木曜日, 8月 20, 2015

柄谷行人インタビュー「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する」 2015年8月 15日 朝日新聞朝刊


柄谷行人インタビュー   
「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する」
2015年8月15日 朝日新聞朝刊
(裏面は安倍談話全文)

▶︎七◯年目の
八月一五日に

 今年元日の朝日新聞の小社広告で、歴史家のジョン・ダワー氏は、七◯年前、敗戦の惨状に打ちひしがれ
て日本人に触れ、「(その日本では)新憲法に具体化された「平和とデモクラシー」の理想に、社会のあらゆる
層の人びとが奮いたった」「その草の根の回復力、規律、反戦の理想は、どれほど賞賛してもしつくせるものでは
ありません」と述べました。今日が、まさに敗戦の七◯年目に当たります。
 いま、国会では、憲法学者によって「憲法九条違反である」と明言された法案が審議されています、七月には
衆議院でこの法案の強行採決がなされました、柄谷さんは、保守政権によって、長く「理想的すぎる」
「現実の脅威を見ていない」と非難され続けてきた憲法九条を高く評価する立場を表明しておられます。今の安
保法制の議論でも、政権が法案を正当化する根拠は、「現実の脅威」です。
 現代の世界において、日本国憲法第九条はどんな意味を持っているのでしょうか。

柄谷 戦後七◯年といわれますが、戦後という言葉を第二次大戦後という意味で使っているのは、たぶ
ん日本だけでしょう。それは、日本には戦後に新憲法があって、戦争をしないことになっているからで
す。憲法九条が、普遍的な意味を持っていることは確かです。それは、さかのぼればカントの『永遠平
和のために』の精神を受け継ぎ、一九二八年の不戦条約の精神を受け継いでいるものです。そして、実
際日本人に支持されています。
 しかし、それは人々が憲法九条について啓蒙されたからではなく、護憲運動があったからでもありません。憲法九
条は、当時日本人が戦争を反省して自発的に作ったものではなく、占領軍が強制したものです。だから、保守派は日
本人の自発的な憲法を作ろうといってきたわけです。しかし、強制された自発的であることとは、矛盾しないのです。たとえ
ば、憲法ができて数年後、朝鮮戦争の際にアメリカがこの憲法を変えようとしたとき、日本人は(保守
の吉田政権ですが)それに抵抗しました。その時に、日本は憲法九条を自発的に選んだといえます。
 ただ、この時期の問題は、憲法九条の解釈を変えて自衛隊を承認したことです。ある意味で、解釈改憲はこのときから始まったといえます。しかし、憲法九条自体を変えようとはしませんでした。保守派
はそれを変える機会が来るのをずっと待っていたのですが、できなかった。今もできません。それは、
戦後の日本人には、戦争を忌避する精神が深く根付いたからです。それは「無意識」のものです。集団
的無意識ですね。これは意譏的なものではないから、論理的な説得によっても、宜伝 · 煽動によっても変
えることができない。そして、これは、社会状況が変わっても世代が変わっても残る。
 アメリカは日本と同じではありませんが、べトナム戦争でよく似た経験をしています。べトナム戦争
以降、彼らは二度と徴兵制を採れない。それは無意譏の戦争忌避があるからです。日本の憲法九条のよ
に明文化はされていませんが、もし現職の大統領や大統領候補が徴兵を唱えたらどうなるか。たちま
ち終わりです。アメリカ政府は、べトナム戦争以降ずっとその状態が元に戻るのを待っていたはずです。
9・11の際は、これでアメリカ人も憤激して立ち上がるだろう、進んで戦争にも行くだろうと考えたで
しよう。しかし、確かにそういう兆しも見えましたが、すぐに消えた。アメリカ人も、もう自由のため
に、などと言って戦争に行って死んだりはしないのです。今後の戦争は、傭兵のような戦争のプロ、ド
ローンのようなロボットが行うようになるでしょう。もはや国民は戦争には参加できないのです。これが
在の戦争の現実です。
 憲法九条が日本だけではなく、一定の独立を達成した国では、戦争で進んで死ぬということは無
理だと思います。たしかに、独立を実現するまでは多くの人々は命を睹けて戦うでしょう。が、独立し
た後、他の国民を攻撃するような戦争には無理がある。国家がどう言おうと、人々が進んで戦争に行く
ことはありえない。
 現在の政権が本気で戦争をする気があるなら、たんに憲法の解釈を変えるのではなく、九条そのもの
を変えるべきですね。むろん、それはできない。変えようとする政権や政党のほうが壊减します。それ
は、戦争を拒否する無意識の「超自我」が存在するからです。憲法九条はいわば「虎の尾」です。今の
政権はそれを踏んでしまったのではないですか。

