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【社会】

在日ハルモニ「せんそうはんたい」 翻弄される人生 私で終わりに

手づくりのプラカードを掲げ、安保法案反対を訴えてデモ行進するハルモニたち=5日、川崎市川崎区で

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 「せんそうはんたい」。川崎市で五日、日本の植民地支配や朝鮮戦争に翻弄(ほんろう)されてきた在日コリアン一世の高齢女性たちが、安全保障関連法案に反対するデモを行った。プラカードには、七十歳を超えて通い始めた識字学級で苦労して覚えたひらがなのメッセージ。「戦争は、本当に嫌だから」。その一文字一文字に、ハルモニ(おばあさん)たちの平和への思いが宿る。 (横井武昭)

 「平和が一番、子どもを守れ」。韓国の伝統打楽器チャンゴの音に合わせ、ハルモニたちの声が響いた。色鮮やかな民族衣装を着るなどした約四十人は大勢の支援者らとともに、同市川崎区桜本の商店街の約八百メートルを練り歩いた。

 デモは地元の在日コリアン交流グループ「トラヂの会」が企画した。同会の趙良葉(チョウヤンヨプ)さん(78)は「国会の審議を聞き、戦争を体験した身として反対しなくてはいけないと、皆が思った」と話す。メンバーには八十代、九十代も多く、国会前のデモには参加が難しいため、地元で声を上げることにした。

 この日のデモの列に、徐類順(ソユスン)さん(89)の姿もあった。植民地支配下の韓国南東部の出身。幼いころに父を亡くし、日本で働いていた兄を頼って十四歳で来日したが、生活は苦しく、学校に行けないまま旋盤工場などで懸命に働いた。

 戦後に朝鮮半島に戻ったが、母と夫を亡くし、間もなく朝鮮戦争が始まった。幼い娘を連れ、ゴザ一枚とアルミのおわん一つを手に戦火の中を逃げ回った。「人が死んで倒れているのが動物のように見えた」。恐怖が今も目に焼きつく。

 その後、仕事を求めて再び来日。読み書きができず、ビル掃除や焼き肉店の皿洗いをして七十八歳まで働き、娘や孫を育てた。

 デモで使ったプラカードやうちわは、仲間と手作りした。表面には識字学級で覚えたひらがなとカタカナで「せんそうはんたい」「せんそうイヤダ」と、素直な気持ちを表現した。

 「日本は故郷と同じ。だから、これからの若い人に私たちのような戦争を経験させないよう、声を上げ続けたい」

 

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