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indiasantanaの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-10-24

Oh!Calcutta !

一枚の写真。ヨーロッパのどこの街だろう?

美しい町並み。白亜の殿堂。


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これは1930年代のカルカッタ(現コルカタ)のパークストリート。

今はマザーテレササラニと通りの名は変わってしまったが、

コルカタいちの繁華街である。

今のパークストリートを知っている人にとって、この写真の整然として

清潔な風景には、全く驚かされるのである。


大英帝国が七つの海を支配していたころ、インドは英国の宝石と呼ばれ、

カルカッタは英領インド帝国の都であった。英国は威信をかけて、都として

ふさわしい街、カルカッタを作り上げた。英国の直接支配が始まってから、

1911年にデリーに遷都されるまで、インド支配の中心として、インドの

政治、経済、文化、独立運動、宗教改革、全てをこのカルカッタが牽引していた

のだ。今のインドにはコルカタを凌ぐ大都市、ムンバイ、デリーなどが

あるけれど、そもそもコルカタは他の都市とは、その始まり、成り立ちを

異とするのだ。


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この建物はライターズビルディングと呼ばれる、英国直接統治以前に

東インド会社の事務員が働いていた建物である。後に東インド会社は

インド大反乱の罪を問われ廃止されてしまう。この建物は英国植民地時代の

象徴であり、遺産である。建設は1777年に始まり、増築、改築を重ね、現在の

形に至るのである。200年以上の歴史は誇るが、日本のように何でもかんでも

お金儲けのために、世界遺産にしようなどという動きは見られない。


コルカタには他にもまだ、植民地時代に建てられた古い建物はゴロゴロある。

まあ、しかしインド人の手入れの悪さに、歴史的建物も壁は剥げ落ち、レンガも

崩れ落ちていることも否めないが。それでもなおコルカタの街並みには

植民地時代の歴史的重みを感じざるを得ない。


世界遺産に認定された物にしか、価値を見出さない今の旅行者にとって、

コルカタの街並みに秘められた、ヨーロッパ列強による帝国主義の爪跡や

植民地時代の歴史的重みを感じるチャンスなど訪れないであろう。

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