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心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

自死遺族としての思いや日常のことなど徒然なるままに

それでも私は、人に期待してしまう。

日常 思考


何度も何度も裏切られたり、裏切ったり、意識と無意識の違いすら把握せずに人は他人を傷つけてしまう。他人に人はいとも簡単に傷つけられる。それくらい人は脆く繊細な生き物。それくらいわかっていても人は人に期待してしまう。私は人に夢を見ている。人に期待することを諦めきれずにいる。

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ああでもない、こうでもない、板挟みに合った私の心はどんどん削られていく。かつお節みたいになってひと息で飛んで行ってしまうのが人の心だ。いろんな人が誰かに期待し、何かを託していく。でもそれは上手く行くわけではない。会社のデスクで帰りたいとそっと呟くのが些細な息抜きであった。誰と誰のやりとりに不備があったわけではない。寧ろ誰しもやりとりに不備はあると考えているほうが世の中を上手く渡っていけるだろう。羽根のようにふわふわと人の中をすり抜けていきたい。そんなこと考えたところで何の解決にもならない。


「もう良いじゃない」って誰かが言った。

「期待することを諦めたら良いじゃない」と。そうすれば絶対楽になるからと。

でも違う、そうじゃなく。私が誰かに期待するのは楽になるとかならないとかそういうことなのではなく。期待されることの価値を忘れずにいたいからであって。

期待されると役割が産まれる。役割が産まれると行動が生まれる。その行動から生まれる気づきや思考を尊いと思っているからで。だからそのためなら何度裏切られたとしても人に期待して人に価値を見出すことを諦めたくないんだっていう見栄っ張りな私のエゴなので、それはひっくり返すと私も期待されたいという願望なのであって。

みっともなくてもせめて、他人や自分に何らかのの価値があるという希望的な願望だけはずっと抱き続けてしまうので、

誰かになんと言われても、馬鹿だと言われても、


それでも私は、人に期待してしまう。