新作『サイボーグ009VSデビルマン』を記念して『キャラクターランド』Vol.2でお話しを伺った、辻真先氏のインタビューを完全版で掲載!
『サイボーグ009』『デビルマン』脚本
辻真先インタビュー
『サイボーグ009VSデビルマン』の話題を受けて、『サイボーグ009』『デビルマン』両アニメ作品の脚本を手掛け、石ノ森章太郎、永井豪とも仕事をした辻真先さんにお話をうかがってきた。
(『キャラクターランド』Vol.2掲載の完全版)
劇場アニメで僕は009のメンバーを一人ずつ殺していく予定だったんです
ーー『サイボーグ009VSデビルマン』という新作アニメが作られてるんです。
辻 石ノ森さんと(永井)豪ちゃんは師弟関係ですしね。「VS」は、どっちかを殺すわけにいかないから大体「と」になってしまうんですよね。こういうのは高久進さんが上手かったんですがね。デビルマンがサイボーグ化したら面白いんじゃないですか?どうなるかわからないけれど(笑)。
(※資料を見ながら)『デビルマン』の美樹ちゃん変わったなぁ。あ、今度はちゃんと飛鳥了が出るんですね(笑)。やっぱり神山(健治)さんの『RE:CYBORG』とも少しキャラクターが違いますねぇ。いつだったか座談会で石ノ森さんは最初の『009』の劇場アニメの時、「もう少し俺の絵にならない?」ってこぼされましたよ(笑)。
ーーでも石ノ森先生の絵を真似するのは簡単じゃないですよね。
辻 ええ、そうです。
ーー『009』は劇場版がまず2本あったおかげで、最初のTVシリーズはけっこう石森タッチに近づいたように思います。
辻 そう言っていただければいいんですけど、そうでもないです(笑)。ただあの劇場版2本があったから『009』のテレビはできたんですよ。テレビ局から突然番組の枠が空いて何か出来ないかって言われて、東映さんが一からキャラデザなどを作るのは大変なんで、『009』だったらこれはもう芹(川有吾)さんが劇場版やったばかりだからすぐやれるということで、確か始めたと思いますね。
ーーその最初のTVシリーズになった『サイボーグ009』の話が来た時はすでに原作マンガは読まれてたんですか?
辻 『少年キング』で連載されていたのを読んでました。
ーー『009』以外の石ノ森作品も読まれてたんですか? 『怪人同盟』のエピソードとか使った話もありましたが。
辻 はい、読んでたと思いますね。後にアニメになった『さるとびエッちゃん』とか、もちろん『龍神沼』や『世界まんがる記』などだいたい読んでました。『テレビ小僧』は面白かった。細かくいっぱい分裂するテレビ小僧ってギャグはすげぇなと思いましたね。だから豪ちゃんの『馬子っこきん太』読んで、石ノ森さんのお弟子さんだなぁ~と思ったりしてね。
ーー脚本を10本担当された最初の『サイボーグ009』は、反戦がテーマになったりする事もあって、アニメとしては熱量が高いと思うんですが、そもそも石ノ森先生のヒーローはちょっと冷静ですよね。
辻 芹さんも僕もどっちかと言えば「太平洋の亡霊」(16話)を作るような人間だから、反戦の一点に関しては熱いんですよねえ(笑)。同じ感じで「平和の戦士は死なず」(26話)で締めくくりましたが、あれは『少年マガジン』連載版の最終回を完全に踏まえてます。星になって墜ちていく、そこまではリアルタイムで読んでて印象が非常に強いです。
ーーそれから11年後の1979年版『サイボーグ009』でも引き続き脚本を手がけてます。第1話を含めて8本担当されてますね。
辻 先日その第二期の第1話を観る機会があって「あっ」と思ったんです。全体のテーマをどうするのか皆さんと打ち合わせした覚えがないんですよね。神々と戦う北欧神話をベースにスタートしたんですが、僕だけ浮き上がっていたように記憶しています。
最初のアニメ化の時に、正月の劇場アニメをやる話があったんです。それで僕は009のメンバーを一人ずつ殺していく予定だったんですよ。一人死に二人死に順番に死んでいって、最後に生き残った009だけが遂に目的を達するという話。ヒーローはそういうことをやっちゃいかんよと、結局ダメでしたが、009は“悲壮なヒーロー”という点がウケたんだと思うんです。何か業を背負って、勝てっこない戦いをする悲壮なヒーローだからいつまでも印象に残るんじゃないかなという気がして、それを第二期でもやりたかったんです。
ーー第1話で辻さんはイワンに「人類の時代はもう終わるかもしれない」と暗く不吉な事を言わせてますが、そういうトーンを想定していたんですね。
