日本の話芸 講談「加賀騒動 大槻伝蔵の出世」 2015.09.05


急性すい炎について教えて頂きます。
今日はどうもありがとうございました。

(テーマ音楽)
(拍手)新幹線が金沢まで行くようになりまして観光客が増えておりますが金沢は文化で栄えた町。
ところが江戸時代に大騒動が起こりました。
六代吉徳公の代に家臣の大槻伝蔵が主家を横領せんとした大事件。
これが加賀騒動でございます。
吉徳公の茶坊主を務めております朝元。
目から鼻へ抜けるような利発さでまめまめしく働き吉徳公大のお気に入り。
ある日の事ご分家へ大聖寺の前田能登守様がお越しになりましてご酒宴の折から吉徳公は火鉢をご覧になり「これに火を持て」。
「はっ」。
お小姓が炭箱に火を入れて持ってまいりまして火鉢に移そうとして誤って畳に落としてしまった。
すると朝元さっと立って衣類の袖でつかんで火鉢に移し周りを拭いてそしらぬ顔で自分の席へ。
ご覧になった能登守が「あの小坊主は何と申す者でございますか?」。
「朝元と申して当年12歳。
茶坊主として召し使いおく者でござる」。
「年端も行かぬに機知に富みし者感心致してござる。
これ朝元とやら。
予は能登じゃ。
見知りおけ」。
「はっありがたき幸せにございます」。
朝元ご褒美を頂き並みいる人々ますます朝元を褒めそやします。
やがて15歳の春を迎え元服を致しまして大槻伝蔵と改めお小姓に取り立てられ50石を頂き江戸ご出府の折にもお供を致しまして必ずおそばに仕えております。
ちょうど神田明神祭礼の当日山車が八辻の原に繰り込んできた。
と向こうから「えいほう寄れ」。
加賀様のお行列。
大名行列と祭りの山車が行き合ったからたまらない。
「道を空けろ下がれ下がれ!」。
「そっちこそ邪魔だい!」と言っておりますうちに気の短い江戸っ子ですからまあしかも祭りときているわ相手は百万石の大名ですから「面白いやっちまえ」ってんで打ってかかる。
気の短い吉徳公も「構わん斬り捨てい!」。
いずれも鯉口切って向かわんとする。
この時伝蔵馬を飛ばしてご上覧場へやって参りまして町奉行大岡越前守町人たちに不都合のないよう出張っております。
「某は加賀吉徳公の家臣大槻伝蔵と申する者。
ただいま八辻の原におきまして町人ども主人供方に対して無礼の段々。
斬り捨ててもよろしゅうございますが御用祭りの事とて控えておりますがいかが致しましたものかお尋ね致します」。
「それは町人どもけしからん」と越前守一騎駆けに駆けてまいりまして馬上から制しました。
名奉行がお声をかけられたんですから両者さっと分かれます。
この間にお行列は本郷のお屋敷へと引き揚げる。
伝蔵あとに残りまして町方の物頭町役人も呼んでけが人の手当てをする。
越前守お調べになりますとさしたる遺恨があってのけんかでなくまた死者もございませんから内聞という事になりました。
これも伝蔵が町奉行を引っ張り出したから。
これが大ごとになれば禄高に関わりますから吉徳公大層ご賞美あって5百石を賜ります。
猟師のせがれから取り立てられて大変な出世でございますがこうなりました時に「世の中というものは自分の持っていきようでどうにでもなる。
殿様のおそばに仕え殿様を動かす事もできる。
俺も猟師のせがれから取り立てられここまで来たがこれが戦場ならば拾い首一つしても4百石5百石になれるが太平の世では千石取りは容易ならん事。
しかし俺も武士になった以上いかなる手段を用いても一国一城の主になりたいもの」ととんとん拍子にまいりますと慢心が生じ欲に限りがなくなってまいります。
享保8年12月25日お年忘れのご酒宴。
この時お出入りの町人にまで下さいますのがあんこうのみそのお吸い物。
このため12月も下旬になりますと魚河岸ではあんこうの値段が随分高くなったそうで。
お給仕役が大槻伝蔵に三浦左京の2人。
左京廊下を先に立ち後から伝蔵お吸い物を載せましたお膳をささげて歩いていく。
辺りを見回した伝蔵なんと大胆にもお吸い物の中に毒を入れました。
そしらぬ顔で御前に。
吉徳公蓋を取ってお召し上がりになろうとすると「あいやしばらくお待ちを願います」。
「何で止める?」。
「そのお吸い物泡立っておりますのが不審でございます。
お毒味役を呼んでお改めになってしかるべきと存じます」。
そこでお毒味役の坂田嘉太夫を召されまして「伝蔵がこれこれと申したが改めてみよ」。
