荘厳なる金銅仏。
生命力みなぎる肉体に自然なくびれを表した美しいプロポーション。
台座に腰掛けて足を組み物思いにふける姿。
鼻筋の通った明るくほがらかな表情。
金銅仏には1,000年以上前に作られたとは思えない工芸技術と信仰の強さが感じられます。
こうした仏像に共通する点。
それは全て白鳳時代に作られた仏だという事。
白鳳時代の中心人物持統天皇を描いた里中満智子「天上の虹」。
作品にはその波乱万丈の生涯が描かれています。
天武天皇と共に国造りを始めその遺志を継いで仏教を広めます。
寺を建て仏像を祀らせ仏教を国造りの一翼においた様子が描かれていきます。
外交的にも国内的にもさまざまな動きがあって…人々がその仏教にすがったのか何なのか私にはよく分かりませんが…白鳳時代の金銅仏には中国の随や唐朝鮮半島から取り入れた最先端の技術がつぎ込まれていました。
日本の仏教美術が花ひらき全国へ広がっていった時代。
若々しい青春のエネルギーにも似た白鳳時代の魅力をひもときます。
奈良国立博物館で今「特別展白鳳−花ひらく仏教美術−」が開かれています。
全国から集められた貴重な仏像や工芸品などおよそ150件を見る事ができます。
これほどの名宝が一堂に会する事は極めてまれな仏教美術の粋を集めた展覧会です。
白鳳時代の仏像の大きな特徴は高さ30cmから40cmほどの小さな金銅仏。
当時の貴族や豪族が家で先祖を祀るため個人的に仏像を作らせたとも考えられています。
仏像が全国に広がったのも白鳳時代の事です。
まっすぐ伸びた鼻筋とつながった眉。
ほがらかな顔だちです。
白鳳時代特有の仏像が関東へも伝わっていた事が分かります。
白鳳仏の完成度の高さを物語る…仏像の後ろに隠れている屏風のような後屏。
その細部にまで洗練された細工が施されています。
蓮池に刻まれた波の文様は究極の工芸技術と一切手を抜かない信仰心の強さを感じさせます。
後の天平時代に先駆ける高い芸術性を備えた仏像も登場します。
国宝月光菩薩立像には生命力みなぎる肉体がやわらかな肌の質感まで写実的に表現されています。
写実性と仏の気高さをあわせ持ったお像です。
白鳳時代とは仏教が伝来した飛鳥時代と奈良時代に挟まれた時代です。
645年の大化の改新から710年平城京遷都までおよそ65年間続いたとされます。
この時代主に国を治めたのは天智天皇弟である天武天皇そして天智天皇の娘にして天武天皇の后持統天皇です。
天武天皇と持統天皇は夫婦で協力しながら都をつくり全く新しい国造りを行いました。
壬申の乱に勝利した天武天皇は672年奈良の飛鳥に新しい都をつくります。
飛鳥資料館にはその都の復元模型が展示されています。
広さは南北に1,650メートル東西900メートルにのぼります。
政治をつかさどる大極殿を中心に周りに役所や寺が建ち並ぶ本格的な都でした。
天武天皇は新しい国造りに乗り出します。
日本で初めて律令を作り戸籍や税を導入するなど国家運営の基礎を築きました。
天武天皇亡きあと国を治めたのは后の持統天皇です。
天武天皇の遺志を継ぎ巨大な都藤原京を建設。
天皇中心の国造りをより一層推し進めます。
詔を出して仏教をあつく敬い寺の建立や仏像作りを全国に広めたのも天武天皇と持統天皇でした。
7月25日奈良の東大寺総合文化センターで白鳳文化を語り合うフォーラムが開かれました。
パネリストは…白鳳という知名度がだんだん落ちてきてしまいかつては飛鳥白鳳天平というふうに並び称せられていたにもかかわらずなんか知名度が低くなってしまったなと。
(内藤)そういう思いを込めてこの展覧会を開かせて頂きました。
何か私がざっくりと大きく白鳳という時代はどういう時代ですかって聞かれた時には自分の高校生の時代を思い出して…そんな時代の事を思い出しております。
飛鳥時代から天平時代の間のいろんな動きがあって外交的にも国内的にもさまざまな動きがあってちょっと国の方向がどうなるか分からないという時に人々がその仏教にすがったのか何なのか私にはよく分かりませんが仏教が近いものになっていったと。
