「本を読まないやつは薄っぺらい気がする」「そんなに読書してるの?賢いんだね」
「本を読まないような頭の悪い女とは付き合いたくない」
ここ最近、読書という趣味がかなりもてはやされている、と思う。
読書が娯楽やお遊びだった時代も長いというのに。
活字離れの指摘なんかはかなり前からあるし、15年くらい生きていれば一度は必ずどこかで見聞きするはずだ。指摘するということは活字を、ひいては本を読むことを相当評価している/必要だと思っているということ。
活字離れの理由としては、いろいろなゲームやメディアがとってかわったから、とかいろいろなことが重なっているのだろうと思うけれど、本題はそこではなくて。
日常的に本を読む人=一緒くたに賢い人 みたいな評価がはびこっているのは、一読書家として少し違う気がする、という話。
本はよく読むけど「頭が悪い」「賢くない」人けっこういるよね?
※私は社会人は底辺ブラック企業に勤めただけの経験しかないので、特に社会人では当てはまらない話かもしれません
「頭がいい」「賢い」の定義
頭がいい、賢い、という評価について突っ込む前に、混乱の元なので世間的な「賢さ」について定義しておこう。
これは完全に私の価値観と経験則なので、共感できない人も多いとは思う。ちなみに賢い、と評価される場合についてなので、以下に挙げるものが周囲に認知されている状態を指します。
賢さにもいろいろあると思うけれど、おおまかに分けて5つ。
1、情報としての知識が豊富であること。単純に周囲に比べてさまざまな情報に精通している、という意味。広い場合と深い(詳しい)場合がある。ちなみに「詳しい」の場合、あまりその集団で必要とされない知識や狭いところに大きく偏っていたりすると、賢いとは思われない。賢いとされないジャンルも存在する。
2、経験に基づいた考え、という意味の知識を持っている、ということ。たとえば経験に基づいた適切なアドバイスができる、立ち振る舞いが上手い、など。聡明、賢明という表現が近いかもしれない。コミュ力が高かったり人を使うのがうまい人とかにも当てはまる。
3、知識に基づいた独創的な考え方があること・他と一線を画した発想力があるということ。これは評価ベースになると思うけど、独特の切り口とか発想があって、それになにか深い・広い知識に基づく気がするような、思考力や知性という表現がぴったりくるもの。2または4との合わせ技で強化される。
4、論理的であること、表現が豊富であること。筋道立てて、順序立てて、(わかりやすく)表現できると賢いと評価されやすい。
5、単純に学校のお勉強ができるということ。高学歴も含む。社会に出たらあまり聞かなくなる(仕事についての勉強や経験に取って代わられる)。
この全部が大抵オーバーラップするので、切り離すのは不自然かもしれないが、わかりやすくするために単純化してみた。
で、この中に読書することが深く影響するものは、精々1と3くらいのはずだ。
本を読まなければ「賢く」ないのか?
読書する人→賢い は成り立つとされるが、賢い人→読書するから(実際に読書している場合は除く)はあまり言われない。
同様に、頭の悪い人→読書しないことに起因する はたまに聞くけど、読書しない人→頭が悪い はあまり成り立たない。
そいつは大抵、読書しないから頭が悪い(ように見える)のではなくて、経験が足りないとか仕事ができないとか、適度に論理的に話せないとか、あんまり読書が関係ないところで頭が悪そうに見えている場合が多い。
読書家のコミュ障なんて腐るほどいるから。
読書が関係してくるところとしては、おそらく「日本語がちゃんと使えていない」「語彙が少ない」みたいな部分だと思う。
読書と「賢さ」の関連を、上の「賢い」の定義からみていくと
1、情報としての知識が豊富である
特に読書に限定する必要はないが、学問や技術については、読書が必須。ある程度読書=賢い が成立する。ただ、今どきインターネットで軽く「賢い」と評価されるだけの知識を集めることは可能だし、むしろそちらが主流だと思う。
〇関連する
2、経験に基づいた考え、という意味の知識を持っている