「これはけしからん事にございます。
改めて差し上げましたるお吸い物。
決して怪しい事はございません」。
「『論より証拠』。
その場において毒味を致せ」。
「かしこまりました」と坂田がこのお吸い物を食べるやみるみるうちに顔色が変わりまして血へどを吐いてその場に打ち倒れた。
かわいそうなのが坂田。
これは何者かに頼まれて毒を入れたが露見をしたため毒をのんで死んだという事になりました。
そこで当日の料理人からお出入り町人水くみ小者に至るまで44人お調べになりましたがこれは何しろ伝蔵が自分で入れて自分で見いだしたんですからほかから犯人の出るはずがございません。
まあしかし吉徳公そんな事とはご存じございませんから「伝蔵が止めてくれなければ危ういところであった。
命の恩人である」と大層ご賞美あってお側頭を務め千石を頂く高禄となりました。
坂田の妻子は屋敷を追い払われご城下をたちいでようと町外れまで参りますと笠をかぶった侍が「待ちなされ」。
「どなた様にございますか?」。
「この度は気の毒であった。
さだめしご苦労される事であろう。
些少ではあるが50両持参を致した。
暮らしの足しに致して下され。
何かお困り事あらばそっと訪ねてまいられよ。
大槻伝蔵じゃ」。
「伝蔵様にございますか。
ありがとうございます」。
夫を殺したのが伝蔵とは知りませんから涙を流して喜びました。
これは後ろめたさから出したのではなく情け深いところを見せるためでどこまでも悪賢い伝蔵です。
すると越前家から青兎鹿毛という馬が贈られてまいりました。
前田家は馬術自慢のお家。
早速お馬場に引き出してみますと両眼さながら鈴のごとくヒヒ〜ンといななくその声は元暦の昔宇治川に先陣を争った生食磨墨にも劣らぬ名馬と見えましたから大層なご満足でご近臣に「その方この馬に乗れ。
馬というのは人を見るそうだ。
下手が乗るとばかにする」。
お馬場の中ほどまで参りました時にヒヒ〜ンと馬が騒立ちどうとばかりにたまらず落馬をし馬は宙を飛んで事もあろうにお局に入り込みました。
吉徳公のご息女竹姫様が芸州家に嫁がれご懐妊あそばしたので芸州家から谷崎主殿という侍が老女村岡のところへ参りましていろいろ話をしている。
そこへ暴れ込んできた。
放っておいたらお女中たちが大けがをすると庭へ飛び降りると飛んでまいります馬の前に両手を広げて仁王立ち。
ビャッと飛びかかってまいります。
その後ひらりと体をかわすとバシッと殴りつけたからさすがの馬が「ブルルルルル…。
どうも旦那恐れ入りました」ってんで。
手綱を取ってこの馬を取り押さえました。
はるかにご覧になりました吉徳公が「あれは何者じゃ?」。
「芸州様ご家来谷崎主殿と申します」。
「うんあっぱれである。
その者これへ」。
「はは〜っ」。
「その方の事かねてより聞き及んでおるがあの荒れ馬を取り押さえたる腕前は見事じゃ。
どうじゃ馬には総じて馬相という事がある。
その方の見立てによって上馬と致そうと思うがどうじゃ」。
「おそれながら手前人相はともかく馬相はとんと心得ません」。
「遠慮なく言うてくれ」。
「さまでの仰せそれでは申し上げますが眉間に白い筋毛これは白点と申しまして甚だよからぬ相にございます。
唐土の玄徳が乗りましたのがこの白点。
ある人玄徳に『この馬に乗るべからず』と申しましたが玄徳この馬に乗り首尾よく功を立てましたがその後家来に与えましたところ3人までこの馬のために命を落としたそうにございます。
人相でも天庭に黒きあざがあるは癇性鋭くして頬骨の高きは甚だ悪相にございます。
かの明智光秀を信長公がお召し抱えになろうという時竹中半兵衛が『主に仇なす悪相お召し抱えになりませんように』と申し上げたが信長公構わずお抱えになりそのため一命を落とされました」と言って伝蔵の顔をじろりと見た。
伝蔵の人相がそうだったんでしょう。
伝蔵は「無礼なやつ!」と「あいや谷崎殿のお言葉とは思えません。
玄徳が乗って功を立て3人が損じましたのはこれは乗り手の技でございましょう。
百万石の君に対してよろしくないというのは我が君に対する侮辱。
主辱めを受ける時には臣死すと例えその場を立たさんぞ」と詰め寄ろうとする。
吉徳公伝蔵を制し谷崎をお帰しになりました。
さあよくないと言われると気になるものでそこで吉徳公蟹江六左衛門という馬術の指南役にこの馬をお与えになり喜んで乗っておりましたがそれから間もなくこの馬のためにひ腹を蹴られまして非業の最期。