▶︎デモで社会は変わる

 安保法制に対して、法学者だけでなく、非常に多くの学者、研究者、文化人などが反対の声を上
げ、国会周辺を若い人々が取り巻いています。こうしたことは、実に久しぶりのことです。いま「戦後」の精神
は生きていると考えますか。

柄谷 戦後の精神とは、すなわち、戦後憲法ですね。たとえぱ、集会 · デモの自由は戦後憲法によって保
障されたものですから。私はー九六◯年の安保闘争に参加していたのですが、その当時、デモは普通の
行為でした。ですが、一九七◯年以降に普通の人がデモに行くことができなくなってしまいました。デ
モに対する懐疑も強くなりました。「デモで社会が変わるのか」と。私はその考えを変えたいと思って
いたのですが、震災と原発事故の後にそうした状況が出てきました。たしかに「デモで社会は変わる」
のです。なぜならば「人が普通にデモをする社会」に変わるのですから。今、国会周辺では每日のよう
に集会があります。いつ行っても誰かがいます。それは全国でも同様でしょう。原発事故以来、こうい
う下地ができていたのです。その上で、今の政權は解釈改憲を強行した。大きなデモが起こるのは当然
です。今日の状况がー挙にできたわけではありません。
 ただ心配なのは、たしかに戦争の危機が強まっていることです。いまは〈戦前〉である、と私はー九九
◯年代から書いていました。現代は帝国主義的な時代であり、たとえば、ー◯◯年前、第一次大戦の時
のように、最初はオーストリアとセルビアのいざこざ程度の紛争が、四年もつづく世界戦争になってし
まったのと同じことが起こる可能性がある。同盟関係というものが、大規模な戦争を引き起こしたので
す。いまの政権は、同盟関係によって戦争は抑止できると言っていますが、同盟関係の連鎖は恐ろしい
ものです。世界戦争はそれによって起こる、と私は考えています。

 ▶︎世界共和国へ

「戦後」を引き継ぎ、次の世界に向かう、私たちのこれからの理想はなんでしょうか。

柄谷 別に新しい理想は要りません。憲法九条を本当に実行すること、それが理想です。いうまでもな
いですが、現状は九条に反しています。米軍基地が各地にあり、自衛隊には莫大な国家予算がついてい
る。憲法九条の文言を素直に読めば、こんなことがありうるわけがないのです。
 九条を文字通り実行すること、それはたんに日本人の理想ではありません。それは、カントが人
類史の到達点とした「世界共和国」にいたる第一歩です。もちろん、これは日本一国ではできません。
九条も、憲法前文に書かれているように、戦後に成立した国連を前提としているのであって、一国主義
ではありません。
 現在、国連は機能しなくなっています。戦争を阻止する力をもたない国連を変えるためには、それ
ぞれの国での対抗運動が必要です。たとえば、日本が今後憲法九条を実行するということを、国連で宣
言するだけで、状況は決定的に変わります。

(聞き手=岩波書店社長 岡本 厚)



2015.8.15.朝日5面【全面広告】柄谷行人(岩波書店)


岩波書店 @Iwanamishoten  20150901
小社HPの特集「戦後70年 「戦」の「後」であり続けるために」を更新しました.今回は,終戦記念日に朝日新聞に掲載された,哲学者・柄谷行人さんのインタビューをご紹介します.テーマは「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する」
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/postwar70/index.html 












