(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは言わずと知れた歌舞伎界の大御所でいらっしゃいます。
お仕事場では男の方に囲まれているんですけれどもなぜかおうちでは女性陣に囲まれているナイーブなお父様というか最近おじいちゃまにもなられました中村吉右衛門さんにおいでいただいております。
(拍手)どうもご無沙汰しております。
よろしくお願いいたします。
なんかもうお2人お孫さん…。
ということになりまして。
お1人が男の子?はい。
なんかすでにもう色々教えていらっしゃるような…。
いやまあそういうような…なるべくなじませた方がいいというときはあります。
あっそうですか。
何をしてなじませてるんですか?例えば舞台稽古を見に来たときちょっと舞台にのせるとか。
それとかDVDを見せるとかそういうことをしております。
まあ早くも英才教育が始まって。
あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは右の大指をもって四縦を描き後に五横を書く。
堂々たる体格を生かした存在感あふれる芝居で人々を魅了。
2011年に人間国宝に認定された歌舞伎界の大看板です。
(唄方たち)・いよぉ〜〜ドンドン!
(太鼓の音)更にテレビドラマでも活躍。
45歳で主演した「鬼平犯科帳」が今も続く当たり役に。
お茶の間でも知られる存在となりました。
長谷川平蔵である!生駒の仙右衛門神妙にいたせ!実の父が松本白鸚実の兄は松本幸四郎という梨園の名門に生まれた吉右衛門さん。
4歳のとき実父と養父二人のお父さんがいる少年時代を過ごしました。
早くから脚光を浴びた松本幸四郎さんに対し吉右衛門さんは不遇の時代が長かったといいます。
ジゴロになるつもりだったんですか?今日は吉右衛門さんが押しも押されもせぬ名優になるまでの苦労をサワコに語ります!まあお孫さんお2人になられてちょくちょく帰ってらして。
はい。
それはおじいちゃまにとってはうれしい…。
ええもうこれはうれしい。
一緒に遊んだりすることもねそれだけでこう興奮しますしねいいんじゃないかなぁと年寄りには。
なるほど。
さて今でも記憶に残っている一曲は何をお選びいただきましたか?「死刑台のエレベーター」っていうもののサウンドトラックみたいな…。
フランス映画ですよね。
ヌーベルバーグのはしりなんですね。
子供の頃母親に連れていかれましてね。
おいくつぐらいのときだったんですか?中学1年生とかそのへんなんですよ。
つまんねぇななんて思いながら…。
あっつまんねぇなと思って。
だろうと思いますよ。
だって不倫の話で…。
そうね。
中学1年生でね…。
そんなものを見たってなぁって思ってましたらその音楽が聴こえてえっ!?こんな素晴らしい音楽があるのかなと思った。
それからジャズが好きになったんです。
へえ〜。
(ジャンヌ)Jet’aime.
(モーリス)Jet’aime.あぁ…。
こりゃちょっと中学1年にはストーリーに魅了されたら…。
ストーリーはちょっと分かりませんでしたけども。
ちょうど中学1年っていうとそのころ吉右衛門さんは歌舞伎役者として少しずつ…。
もう歌舞伎役者っていうか…。
もうデビューは4歳?ええ。
もう4歳で初舞台ですけれどもそのもっと前から決まってるみたいなもんで。
その今僕を映画に連れてってくれた実母は初代中村吉右衛門の一人娘。
お嬢さん。
父親の初代吉右衛門は女と見てない…この子は男の子だって自分の跡継ぎだってそう思い込んで育てて舞台にも出しましたし。
これは男の子であると思っていた父親にある日突然「私は松本白鸚のとこへ嫁にいきたい。
嫁にいって男の子を2人産みます。
長男は藤間家の跡取りにします。
次男を養子に出しますからお父さんのとこへ養子に出しますから許してください」って。
この結婚を許してくださいと。
許してくださいと。
そう言ったってそうならないでしょうね。
(中村)ならないかもしれない…。
それは分からない。
神のみぞ知るでしょ?ええ。
それをちゃんとそうしちゃうんですよ。
男の子2人産んじゃう…。
産んじゃうんです。
でお兄ちゃんが幸四郎さんで。
そのままいて僕は外へ出されて。
要するにおじいちゃまの…初代吉右衛門さんのところの養子として息子に戸籍上は…。
なってるわけですよ。
そうするとおじいちゃんとしては娘の次男坊をもう跡継ぎとして教育しようと。
だからあんたは播磨屋の跡継ぎなんだから跡継ぎなんだからって言って祖母と実母の2人にガンガン言われましたね。
お前は跡継ぎだ〜跡継ぎだ〜って。
跡継ぎだ〜跡継ぎだ〜って。
言われた…。
それでこう目がまわって…ふふっ。
跡取りだからもうみんな周りは大変ですよ「坊ちゃん坊ちゃん」「若旦那若旦那」で。
大変持ち上げてくれてました。
ちょっと気持ちよかったことは…。
気持ちよかったですよ。
あっ気持ちよかった?そりゃもうやりたい放題ですよ。
何やっても怒られないみたいなところがありました。
例えばどんなことやってみた…。
えっ?お弟子さんの首をビャッと刀で突いちゃったりとか。
あははっ!