谷崎が止めてくれなければこれは危ういところであったとおぼし召し芸州公に谷崎をご所望になりました。
芸州家にとりましても大事な家来ではございますがこれは嫁の親であり大身の前田家からのご懇望ですのでしかたなく承知をしそこで谷崎前田家の家来となりまして千五百石の高禄を頂きます。
この谷崎文武両道に秀でた人ですからこう目の付けどころが違います。
かねてから伝蔵殿様に取り入り大層な出世をしている。
伝蔵が毒入れを見いだしたと聞くや蓋を取っただけで毒入れが分かるものではない。
これは何かあるのではなかろうかと隣に住んでおります富田流剣術指南役石川虎次郎に「石川氏ご当家には4つの毒がありお風入れをなさるという事を竹姫様から伺いましたが」。
「さよう。
よ石はんみょう烏蛇白蛇。
この4つの毒がかめに入れてござる」。
「お風入れはいつでござるか?」。
「6月25日に虫干して」。
「さぞ番人がつく事でござろうがその番人はどなたで?」。
「瓜生玄哲そしてもう一人御典医が」。
「さようか。
その者たちをここへ呼んで少々尋ねたい事がござりますが」。
「ああそれはいとやすき事。
両人至って酒好き。
『酒を振る舞う』と言って呼び寄せましょう」。
4人こうして酒盛りを始めます。
酒が回ったところで「瓜生氏たかはし氏お風入れの時に番をなさるそうだがご両所が。
しかとさようか」。
「はい。
いかにも我々が番を致しております」。
「毒薬というものは自然に目方の減るものでござるか?」。
「いいえ。
そのような事はございません」。
「ほう。
昨今ご両所が番をしているところへ来た者はなかったか?」。
「これは書画骨董と違いまして面白いものではございませんのでとんと人の集まるという事はございません」。
「いや2年ばかり前だったかな。
大槻伝蔵殿が見えて『殿様からそうめんを下さるからわしが番をしているからそろって行きなさい』と言われ…」。
「そうそうそういえば伝蔵殿に後を頼んでそうめんを頂きに参りました」。
「さようか。
そのかめを某拝見をしたいが」。
「我々両名が立ち会えば結構で」。
「それではご重役にお届けを致しまして」と担当重役に届けまして宝蔵に参って改めて見ると1つのかめから2匁5分ずつ目方が減っております。
「これは不思議だ。
近頃毒薬ご使用になっていないのに減ったのはどうしただろう」と2人首をかしげてさてはと思いましたから「これを調べた事決して他人には話してはならん」と堅く口止めをして虎次郎にもこの事を話す。
吉徳公にお人払いをお願い致しましてこの次第を。
「お出入りの者から水くみ小者に至るまでお調べになりましたが判明しなかったよしこのような次第がございましたのでいま一度お調べになりましては」と単刀直入に申し上げる。
しかし番をしただけでこれは証拠がある訳ではなし。
しかも信頼しきっております伝蔵の事ですから何もおっしゃらない。
ところが伝蔵抜かりのない男ですからあらゆる所に味方が作ってありまして。
茶坊主のちょうざに「何かお人払いがあってその時にはその方聞いていてわしの名前が出た時には知らせてくれ。
褒美を取らせる」と言って金を握らせてある。
これはご注進すれば金がもらえると早速知らせまして。
「そうか。
あの谷崎は容易ならんやつ。
このまま打ち捨てておいたら悪事露見するおそれがある。
なきものにしなければならない」と策を講じます。
そのころ下谷池之端に道具屋で大島屋長兵衛という者がおりました。
そら鉄砲が得意剣もなかなか立つんですが薩摩藩も浪人して江戸へ出てまいりました。
下谷広小路へ出て謡を唄って1文ずつ合力を得ておりました。
ある春の事2人の狼藉武士町娘に見るに堪えない乱行を。
見かねて中に入りました。
打ちかかってまいりましたのをこれをたちまちその場にたたき伏せ娘を助けました。
たまたまここを通りかかった伝蔵。
料理屋に長兵衛を呼んでごちそうし元手を出して道具屋の店を開かせたのは何かの時に役立てるため。
「谷崎をなきものにしてくれ」と頼む。
長兵衛にしてみれば世話になっております上首尾よく討てば過分の褒美を取らせると言われましたから引き受けましたが谷崎油断のなき人ですからなかなか討つ機会がない。
…と谷崎が芸州家にお使いに参ります。
夕方にわかの大雨。