神様というのは共にあるわけで仏様というのは仏教が入ってきた時もし私が当時の日本人だったらすごく新鮮だったのは…白鳳時代の仏像の代表作です。
飛鳥にある山田寺の本尊薬師如来として造立され後に興福寺に移されました。
火災で体が失われ頭部だけが奇跡的に残りました。
眉から鼻筋へ伸びる線が美しく気品があり「白鳳の貴公子」と呼ばれます。
視線は遠くに向けられ強い意志が感じられます。
白鳳時代の仏像でこれほど目が強調される像は珍しいとされます。
その厳粛な視線には衆生救済の思いが込められているようです。
更に徹底しておりますのはそれをみんなが守っているかどうか役人を遣わして調べているんですね。
ですのでこの時に全国各地にあるいはそれを受けてお寺を造りあるいはお金を持っている…この小さな像例えば法隆寺の押出五尊像というものを厨子に入れているものなんですけどもこういうふうな厨子入りの押出五尊像これをお寺のどこかご本尊あるいはどこかに祀るという事もあったかもしれませんが50センチぐらいの厨子ですのでやはり個人的な礼拝でそれは言ってみれば先ほどの天武天皇の詔にあるような…というような背景があったんだと思います。
渡来系氏族の寺と推測される野中寺に伝わる…子供のような愛らしい表情。
白鳳仏に共通する特徴です。
衣に施された花の文様は白鳳時代特有のものです。
片足を組む姿の「半跏像」は中国や朝鮮半島の信仰の高まりを受けて日本でも7世紀に盛んに作られました。
エキゾチックな顔だち。
島根県出雲にある鰐淵寺観音菩薩立像。
額が狭くふくよかな顔だちをしています。
長い装飾品を下げ衣の衣紋が極端に少ないなど珍しい特徴を持つお像です。
頭に3つの宝冠を持つ三面頭飾とその上に化仏を配置し中国随から唐にかけての様式を反映しているとされます。
目鼻の彫りが深く顎が張った異国情緒あふれるお顔です。
頭髪をターバンのように束ねた髪型。
ドーティというインドの男性が使う腰布をまとうなどインド文化を連想させます。
インドからシルクロードを経て唐日本へと伝わった仏教文化のダイナミズムが感じられます。
仏像を作れというふうに全国にお触れが出た時にここからは想像ですけどもでは誰に作ってもらったか。
都から仏師が各地方にやって来るとはとても思えません。
例えば今見て頂いておりますのは出雲の国ですので出雲の国の作家が作った可能性がありますね。
白鳳時代の様式を持っておりますがどこか素朴で親しみやすい。
そしてこちらは千葉県の龍角寺。
これは個人というよりは恐らくお寺で祀っていたかなり本尊級に近い仏様だと思いますがこういうふうな仏像を東国で作る事ができこれは大分の長谷寺これ「はせでら」と読まないんですね。
こういうような仏像も地方地方で作られていた。
こちら川原寺の仏というものなんですが川原寺ができますのは難波宮から654年に飛鳥宮に都が戻ってきてからなんですね。
恐らく660年ごろではないかと思います。
お母様の斉明天皇のために天智天皇が発願されたお寺なんですね。
という事は660年代と考えますと意外や意外新しいスタイルを持っています。
これなどは中国で当時…どこがインド的なのかといいますと日本が飛鳥時代からずっと受け入れてきた中国的な仏像というのは大体みんな衣が厚いんですね。
やはり寒い地域の中国美術を受け入れていったんです。
法隆寺の金堂の釈三尊像なんてやはり何か衣がちょっと厚めですよね。
それがこれを見て頂くと本当に体にぴったりとはりついたような薄い衣。
足の辺りを見て頂くとこの薄い衣の下に豊かな肉体が肉づきのいい足が感じられますよね。
脇侍もそうです。
薄い衣を通しておなかの辺りから両足の豊かな肉づけが分かりますね。
こういうふうなインド的なスタイルというものがありました。
そんなわけでなかなかこの多様性といいいろんなものが外国の影響もありましたでしょうし地方性もありましたでしょう。
そういうふうないろんな要素が絡み合う事によって存在していたと考えてよいのではないかと思います。
(中村)各家庭の皆さんはどういう気持ちでそれを拝んでたんでしょう?