辻 ええ、そうです。あれがいけなかったみたいです。試写のあとに「あれはないよ」って石森プロの加藤(昇)さんに言われて、「ありゃあ~、通ってなかったんだぁ」とかなりぎょっとしました。それで予定が全部崩れちゃいましたね。僕はどちらかと言うと“人類は衰退しました”の人ですから(笑)、人が死んでしまったら神も滅びるということに神が気が付く。だって人がいるから神様ですよね。いなくなっちゃったら神様なんていらなくなる、そのあたりで手を打つような話にすりゃいいや、ぐらいに思ってたんでしょうね、きっと。でも全然そっちにはいかなかった。なので本筋を追っかけるようなホンは僕は書いていなかったと思いますね。
ーーとはいえ、50本中8本書かれてます。
辻 だそうで、びっくりしました(笑)。
ーー石ノ森先生とのお付合いは結構あったんですか。
辻 あまり何かについて、自分たちの作品について熱く語るっていうのはなかったですね。今でも写真があるんですが、何かの時に舞台にあげられて二人で漫才をやった覚えがあります。恥ずかしげもなく(笑)。
デビルマンにはどう考えても正当性ないですよ。おかしいです(笑)
ーー『デビルマン』ですが、こちらはかなりライブ感があったと有名ですね。
辻 どちらも当時のTVアニメの事情で、打ち合わせる暇もクソもないという状況でしたけど、『デビルマン』は凄かったですね。まず何をやるんだかわからない状態でどこかに連れて行かれて、「永井さん知ってるの?」「ファンクラブも入ってるし、永井さん知ってるよ」でいきなり打ち合わせですもん。
それでまだ原作も無いんで、とにかく豪ちゃんにキャラと最初の設定を作っていただいて。氷からデビルマンが出てきて不動明に憑依して、何にでも化ける奴を出して、そこから先はそれぞれ適当にやってみようと(笑)。ただ、妖獣のキャラは描いていただかないと永井調が出せないからって、時間がない中、僕が見ている前で次から次へと描いてもらうっていう状況でした。名前を付ける暇もなかったんで最初の妖獣のヘンゲは僕が付けたと思います。次に女の妖獣を出してとお願いしてシレーヌ描いてもらって、その後あたりから少し落ち着いて描いてもらえるようになったという状況でした。ジンメンは申し訳なかったんですよ。豪ちゃんは非常に気に入っていたんですが、アニメだと残酷な首だけを描くのが難しくて出せなかった。マンガで読んで、なるほど、こう使うのかと感心したのを覚えてますね。
ーー他にも使わなかった妖獣がいたんですか?
辻 豪ちゃんは大盤振る舞いで随分描いたはずです。使わなかったキャラクターはどうなったのかな。あれ拾ったら相当役に立ったと思います。
ーー現場も相当大変だったんですね?
辻 そうそうそう。酷いときは打ち合わせを青山通りを歩きながらやった覚えがあります(笑)。監督さんと打ち合わせる暇もないですから。一話目の勝間田(具治)さんには最初の妖獣同士の戦いで出す血が赤いとスポンサー通らないかもしれないと言われて、「じゃあ、緑色にしたら」って僕が言ったんじゃなかったかなぁ。あれは体液なんだから別にヘモグロビンなくたっていい、そんな話はしましたね。
ーーではキャラクターと名前だけもらってストーリーを作っていったんですね。
辻 明が美樹には頭が上がらないという設定とか作りました。タレちゃんはこっちで名前付けちゃったと記憶してますね。飛鳥了が登場したときは「えっ、こんなの出たの?」っていう感じだったんで、僕は結局使わなかったですね。どう使うのかわかんなかったし、あんな風になるとは想像できませんから、まぁ、しょうがなかったなぁ(笑)。ただ、その前に豪ちゃんは『魔王ダンテ』を描いてて、あちらのほうに行きたいんだろうなっていうのはわかってました。
ーー原作が無いも同然ですね。
辻 本当に最初から一緒に作ったというか、だから一緒に仕事をしたという気持ちは非常に大きいんです。それから、僕が使ったキャラクターを豪ちゃんはどう使うのかなと思って連載されてた『週刊少年マガジン』を読んで、「ああ、こう使うのか、ヤバイ!」っていう感じです。最初にこれはとても永井先生に敵いませんと思ったのはシレーヌですね。あの最後の合体、あの手は僕も知らないわけではないんだけど、あそこでこうやるか、しかも純愛同士の、美女と野獣ですよね。それを合体させて、しかも弁慶の立ち往生をやらせるでしょう、あれには参った(笑)。巧いと言うか凄いなぁ~という感じですね。
こちらもテレビで出来ることは目一杯やりましたけど、それ以上に大人向けに行ってるあの頃の『マガジン』であんな風にやられちゃったら、もう最初っから出来っこないので中途半端に追っかけるよりは、ただ単に読者として読ませてもらってました。あの終わり頃のあれよあれよの凄味は、滅多に見られないマンガの面白さですね。自分の想定の斜め上を、かなり真上を行かれましたね。あれは、驚いた。驚いたけども豪ちゃん自身、最初に描きだしたときは、ああいう終わりになるとは思ってなかったんじゃないですか。途中から何かに憑かれたって感じですよね。