2015年8月15日 朝日新聞朝刊

http://enbukuro.exblog.jp/24796088/

・柄谷行人インタビュー:「戦後七〇年憲法九条を本当に実行する」

(聞き手 岩波書店社長 岡本厚)朝日新聞 


”憲法九条を変えることはできません。ーそれは、戦後の日本人には、戦争を忌避する

精神が深く根付いていたからです。それは「無意識」のものです。集団的無意識ですね。

これは意識的なもではないから、論理的な説得によっても、宣伝・煽動によっても変える

ことはできない。そして、これは、社会状況が変わっても世代が変わっても残る。”

http://i.imgur.com/hk5oviO.jpg



番外:
柄谷行人先生の新宿公開講座、『千年王国と現在』に、行ってきました。満員御礼でした。柄谷行人先生直々に、カール・バルトやエルンスト・ブロッホの文章が読み上げられて、感動しました。質疑応答の内容も充実していて良かったですね。満足でした。

kaoru_kawase (川瀬薫) - 22時間前 


戦後日本の宗教史―天皇制・祖先崇拝・新宗教 [著]島田裕巳 - 柄谷行人(哲学者) - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015082300003.html
■高度成長で変化、オウム事件の意味

 本書は「戦後日本の宗教史」という題であるが、むしろ、戦後日本の社会史を、宗教、特に新宗教の歴史から見るものだといってよい。時代でいえば、つぎの二つに区分される。戦後灰燼(かいじん)と化した日本経済が高度成長を遂げオイルショックに出会う1973年までと、以後バブルに浮かれながらも、没落の予感の中にあった95年まで。一社会のかくも急激な変化を見る観点はさまざまあるだろうが、新宗教の歴史に的を絞ると、通常見えないものが見えてくる。
 本書は、戦後の新宗教を天皇制と祖先崇拝という軸から考察する。それらは、戦前までの日本の宗教を根本的に規定するものであった。戦後に新宗教をもたらした原因は、何よりも、国家神道に集約される天皇制ファシズムの終焉(しゅうえん)である。新憲法によって信教の自由が保障され、また、天皇の人間宣言がなされたとき興隆したのは、それまで国家神道に抵触するため抑圧されてきた神道系の宗教であった。中でも、踊る宗教で知られた教祖北村サヨは、「皇祖神」を奉じ、現人神(あらひとがみ)の地位を降りた天皇にかわる役割を果たそうとした。
 つぎの段階の新宗教をもたらしたのは、祖先崇拝を事実上不可能にするような社会的変化である。それは1950年代後半から経済的な高度成長とともに生じた。この時期に急激に拡大したのが、戦前に弾圧されていた日蓮宗系の宗派である。中でも、創価学会が目立ったのは、徳川時代以来日本の仏教にあった祖先崇拝のシステムをもたなかったことである。それはたんに教義の問題ではない。仏教という形であれ神道という形であれ、それまで祖先崇拝が存在していたのは、農村・都市の共同体が残っていたからである。創価学会に引き寄せられたのは、主に都市に移動してきた若い貧困層で、共同体とのつながりをもたない人たちであった。
 最後に、70年代に興隆してきた新宗教の特徴は、終末論的だということである。統一教会、幸福の科学、そして、95年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教など。これらは高度成長から停滞に向かった社会の不安を反映していた。この「戦後日本の宗教史」は、オウムで終わっている。それは全く正しい。オウムは当時、ロシアに3万人の信者がいたといわれる。それはもはや「戦後日本」に限定される現象ではなかった。オウムの起こした事件は来たるべき戦争に備えるものであった。その意味で、2001年ニューヨークのテロを先取りするものであり、現在のイスラム国(IS)にもつながるものである。のみならず、それは現在の日本国家にもつながっている。
    ◇
 筑摩選書・1836円/しまだ・ひろみ 53年生まれ。宗教学者・作家・東京女子大学非常勤講師。日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術センター特任研究員などを歴任。著書に『神も仏も大好きな日本人』『葬式は、要らない』『ほんとうの日蓮』など。


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岩波書店 @Iwanamishoten  20150901
小社HPの特集「戦後70年 「戦」の「後」であり続けるために」を更新しました.今回は,終戦記念日に朝日新聞に掲載された,哲学者・柄谷行人さんのインタビューをご紹介します.テーマは「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する」
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/postwar70/index.html 

2016/2 柄谷行人「Dの研究(第5回)」 atプラス27
2015/11/7 柄谷行人「Dの研究(第4回) 千年王国と現在」 atプラス26
2015/9 柄谷行人「思想の散策1 思うわ、ゆえに、あるわ」 図書9月号
2015/9 柄谷行人「反復強迫としての平和」 世界9月号
2015/8/15 柄谷行人・岡本厚「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する」 朝日新聞
2015/8/8 柄谷行人「Dの研究(第3回) 宗教と社会主義(承前)」 atプラス25




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