(内藤)これは皆さんのご自宅に仏壇ございますですね。
大体このご自宅の仏壇に祀られているのはご先祖ですよね。
これは白鳳時代の人もあまり変わりませんで例えばこれは白鳳時代でも一番最初のものでございますがこれも個人の肉親の追善のために作られた仏像でありそして更にこれ出雲の国のものなんですけども出雲の国の人物がお父さんお母さんのために作ったという事が銘文によって分かっております。
ですから白鳳時代の人々も国から仏像を祀れと言われた時に一番最初に思い至った事は…銘文から推測する事ができます。
白鳳時代朝鮮半島をめぐる情勢は非常に不安定でした。
660年唐と新羅の連合軍が百済に侵攻します。
天智天皇は親交の深かった百済を救うため朝鮮半島の白村江に大軍を派遣しました。
しかし唐の圧倒的な軍事力の前に大敗してしまいます。
天智天皇は唐の攻撃を恐れたまま671年亡くなりました。
天智天皇の死後その子である大友皇子と弟の大海人皇子が皇位をめぐって内乱を引き起こします。
壬申の乱です。
国を二分したこの戦争で多くの犠牲者が出ました。
壬申の乱に勝利した大海人皇子が即位し天武天皇となったのです。
663年が白村江の戦い。
これは対外戦争によって多くの死者が捕虜が出たという敗戦経験。
そして国内最大の内乱となった壬申の乱が672年ですね。
で多くの人たち…それは戦後の日本と全く同じだったろうというふうに思います。
そんな中で私一つ歌として取り上げたいのは柿本人麻呂の…という歌があるんですね。
「近江の海」というのは近江の海なんですね。
そこはあの壬申の乱で都ではなくなってしまった多くの戦死者も出た所そこで夕波千鳥がお前さんが鳴いたらね私はね心も切なくなってね昔の事が思われてならないよってこういうふうに人麻呂は歌うわけですよね。
という事はその多くの人たちが戦争というものを意識しながら死後幸せであってほしいよってこう思ったりそしてその家々の念持仏ではきょうだいや亡くなった親たちのその来世を祈りというようなそういうような事が恐らくあった時代で。
という事は逆に言うとですね単に…
(上野)それはね今回ね白鳳展へ行ってね仏像の背中を見る事ができる。
そうするとその背中っていうのは後背で日頃は見る事はできないのだけれども見る事ができる。
もう手を抜くところがないんですね。
五重の塔のてっぺんに上がってて誰も見る事できないでもそれが最高の彫刻になってるってそういうような事っていうのは一種供養とか祖先を大切にしたいとかそういう事と何か私は結び付いているような感じを持っています。
先祖を供養するための代表的な仏…藤原不比等の妻で光明皇后の母でもあった橘三千代が自宅で祀っていたと伝わります。
極楽浄土の穏やかな仏を表現した白鳳彫刻の代表作とされています。
橘三千代さんはですねある王族の妻で子供もいました。
なのにあの有名な藤原不比等さんと不倫関係になったらしくって夫を無視して不比等さんとべったりで非常に強力なカップルとなるわけですね。
やがて結婚します。
夫婦共に出世しまして財産もいっぱいあってというすごい一家です。
この橘三千代さんが自家用で作らせたこの今回の展示物そういう目で見て頂けるとお金がかかってます。
(笑い)
(里中)細工がすごく凝っています。
これは金に糸目をつけずに注文したに違いないと思っております。
信仰心と安らぎを求める心と財力が一体化するとこういうものが出来上がるという。
(笑い)今回の白鳳展では阿弥陀三尊像の厨子や後屏を外して見やすく展示しています。
中尊阿弥陀如来像。
頭は螺髪でなく髪を巻きほがらかな表情をしています。
左右に控える脇侍も共に愛らしい少年のような顔だちをしています。
白鳳時代に流行した童形仏の代表的な作例です。
亡くなった先祖が極楽浄土に生まれ変わり穏やかに暮らす姿だとも考えられています。