芸州公が「泊まっていけ」と言われましたが…「某はもう加賀家の家臣でございますので立ち戻らなければなりません」と本郷の上屋敷へ立ち戻ろうと湯島の聖堂裏まで参りました時にスト〜ン!一発の銃声あっと谷崎その場に打ち倒れる。
お供の者が「それくせ者!」。
すぐに逃げられてしまった。
分かりません。
谷崎脇腹を撃たれまして即死。
すぐにお屋敷にこの事を知らせまして大勢駆けつけてまいります中に虎次郎辺りを調べてみると上の方から撃った様子。
さてはこれは伝蔵が悪事露見するおそれありと撃ったのではなかろうかと思いましたが何しろ前田家にゆかりのない長兵衛の仕業ですから全く分かりません。
ここで谷崎を手厚く葬り家督はせがれが相続を致しました。
(張り扇)さっこうした事がありましてからが伝蔵なおもうまく立ち回りまして。
「吉徳公のお気に入るように」というので吉徳公ますますご信用になりました。
「そちは播州赤穂浅野の家来大石内蔵助の忠義に勝るとも劣らぬによって大槻内蔵助と名乗れ」と大変なご信頼でございます。
さあこうして大槻のところへよいしょをする者もございましてどんどん力をつけていく。
ところが伝蔵にしてみますとこのまま長兵衛を生かしておいたのではこれは悪事露見するおそれがある。
そこで腹心の安宅郷右衛門と相談を致しまして。
「なんとかあの長兵衛は…」。
「かしこまりましてございます」。
そっと長兵衛に会いまして「長兵衛殿いろいろと詮議が厳しいゆえしばらく江戸を離れてはくれまいか。
安宅郷右衛門は信州松本在の出。
安心な所へ身を忍べてもらいたい。
さればお身の体も安全というものじゃ。
ほとぼりが冷めた頃また江戸へ呼び戻すからな」と金を与えました。
長兵衛店を畳んでひそかに郷右衛門に連れられまして江戸を出立。
中山道まず大宮泊まり。
翌日が熊谷泊まり。
翌朝ここをたって深谷本庄倉賀野を経て高崎にかかってまいりました頃日が暮れ果てた。
「安宅先生いっそ倉賀野へ泊まればよろしゅうございましたな」。
「なに高崎まではあと僅かじゃ。
日が暮れたとて案ずる事はない。
おっ長兵衛向こうに明かりが見えるがあれは旅籠ではないかな」。
「は?明かりなど見えませんが」。
「見えるではないか。
向こうを見なさい」。
言われて伸び上がってみる。
辺りに目を配った郷右衛門一足後に下がると大刀の柄に手をかけ「長兵衛!」。
呼ばれて振り返ったところを抜く手も見せずバッ!肩先から乳の下かけて斬り下げた。
郷右衛門に討たれたのですからその場に倒れる。
とどめを刺し血跡を拭って鞘に収めると長兵衛の懐中に手を突っ込み胴巻きの金を奪ったのはこれは賊の仕業と見せかけるため。
そのまま後をも見ずに江戸へと立ち戻りました。
石川虎次郎はまことに清廉潔白剛直な人ですから伝蔵とは肌合いが違いました。
亡き友谷崎の言葉もありこれはというので伝蔵の様子に気を配っておりますと伝蔵これで気が付いたか谷崎を殺したものの「まだ虎次郎が」と伝蔵のざん言によって虎次郎永のおいとまとなってしまいます。
吉徳公の御台所は五代将軍綱吉公の養女で尾張大納言の姫君。
ご愛妾が芝神明の神主権守の娘でお貞の方。
伝蔵このお貞の方と姦通。
やがてお貞の方が懐妊。
月満ちて生まれましたのが吉徳公の三男にあたります勢之佐君。
ところがこの勢之佐が伝蔵によく似ているものの当時はDNA鑑定などございませんで伝蔵お貞の方と謀ってこの勢之佐を世継ぎとして百万石のお家を横領しようという。
これからがますます面白くなってまいりますがちょうどお時間。
この続きまたの機会に申し上げる事に致しまして…。
おなじみ「加賀騒動」の序開き「大槻伝蔵出世」の一席でございます。
(拍手)2015/09/05(土) 04:30〜05:00
NHK総合1・神戸
日本の話芸 講談「加賀騒動 大槻伝蔵の出世」[解][字][再]

講談「加賀騒動 大槻伝蔵の出世」▽一龍斎貞花

詳細情報
番組内容
講談「加賀騒動 大槻伝蔵の出世」▽一龍斎貞花
出演者
【出演】一龍斎貞花

ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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日本語
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