2015年09月06日
「日常の色んなことを「当たり前でないこと」と感じられる能力」が余りにも大事過ぎる
能力名とかないんでしょうかこの能力。そのまんま書いてると文章が長くなりすぎるので、仮に能力αと呼称してみます。
家庭生活において、能力αは「日頃の地味な努力、地味な気遣いを埋没させない能力」です。
例えば、しんざき奥様は、日頃ホントーに色んなところで私をサポートしてくれており、家庭内で私は殆どノーストレスでいさせてもらっています。私の方でも、なるべく奥様がストレスを感じないで済むように、できる限り努力しているつもりです。
こういう、お互いの普段の努力って、ほっとくとすぐ「当たり前のこと」になって埋没しやすいんですよね。
それ以外でも、例えば家事の分担であるとか、子どもの宿題への頑張りであるとか、日常生活は「地味な努力」「地味な苦労」であふれています。
そういうものを、ただ頻度が高いだけで「当たり前のこと」「当たり前のもの」として流してしまうようになると、それはその内「降り積もるストレス」になってしまったり、お互いへの関心の低減に繋がったりしてしまいます。
そういう「当たり前のこと」を当たり前にせず、きちんと掘り起こして「偉かったね、ありがとう」と評価し合うことって、人間関係の上でものすごく大事なことだと思うんですよ。これは、夫婦間、親子間に限らず、どんな関係でもそうだと思います。
ブロガーや表現者にとって、能力αは「日常で気付きにくいことを、特別なこととしてみんなに伝えられる能力」です。
大体において、一般人の生活なんて、そこまで大きく異なるものじゃないんですよね。「波乱万丈の生活」をしている人は、勿論いないわけじゃないんですが、実際は非常に少ない。大多数の人は、当たり前の日常を当たり前に送っているんです。
けど、そんな生活を「つまんない生活」と考えられる人と、「面白い生活」と考えられる人の差って、多分根本は能力αにあると思うんですよ。ごく当たり前のように見える石ころの中に、何か特別なものを見つけられるか、どうか。さらに、それを人に伝えられるか、どうか。
能力αに優れている人の話って、凄く面白いんです。なんてことのない日常生活の出来事なんですが、その人のフィルターを通してみると、ただの石ころが物凄く綺麗な何かに見えてくる。
「サトラレ」っていう漫画にいましたよね。田中さんでしたっけ、画家のサトラレ。なんてことのない筈の近所の山の風景を、ひたすら描き続けている天才画家。
twitterや、色んなブログで「これは面白い」と唸らされるテーマって、大体「自分も気付いてはいたこと」「自分も経験してはいたこと」なんですよね。けど、そこに「ブログに書く程の特別さ」を自分は見出すことが出来なかった。この辺が、多分表現者としての能力の差に直結してるんだと思うんです。
例えば、仕事において能力αは「日常業務に改善点を発見し、ミスを低減させる能力」だったりします。例えば、勉強において能力αは、「校長先生の朝礼でのお話が、意外と含蓄にあふれて面白いということに気付く能力」だったりします。
事ほど左様に、「日常の色んなことを「当たり前でないこと」と感じられる能力」は、余りにも利点にあふれた重要な能力でありすぎるわけです。
「当たり前のこと」をただの「当たり前のこと」で、終わらせないように。しんざきも、「日常の色んなことを「当たり前でないこと」と感じられる能力」を今後とも研ぎ澄ませていきたいと考える次第です。
今日書きたいことはそれくらい。
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