後屏にも極楽浄土の世界がこまやかに描かれています。
目の届かない所にまで5体の菩薩が見事に刻まれており先祖を敬う強い信仰心が感じられます。
蓮の上に鎮座する菩薩の周りにも蓮のつぼみや茎が生命力豊かに表現されます。
後屏に取り付けられた光背その裏にまで菩薩像が丁寧に刻まれています。
後屏の下には蓮が咲き誇る蓮池が表現されています。
極楽浄土を表す蓮の花と浮き彫りで刻まれた波の文様は工芸技術の高さを示しています。
橘三千代が祀ったとされる阿弥陀三尊像は仏像作りへの強い情熱を物語っています。
橘三千代の念持仏であったそのちょうど下の所のばんにあたる蓮池ですよね。
これを見てるとですね私ねこういうふうに何か教えてくれるんですよ。
「上野さんねものを見るのはね表だけじゃ駄目よ。
蓮の裏も見なさい。
ちょっとね葉っぱが丸まってるやつもあるでしょ?横からも見なさい。
更にね上に伸びたのはね花はねこれから咲くつぼみのところもきれいよ。
開いたところもいいよ」。
だからいろんなものの見方をしなさいというのを教えてくれるようなんですね。
しかもこの波の表現全体デザイン性なんですよね。
そうすると多様なものを見せてくれるんですが波の形は一つの…一番移ろいやすい波が同じ形をしている。
それはね「多様なものの見方を受け入れなさい」「そしてものを見る時はいろんな所から見なさい」というメッセージがあるような気するんですね。
(内藤)皆さんもお寺に行きますと扉がありお堂の中に入ってみますと上に天蓋というような笠があったりというふうになってますね。
この厨子これは実は上に天蓋がありここには須弥壇があり須弥壇には供養する人がいてそして扉がありと。
(内藤)これが荘厳というものでしてちょうどお寺を飾っていくと。
恐らく多くの金銅仏もこれほどのものではないかもしれませんがなにがしかのこういう荘厳というものを厨子ですとかねそういうものを持っていたんじゃないかと思います。
ちなみに皆さん会場に行くと中に仏像の入っていない厨子は抜け殻だと思っている人が多いんですね。
この扉特に横の扉ここにきれいな菩薩が描かれています。
ちょっと分かりにくいかもしれませんがこのきれいな菩薩を探して是非会場では抜け殻と思わずに厨子もご覧頂きたいと思います。
私のイメージですが…教養ある方それなりの方ってこれ分かってないといけなかったんですね。
教養を積むという知性を積むという事はこの時代は絶対に仏教。
仏教が持つ精神性これ科学性もありますし科学医学美術芸術音楽言語全てのものをひっくるめて教典ってあるわけですよね。
だから当然の事ながら…総合大学と思ってます。
680年天武天皇の后持統天皇が原因不明の高熱に襲われ生死の境をさまよい続けます。
天武天皇は后の病気平癒を祈って仏教をより一層あつく敬います。
そして薬師寺の建立を決意したのでした。
こういうものを造れば人々の役に立ち世の中の役に立ち人の心も一体となりいい事尽くめだっていう事が国家プロジェクトなんですよ。
686年薬師寺建立を発願した天武天皇が病のため帰らぬ人となります。
亡き天皇の遺志を継ぎ国を導く事を決意した持統天皇。
民衆を病から守る思いも込めて寺の造営を続けました。
天武天皇と持統天皇が2人で完成させた薬師寺。
現在解体修理中の東塔は1,300年前に築かれたままの姿で残されています。
大きな屋根と小さな屋根が重なり合うこの構造は天武天皇と持統天皇が寄り添う姿だと伝えられます。
東塔の最上部を飾る水煙。
白鳳展ではその彫刻を間近で見る事ができます。
火災を退けるための水を表す水煙。
筋状の雲の上に天から舞い降りる3人の飛天が表現されています。
帽子をかぶり横笛を吹く姿や花のつぼみらしきものを両手で包む姿があしらわれています。
薬師寺金堂の本尊国宝薬師三尊像。
日本彫刻史上の傑作とされます。
薬師三尊像の右脇侍が今回の白鳳展に展示されています。