ーー豪先生はギャグ漫画と一緒で先を考えないで描くとおっしゃってます。
辻 うん、そこが面白いんですよね。それがピタッと決まると凄い。僕自身は豪ちゃんのギャグマンガが好きなんです。『荒野の剣マン』で敵の腕を千六本に刻むみたいな無茶苦茶なところが面白い。タイトルからぶっ壊す『キッカイくん』とか。凄味があった。
東映さんとしては、明るくたくましい、ちょいワルなヒーローというつもりで「デビルマン」の土俵を与えたつもりだったと思いますけど、その土俵からはみ出していったのはやはりあの時代の永井豪のエネルギーだったんでしょうね。僕は全くそこまで考えてませんでした(笑)。
ーーアニメの不動明は、どちらかと言えば惚れた女の子のために悪魔と戦う話というムードで、そこがいいと思います。
辻 デビルマンにはどう考えても正当性ないですよ。おかしいです(笑)。阿久悠さんがテーマソングで書いている通り。観てる側が人類だから筋が通ってるようですけど、悪魔族にとっては酷い話だと思いますね(笑)。
ーーそういう話を豪先生としたことはあるんですか?
辻 いや、してないです。でも同じようなこと考えてるんじゃないかあ。作品について熱く話すってことはあんまりないですね。人の作品については熱く話しますけれどね。
マンガの世界は醸成されていった。甘いだけのポートワインがよくできた焼酎になってきたなという感じ
ーー『サイボーグ009』と『デビルマン』は日本のエポックメイキングな作品になりましたが、当時はそういう風になると思ってらっしゃいましたか?
辻 思ってませんでした。『デビルマン』は作品ができていくその途中経過にいましたから、いよいよわかりませんでした。むしろ僕は『キューティーハニー』のほうが上へいくかなと思ってたんです。少し色っぽく、少しギャグっぽく、少しアクションっぽく、先は何だかわからん、そういう感じがそれまでの永井豪的な雰囲気の集大成だと思ったもんですから。あれはNETさんは少女版の多羅尾伴内だと言ってましたから、そういう意味で当たる要素がいっぱいあった。『デビルマン』はサイドで、『キューティーハニー』がメインだと思ってました。しかし最終的にはみんなが圧倒され、永井作品の王道になるというのは、やっぱり読者もそれだけ進んできたというか、マンガの世界が醸成されていったことだと思います。最初は単なる甘いだけのポートワインだったのが、非常によくできた焼酎になってきたなという、そういう感じは受けました。
『009』のときはどうなんだろな。僕はそれまでの石ノ森作品としてはもちろん旗頭だと思うんですけど、でも、まだ石ノ森さんも若かったし、次から次へと新しい色んなことをやってましたでしょう。だからまだ、もっと他のものが出てくるんじゃないかなというような気がしてましたね。まだまだいっぱい引き出しがあるはずだから、次から次へと出てくるんじゃないかと、実は思っていたんですよ。
そうしたら『仮面ライダー』とかそちらのほうへ行っちゃったわけですよね。だから僕と違う方向へ行ってしまった。ヒーローものでもっと009よりも凄いのを出してくるんじゃないかって。その意味では平井和正さん原作の『幻魔大戦』に非常に期待したんです。人間が集まってダンゴになってるなんて、画にするのに凄い大変そうな注文を平井さんするなぁ~って思ってたんですけど、それを石ノ森さんは画にしましたからね。だからあの線のもっともっと先があるだろうと思ったんですよ。そしたら、仮面ライダーやゴレンジャーの実写で大きく受けてしまった。当然東映さんも次の企画、次の企画ってなりますから、009の路線はあまり描かなくなってしまった。もっと『サイボーグ009』の先を読ませてほしかったという気もします。
ーーどちらかというと特撮の石ノ森章太郎、ロボットアニメの永井豪という風に分かれていった印象です。
辻 もちろんそれはそれでいいし、どっちつかずよりははるかにいいとは思いますが。そうなると、豪ちゃんが特撮のほうへもっていかれなくてよかったなと思いますね。だんだん特撮対アニメっていう感じにもなりましたしね。
『009』と『デビルマン』はアニメに関して言えば、東映動画の勢いや熱気もあって当時の子供たちを惹きつけたんだと思います。今の若い視聴者には子供っぽいもんじゃなくて、大人向けに作ればちゃんと楽しめると思います。
(2015.7.10 熱海にて)
<構成・文/今秀生>