2010年10月31日
多くの読者を持つ小説家が、自らの筆名を秘して作品を発表し始めている。別の筆名を使ったり、複数で書いたり……。方法は様々だが、それぞれ「作家」像から物語を切り離そうとしている。誰もが物語を発表できるネット時代、作家のあり方が変わりつつあるのか。
「小説誌に秘密のペンネームで短編を書いています」
作家の夢枕獏さんが話すと、聴衆からどよめきが起きた。この夏、都内で開かれた日本SF大会での一こまだ。
夢枕さんは「陰陽師(おんみょうじ)」「餓狼伝(がろうでん)」などのシリーズを持つ人気作家。とはいえシリーズの作品は部数もほぼ同じで、評価もだいたい分かってしまう。新人として書いた時にどう評価されるのか……。「夢枕獏のイメージにとらわれず読んでほしい」と考え、新しい筆名は公表していない。
ベテラン作家が別の筆名で話題になった例はほかにもある。『郷愁という名の密室』が出たばかりの牧薩次(まきさつじ)。2年前に初出版した『完全恋愛』はミステリーのランキング上位に軒並み名を連ねた。その正体は――筆名をかなで並べ替えるとわかる仕掛けだ。
読者を煙にまく筆名も。この春から8作もの作品を出した作家「越前魔太郎」。実はこの世に存在していない。
実際に書いているのは、芥川賞候補にもなった覆面作家の舞城王太郎さん、若者に人気の乙一さん、新城カズマさんら8人。1作品を除き、どの作品を誰が書いたのか、公表していない。いわば8人の共有ペンネームだ。
いずれも「作家」についたイメージから作品を切り離す動きに見える。少女小説でデビューした津原泰水さんもまた「作品が作家個人のものに帰属しすぎている」と思いつつ、『琉璃(るり)玉の耳輪』を書いた。著者名は津原さんと故・尾崎翠の「連名」。尾崎の日の目を見なかった映画脚本を「原作」にした小説だ。男装探偵が三姉妹の行方を追う筋や、文章のタッチは、尾崎の肌合いそのままに。津原さんは、現代の視点から読み物としての仕掛けを組み入れた。
「1人の作家の価値観を押しつけるのではなく、読者が2人の作家のどちらに視点を置いて読むのか、選択できるようにしたかった」
もともと江戸時代は、物語が複数作者で書き継がれることがよくあった。明治以降の言文一致体などの文芸運動のなか、文学は一個人が描くという流れに。自然主義の文学以来、私小説で個人とその周辺を語り、近代的自我を問う作品が文学の主流とされた。
津原さんはいう。「高い位置にいる作家が読者を導く構図。物語の読み方を、読者に返すことも必要ではないか」
誰が書くかより、どう読まれるかが大切だと「越前魔太郎」の担当をする講談社の河北壮平さんも言う。「世界観やキャラクターを壊さなければ、作者が違ってもイメージは伝わる。複数作家の化学反応も面白さの一つだ」と。
そう、例えば隣国の「三国志演義」が作家名は知られなくとも、いまだに新たなファンを生み出しているように。
なぜ今、作家は名前を消すのか。ブックコメンテーターの市川真人さんは「作品の引用やコラージュ化が進み、その意味で『作品主義』が強くなりつつある」と話す。その後押しをするのはネットだ。
作者名は作品の付属品という現象は、ネットでは当たり前になっている。携帯小説サイト「魔法のiらんど」に並ぶのは「HAL」「秋野華」といったネットのハンドルネームのような作家名ばかり。最近の小説誌にも「竜騎士07」「海猫沢めろん」といった名の作家が登場している。
市川さんは「作家は『誰もが』ではない『自分』をどうつくるか考える」ものだと指摘する。だが、誰もが誰とでも書ける時代になり、逆に「あの人にもこの人にもなりうる私」というイメージが個別性に変わる「特性」として生まれつつあると考える。
作家の星野智幸さんは、小説『俺俺(おれおれ)』の外伝として、ツイッター上で小説「ore×2」をまとめた。つぶやきを読んだ人が、その先を考える「誰もが作者の小説」だ。
作者自体が分裂したり、作者が複数であったりする文学が広がることに、星野さんは「作者と読者が有機的に結びつけば、小説の可能性が広がると思う」と話している。(高津祐典)
著者:夢枕 獏
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著者:夢枕 獏
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