(テーマ音楽)あの日の事を書き留めたある韓国人の日記です。
東北大学大学院で政治学を学ぶ韓国人留学生…震災直後日本語が分からない韓国人のためにボランティア活動に取り組みました。
あの日キャンパスで大きな揺れに襲われたオムさんは外国人を支援するための活動が始められた事を聞き仙台国際センターに向かいました。
当時仙台市には1万人以上の外国人が暮らしていました。
その人たちのために仙台市災害多言語支援センターが設置されたのです。
オムさんは早速その日の夜から活動に参加します。
オムさんたちは行政が発表した情報をハングルや英語中国語などそれぞれの母国語に翻訳しインターネットに掲載したりラジオに出演して災害情報を伝えるなどさまざまな活動を行います。
しかし福島の原発事故が大きく報道されるとオムさんたち留学生のもとには母国から「帰国してほしい」という電話が次々にかかってきました。
状況が悪化する中心配する家族や知り合いからの声は一層強まりました。
当時のセンターの運営スタッフ菊池哲佳さんはオムさんたちの悩みを強く感じていました。
家族の気持ちも考えオムさんは3月16日に帰国します。
当時仙台の仲間に宛てたメールです。
ボランティア活動をたった5日間で投げ出してしまった事への後悔の念はオムさんの心から離れませんでした。
1か月後オムさんは家族の反対を振り切って仙台に戻り活動を再開します。
将来韓国で大学の教員になりたいと思っているオムさん。
震災を通じて感じた日本について韓国の人たちに伝えていきたいと考えています。
2015/09/02(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県仙台市 オム・テボンさん」[字]
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県仙台市に住む韓国人留学生のオム・テボンさんは、帰国を促す家族への思いと、被災地を支援したいという思いのはざまで葛藤した。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県仙台市に住む韓国人留学生のオム・テボンさんは、帰国を促す家族への思いと、被災地を支援したいという思いのはざまで葛藤した。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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