(中村)そんなことばっかりしてて10歳のときに初代は亡くなりますけれども。
そうですよね。
でその亡くなった途端に「若旦那」が「バカ旦那」になって…。
「バカ旦那」って…。
「バカ旦那」って。
こうですよ。
あっそんな…。
そういう…世の中みんなそうじゃないですか。
でもそれで跡を継がないっていう選択肢はあったんですか?まあ萬之助っていう名前で継いでおりましたけども初代が亡くなったときに新聞にもう中村吉右衛門っていう名前は止め名にした方がいいんじゃないかもうこれで一代でおしまいにした方がいいんじゃないかって。
もう跡継ぎがいるんですよ。
いるのに?なんでそんなことを書かれたんですかね。
知らないですけどもねあんまり。
名を汚すと思ったんでしょうねもうそのころから。
えっ僕どうしようと思いましたけどね。
(夫)ごちそうさん。
(妻)はいありがとう。
結構残ったね。
(でんきやさん)よいしょ。
いっせーのよいしょ。
《冷蔵庫ってコンセント挿してから中が冷えるまで時間かかりますよね》《だから事前に了解を頂いたお客さまには前もって冷やしてお届けしてます》いや〜ホント冷えてるとすごい助かるよこれ。
《ほんの少しの時間でもお客さまに不便な思いをさせたくないなっていうのが一番の思いです》はよ済んでよかったわ。
ありがとうございます。
初代吉右衛門の跡を継ぐとなったら初代吉右衛門さんがいらっしゃらないとどうそれを継いでいいのか…。
それはですね実父は初代吉右衛門の芸にほれてずっとそばに付いてた人なんです。
初代吉右衛門の芸というのは実父が全部分かっておりますからそれに教わればいいということなので。
吉右衛門さんは16歳のとき歌舞伎の新しい可能性を求め実の父と兄と共にしかしそこに待っていたのはミュージカルや現代劇ばかり演じる日々でした。
僕はミュージカルの才能もないし現代劇でもあんまりパッとしないし。
でもお兄ちゃんはだって…。
もうスターですよミュージカルの。
大スター。
僕はどうでもいい役者っていうふうな。
っていうのは当てたものがないもんですからね。
でその悩み多き年頃になってきますから自分は必要ないんじゃないか役者になっててはいけないんではないかっていうその時代ですね。
10代ですね。
でちょうど18で大学入試ができましたんで文学の道へ進もうかなぁと思いました。
フランスの文学の研究者に…。
ええ。
駄目だったらジゴロになろうかなぁと。
ジゴロになりそうだったんですか?パリかなんかで?
(中村)パリで…。
もっと言いますと実はフランス人の彼女がおりましてそれを追いかけていこうと思ってた。
あっ彼女のあとを追いかけて。
はい。
じゃあもう歌舞伎役者っていうのもポイっと捨てて?もうだからそのときに実父に相談しまして僕は役者を辞めてフランスへ行ってフランス文学を勉強したいって相談したんです。
そしたらあの…「なんでもなっちまいな」っつってくるっと後ろを向かれちゃったんです。
「ばかやろう」とも「辞めるな」ともなんともなく「ああいいよなんでもなっちまいな」ってこんな感じでフッとこう後ろ向かれた。
片や松本幸四郎という者を背負いこっちの中村吉右衛門初代中村吉右衛門ってものを背負って彼はずっときたわけですね。
それを自分の子供たちに伝えたい…「俺は伝える役者なんだ」って実際に言ってましたからね。
幸四郎の芸と吉右衛門の芸をこの二兄弟に伝えるのが俺の役目だってそういう感じの人でしたから後ろを向いたときに背中にそのああ片っぽは駄目になるのかというわびしさといいますかね。
息子としては。
次男坊として…。
(中村)ああこれは悪いことを言った…。
僕は吉右衛門をなんとかしなきゃいけない人間なんだとそういう運命なんだと思って。
その何年か後に22歳のときですけども二代目吉右衛門を襲名しますでしょ。
で襲名した以上はもうその名前をとにかく汚さないそれだけでこう一途にやってまいりまして。
でもそれだけ歌舞伎一途にやっていくしかないとご自身が思っていらしたときにあるとき「鬼平犯科帳」の話が来たという。
これは40代になってから…。
ええそうなんです。
それまで実父の白鸚が当てた芝居でございまして池波先生によれば実父をモデルにしたみたいな。
モデルになったような人がやれば当たりますわな。
で今度誰にするかってときに僕に白羽の矢を立ててくださったんですね。
池波正太郎さんご自身が?そうですご自身が。
