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【iRONNA発】なぜ「SEALDs」を目の前にすると左右両極は理性を失うのか

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【iRONNA発】
なぜ「SEALDs」を目の前にすると左右両極は理性を失うのか

「SEALDs(シールズ)」の抗議集会でプラカードを掲げる若者たち=7月17日夜、国会前

絶賛か全否定か-極端すぎる評価

 「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)について、左は絶賛、右は全否定、という極端な論評が続いている。折しも、武藤貴也代議士がツイッター上で「SEALDs」を「利己的」などと評して大きな批判を受けた。同議員は直後、週刊誌で報じられた未公開株を巡る不祥事で自民党を離党。またある地方議員は「SEALDsのデモに参加すると就職に不利」などと自身のブログに書き込んだ所、これまた多くの批判を受け、同氏が所属する市議会に抗議の声が殺到しているという。一方、「SEALDs」を「英霊の生まれ変わり」とまで賞賛する、やや度が過ぎた礼賛の声も聞こえてくる。そこまで持ちあげるのは、流石に如何なものかという気もしないではない。(iRONNA)

 「SEALDs」を巡る論調で問題なのは、その内容の精度ではなく、極端にすぎること。この一点につきよう。評価できるところは評価し、批判するべきところは批判する。「是々非々」という物事に対する当たり前の態度が、「SEALDs」を前にすると崩れ去る人が居るようだ。

 「SEALDs」を目の前にすると何故人は理性を失うのだろう。何故正当な評価ができなくなるのだろう。それは彼らが正真正銘の若者だからだ。若者は無知で馬鹿で何事にも無関心、という従来流布され続けてきた若者を巡る定形イメージは、「SEALDs」には通用しないことは確かだ。羊のように大人しく、かつ無害である、と思っていた人物が突然アクティブになると人は動揺する。こいつは一体何なんだ、と分析してみたく成る。若者とはこんなものだ、と日常の中での皮膚感覚を有していればその動揺は起こらないが、普段からそのような思考の「訓練」をしていないと、被写体との適正距離を取ることは難しい。左は距離が近すぎ、右は距離が遠すぎる。どちらも「若者とはこんなものだ」という皮膚感覚が衰えているからこそ、崇めるように絶賛し、或いは親の仇のように呪詛する。この関係性は健康的ではない。

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