目や眉が自然に表現された顔だち。
写実的に表現された美しい姿には命が宿っているかのような生命力があふれています。
背中にも張りのある弾力的な質感表現がなされ技術の高さが伺えます。
写実性と仏の崇高さを兼ね備えた日本屈指の仏像です。
もう驚いたのはその美しさです。
恐らくですね仏師の方たち後ろに光背が付きますよね後光みたいなね。
この形で普通拝むわけですからお坊さんたちにとってもそうですし。
だからこれで完成形ですから後ろの光背がない状態が人目に触れるなんて事は想像もつかない方たちがお作りになったわけですよ。
ところが剥がしてみてあからさまになった背中のあの美しさもうね「なんという熱意と誠意を込めて作ったのかこの作者たちは」と思って感動したんですよ。
だから作るっていう行為は技術だけではなくてやっぱり思いとか自分がやっている事への誠意とか使命感とか夢とか全部ひっくるめての事ですからどれだけの思いを込めて月光さんをお作りになったのかという事を感じてもうなんていいものを見せて頂いて今回これが触れるぐらいの近さでじかに見られるっていうのはもうこういうチャンスはあまりないと思いますしよくぞお出まし下さったとこの場に。
今この月光さんの背中が問題になっているわけですね。
この言葉を聞いた時に例えばレオナルド・ダ・ヴィンチがデッサンをするだけではなくて解剖して筋肉の事を勉強して描いたと。
実は巨大な寺院を建てる更にはそこに最高の例えば触れてみたく思うような押したら肌が戻ってくるんじゃないかと思われるようなそういうような人間の肌のようなものその造形っていうのは今見ても感動を与えるようなもの。
つまり人はですね律令とか制度とか政治とかお金とかだけでですね人の心を一つにする事はできないわけですよね。
国造りのための仏教ですからそういうような思想で私は広がっていったんではないかなと。
それでね天智天皇が亡くなった時の歌を取り上げたいと思うんですね。
「天の原ふりさけ見れば大君の御いのちは長く天足らしたり」。
もう亡くなってしまうかもしれない臨終の時です。
亡くなってしまうかもしれないという時に大空を見上げて振り仰いで見ると天皇の命というのはもう満ち満ちているんだよと。
生命力というのは満ち満ちているんだよという歌なんですね。
つまり人間の生命力というのが天空に満ち満ちているその天空に満ち満ちている生命力を表すのが白鳳の仏たちの魅力であって時にはそれは肉体の生命力で表す時にはエネルギー線のようなもので表すいろんな方法で生命力を表す。
白鳳時代。
仏教は全国に広がり各地で個性豊かな仏像が花ひらきました。
仏の表情もそれぞれに若々しくみずみずしい。
白鳳はまさに仏教美術の青春時代だったのです。
2015/09/02(水) 15:15〜16:00
NHK総合1・神戸
ろーかる直送便 特集番組 白鳳 − 仏教美術の青春時代 −[字]
奈良国立博物館で開催中の白鳳展には薬師寺・月光菩薩など名宝150件が展示されている。天武・持統天皇が仏教で国造りを行った白鳳時代、白鳳仏の魅力をひもとく。
詳細情報
番組内容
奈良国立博物館で開催中の「白鳳展」には薬師寺・月光菩薩(ぼさつ)立像など名宝150件が展示されている。白鳳時代とは天武・持統天皇の詔により全国で個性的な仏像が大量に作られた時代。隋・唐や朝鮮半島から最高峰の仏像が伝わり渡来系の工人などによりさまざまな仏像スタイルが開花した「仏教美術の青春時代」である。若々しくみずみずしい白鳳仏の不思議な魅力を漫画家・里中満智子、万葉学者・上野誠などがひもとく。
出演者
【出演】漫画家…里中満智子,奈良大学文学部教授…上野誠,奈良国立博物館学芸部長…内藤栄,【司会】中村宏
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:16384(0x4000)