される。 この流れなら 娘の為にも何かしてくれるのでは・・・ と期待してしまうことを世間は母親の妄想と言うのかもしれないが・・・ 
「できます。 支援級ならできるでしょう。」 と校長も相談員も保障した。

 その二人が 今年はいない!!! 退職 & 移動である。  

 これは 現場で働くもの 小学校の教師に 「私は知りません 今 始めて知った情報です」 と言わせる口実でもある。 知らないのは事実だろう。 情報伝達の悪さは 最初の就学相談で思い知った。 

 娘の支援級移動は 昨年度内の移動も可能と連絡が来た。 学年ごとの移動のはずが 異常な動きを見せた。 校長もそんなことが出来るのか びっくりしていた事態である。 何か裏がありそうだと思ったが それが何なのか 想像出来なかった。 だから断った。 

 支援級のプレイルームのバランスボールに興味を持った娘。 体調が悪い時 外に出れない時は 娘の体に合わせて本を読んだり(読ませたり) 室内体育等 臨機応変に面倒見てくれるのか 1月の判定会議でOKが出た時点で 校長・支援級担任3人と私で面談するよう促された時に 本人達に確認した記憶がある。 
 校長の前で NO と言わなかった3人。 校長と相談室の先生が 出来ると言ったことが その場で反論しなかったことが 4月の保護者会で釘をさされた。 

「個別指導は いたしません。 たまに そう言うことを 言うお母さんが いるんですよね~」 

 移籍が決まり 移籍させてから知った事実。 体育2時間連続も同じである。

 私は 怒って良いのだろうか。 怒るべきなのか 子供を 学校という社会に預ける身であるから 学校が決めたルールに従うよう 怒りを抑えるべきなのか 自分でも分からない。 そんな感情をこめて 校長室へ向かった。

« 9月1日の父親 | トップページ

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1965900/61492228

この記事へのトラックバック一覧です: 9月1日の出来事:

« 9月1日の父親 | トップページ