何度も取り上げますが、私の中でどうにも上手く飲み込めないからです。
お上から利息を取るなんて、いまでいうと国債の発行ですし、日本はその額が、中国やアメリカをも抜いて世界一多いことまでが知られています。
すると、お上から利息を取るというのは、直感的に大した話ではないと思われてしまいそうと思うのです。
だから私は、題名は、あまり意味を持たないものがいいとつねづね思っています。
たとえば、「風の谷のナウシカ」と見たり聞いたりして、"ナウシカ"というのが主人公らしいというのは分かるのですが、ナウシカが男か女かは分かりませんし、過去の話か未来の話かも分かりません。どうも現代日本のお話ではないようには感じられますが。
それと比較しても、「殿、利息でござる!」は、それだけであまりにもネガティブな意味を与え過ぎていると思うのです。
それと、途中で萱場杢が、利息支払いの件まで認めながら、千両=5,000貫文であったところ、銭の価値が値下がりしているからとして、5,800貫文を要求したくだりがあります。(P140)
それを、穀田屋や浅野屋らは、騙された、萱場はやり手だと思って、さらに資金を集めるところがあるのですが、私は別に、そこはもう開き直って、
「さらに800貫文など、困窮して、もうどうしても出せません」
と突っぱねても良かったと思います。
萱場杢は既に、吉岡宿救済策を、自分がさも見つけ出したかのごとく振るまう算段でしたので、そこで吉岡宿の方からハシゴを外されたら、逆に困ったはずです。
著者の磯田さんと解釈が違いますが、私はそう考えます。
それよりも気になるのは、アッサリと、預け金ではなく差上金であると書いてあり、それに対して著者の磯田さんはなんら記載していません。
穀田屋十三郎や、磯田さんからすると、利息の元手を差し出したことになっていますが、仙台藩、とりわけ萱場杢から見ると、他の領地ならば藩主が当たり前のように与えていた補助金(伝馬御合力)を、吉岡宿にも与えるための理屈として、5,800貫文を献納させたことになります。
仙台藩の立場から見ると、藩の危機に、萱場杢よくやった!となるはずです。
それでも、日本政府や政治家は、橋下徹のように1日で言ったことを豹変させたりしますが、仙台藩は、1770年頃から幕末までのおよそ100年間、1割の利息(補助金)を払い続けたのです。
この本には、日本人はヨーロッパ人宣教師が見つけて報告したように、体面を気にする民族であったと書いてありますが、当時はまだお上が体面を気にしていたのです。
いまの日本は、政治家も官僚も、体面もへったくれもないでしょう。
書面なりデータに残った約束でさえ守れないのだから。
あるのは権力だけです。
体面は欧米に合わせて法治国家となりましたが、権力の横暴さは増すばかりです。
そのあたりが、日本人庶民のココロに突き刺さって、官僚組織打倒の声に繋げられたら、と思います。
ちなみに私が穀田屋十三郎の立場ならばどうしたでしょう?
1割の利息をお上が守るとは思えないので、違う方策を考えたでしょう。
そういえば、吉岡宿の領主である但木氏については、最初にちょこっと触れられているだけで、その後全く出てきていません。
但木氏をスルーして伊達家から、吉岡宿はいわば伝馬御合力を直接いただいたのですから、但木氏は本来赤っ恥のはずです。
そのあたり、磯田さんも全く書いてませんよね。
私ならば、もっと上手に但木氏を担ぎ上げて、その但木氏が上手く動いてくれたらそれでよし。
動いてくれなかったら、それを理由にして民意を得る。
私の使う手は常にこの繰り返しです。
もちろん、意図するものが大きければ大きいほど、民意がなかなかついてこないのは分かります。
しかしこの吉岡宿の場合は、これだけ大勢が圧政に苦しんでいたのですから、利息という変化球的な理屈ではなくて、直球勝負でも十分勝てたと思います。
逆にいえば、直球勝負で勝てたからこそ、変化球でも勝てたのです。
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