東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 千葉 > 9月9日の記事一覧 > 記事

ここから本文

【千葉】

言論抑圧の時代知って 我孫子で「アサヒグラフ」から見る戦時報道展

戦況を勇ましく伝える「アサヒグラフ」=我孫子市の杉村楚人冠記念館で

写真

 雑誌「アサヒグラフ」から、戦時中のメディアの報道姿勢を紹介する企画展が、我孫子市の杉村楚人冠(そじんかん)記念館で開かれている。紙面からは、戦意高揚が強調された時代の空気が伝わってくる。 (三輪喜人)

 戦後七十年と市の平和都市宣言三十年の記念事業。杉村楚人冠は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストで、記念館によると、アサヒグラフが一九二三年に創刊されるときの編集責任者だった。

 会場には、戦況が悪化した四四年十月〜四五年三月までの同誌十二点を展示。B4判の週刊誌で、誌面には勇ましい言葉で日本を美化する記事が並ぶ。

 特攻隊の出撃ルポでは、見出しや文章で「神」の言葉を使い、特攻隊員を神格化。自爆攻撃を「敵艦に突撃する神鷲」と表現した。

 働き手を戦場に取られ、苦しいはずの農村でも、紙面に登場する人たちの表情は晴れやか。写真には「あなたの汗が手不足も肥料不足をも征服した」との説明が添えられ、明るく闘う農民を印象づける。

 劇場を工場に変えたり、大阪の中心部で畑作が行われていることを報じたときは、「国民の士気は下がるどころか、尻上がりである。決戦の十九年を送り、決勝の二十年を迎えようという東京、大阪の街頭風景には悲壮感などみじんもない」と伝えている。

 担当した同館の高木大祐さんは「暗い部分を一切出さず、真剣な表情か笑顔で埋め尽くし、日常生活の記事が戦意高揚に組み込まれている。軍の検閲もあり、言論が抑圧されていた」と指摘。「暮らしが悪くなる中で、これを読んでいた当時の人の気持ちを想像してみてほしい」と話した。

 杉村楚人冠は当時、同誌に随筆を連載し、絶筆となった号も並ぶ。十月四日まで。月曜休館。

 

この記事を印刷する

PR情報