これは最も読書が関係ないもの。読書で強化されることはあるものの、たとえば賢いとされる、仕事ができる人、立ち振る舞いが上手い人、リーダー体質など立場が高い人等で読書がダイレクトに関係している場合は少ない。経験からくる思考・対応力による賢さ。
×ほぼ直接関連しない
3、知識に基づいた他と一線を画した発想力がある・頭の回転が早い
これも経験やもともと持っているものによるところが大きい。むしろ特性の部分である。勉強や創作活動、討論などによって強化できる。
しかし、読書によって鍛えることが可能。
△絶対に必要ではないが、ある程度の関連がある
4、論理的であること、表現が豊富であること
論理的思考も特性的な部分はあるが、訓練や社会生活の中で強化が可能。むろん、読書で強化も可能。表現については、接してきたもの・インプットによるところが大きいので、読書している人が豊富に持っているパターンが多い。ただ、これも社会生活の中やインターネット、ものによってはテレビなどでもで身につけることが可能。
△絶対に必要ではないが、ある程度の関連がある
5、単純に学校のお勉強ができる
大学ぐらいになると読書量と専門化が関連してくるが、それ以前には不要。社会で特に専門職でもない限り、学校のお勉強だけできることは「賢い」とは言われない。
×特に専門分野に進まない限り直接関連しない
以上、専門知識的な面以外で、読書が「賢い」という評価に直結する場合はない。
ただし、たとえば「あの人は論理的にいつも物事を考える(=賢い)」→「それは読書するからだ」みたいな事実も後付も含めたパターンは多い。
「小説を読む人」v.s.「ビジネス書や評論を読む人」
本にもいろいろなジャンルや種類がある。
読書の種類がビジネス書や評論系か小説かによってもかなり変わる。前者のほうが圧倒的に賢いと社会では評価されやすい。これは、論理性を評価する社会だからだと思うし、事実、たとえば仕事ならビジネス書などで得た知識を使うことで評価される→2の意味で「賢い」と評価される、みたいなことはあるのではないかな。
生き方系や趣味、自己啓発本系などは評価が低くなるはず。
小説にも「賢い」と評価されやすいものがある。純文学や古典文学はその最たるもので、次に歴史小説や海外文学、流行の軽い本や恋愛小説なんかは低め(恋愛がそもそも感情的なものである)、その下にケータイ小説やラノベなんかがくる印象だ。
私のイメージで世間的に賢いとされる本のジャンルの図(?)を作ってみた。もちろん、ジャンル全てを網羅したものではない。私のイメージであることは重ねて書いておく。
頂点
専門書、学術書
↑
ビジネス書
↑
純文学、古典文学(賢い、というより「すごい」)
↑
新書など、教養
↑
歴史、海外小説、
↑
推理小説、SF小説
↑
生き方、自己啓発、趣味、エッセイ
↑
軽めの小説、ラノベ
↑
※参考:ジャンル一覧 | 小学館
まとめ: 読書は賢さに影響するか?
結論から言うと、ある意味、ある部分では影響する。
読書から得られるものの代表格というと、知識、深く考えることによってつく思考力、発想力、読解力、語彙力、論理的な思考、表現力。
でも、全部個人差がとても大きいし、別に読書が絶対条件の場合はほとんどない。
ここまで書いてきて、どちらかというと「賢い」という言葉の使い方の問題な気もしてきた。
それと、読むジャンルとどこまで深く思考したかの個人差があるこ とに原因する、とも。「頭が悪い」のを読書に転嫁しているとも。要は集団の中で「高いパフォーマンスを発揮できる」「役に立つ」のが「賢い」とも。で、それは別に読書が必須ではない。
普通の人にできない範囲でやるか、社会で必要とされるか否かで「賢い」の評価が分かれるわけ。
結局、それらをいっしょくたにされると違和感を覚えるのだ、私は。
ちなみにこの記事は、初対面なんかで
私「趣味は読書でいっぱい読んでるよ!」
相手「すごい!じゃあ賢いんだ!期待!」
ーーーーーーーー
(ある程度会話したり一緒に作業して)
相手「あ・・・こいつ頭悪いわ(白い眼)」
みたいないつもの流れが嫌すぎて書きました。
※相手が読書する人か人間性的に「賢ければ」起こらない
最後に、頭が悪い読書家の1人として総括させてもらう。
本を読んだだけでは、「賢く」はならないよ。
おわり