でも40っていうのは若いですよ。
あっご自分がやるにとってはね。
ええ。
それでずっとバァ〜っと出てくるのはその実父の貫禄のある鬼平じゃないですか。
もうほんとに失礼だなと思いましたけど…お断りしてしまったんですけども。
そしたらまだ先生諦めてくださらないで45のときにまたお話があったんです。
そろそろいいんじゃないって?まだちょっと早いけどもやってみようということでやらせていただいたらまあおかげさまでなんとかかたちになりましたけどね。
おかげさまどころじゃないですよ。
まあそれまで歌舞伎しかやらない人間みたいなことを思われていたのがまったく歌舞伎をご覧になってない方も吉右衛門っていうのを知っていただいたというそれはありますね。
(ナレーター)たとえ太陽や土がなくても照明空調ネットワーク技術によって鮮度が長持ちする野菜を高速で栽培していく。
世界中に安定した食環境をつくる新しい農業のカタチです。
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
(子ども達の歓声)
(歓声)おととし吉右衛門さんの四女・瓔子さんが歌舞伎俳優尾上菊五郎さんの長男菊之助さんと結婚。
父親が共に人間国宝という名門どうしの縁組みが話題を集めました。
全然知らなかったもんですからねつきあってることも知らなかった。
あっ全然気配も?昔むかしその…二人を会わせたのが自分なんですけどもね。
えっそうなんですか?そうなんです。
食事に連れていってそのときに娘がくっついてきたんですよ。
じゃあお二人にとって初対面はパパも一緒だった。
(中村)そうなんです。
だけどそのあとどうしてるかは全然僕は知りませんでした。
そうなんですか。
そしたら急に「頂きます」って。
ふふふっ。
「頂きます」って言われて…。
「頂きたい」って「ええ〜!」ってほんとにびっくりしました。
それはちょっとこうムカっとするとか。
いやいやもう「ムカっ」も何もいや大丈夫かなぁ?と思って。
嫁の支度なんて全然させてませんでしたから。
花嫁修業とかそういうことですか?はい全然。
「いいのか?これで。
これでいいのか?」って…。
何遍もおっしゃったの?何遍も言っちゃったらしいんですよ。
覚えてませんよ。
あまりにびっくりして?あのあと今になって娘は「あんな失礼なことを言って」って怒ってますけどね。
「何度も言わなくたっていいじゃない!」って。
でも婿殿にしてみればどっちのお父さんも人間国宝なわけですよね。
(中村)ああまあそういうことになりますね。
どうして生きてきゃいいんだみたいな。
(中村)いやそんなことはないと思う。
我々っていうのはそういうもんで自分の父親なり先人に近づこう近づこうとしますから当然そういうものはついてまわるもんですから。
だからそういうふうに考えて当然だと思います。
あっそうですか。
じゃあ…最近初めて共演を菊之助さんとなさったという。
そうですね。
いかがでした?婿殿の働きについては。
ええやっぱりまあ婿殿ですからあははっ。
ですから向こうもやっぱり父親をこう気遣う感じがいたしましたしこちらもやっぱり向こうを気遣う感じで。
まあほんとはそれはいけないんですけどもね。
どうしてもやっぱり人情として出てしまいます。
パパには嫌われたくないだろうに。
あははっ!こっちは向こうに嫌われたくない。
嫌われたくないの?孫取られちゃ嫌だって。
孫取られちゃ嫌…。
せっかくの楽しみを奪われては…と思うので。
あははっ!一方でだってご自身の芝居についても色々な演目を…得意の演目というのをもう何回も何回も何回も何回も重ねて…。
(中村)そうですね。
たくさんなさってらっしゃいます「熊谷陣屋」の映像があるそうなんですけどちょっとご覧いただきましょう。
はい。
中村吉右衛門さんの代表作の中でも特に高い評価を得ている「熊谷陣屋」。
26歳から45年にわたり演じています。
源平合戦のさなか武将熊谷直実が主君源義経への忠義のためやむなく自らの息子を殺すという物語。
・ああ。
・と言上す。
この演目の見せ場は直実が出家し自らの手で殺めた16歳の息子を思い嘆くシーン。
十六年は一昔。
夢だ。
ああああ夢だ。
(場内拍手)まあほんとにこれも私も何回見ても理不尽すぎるとか思いながら…腹立ちながら涙が出てくるんですけど。
ほんとにねぇ。
26歳の頃になさったときの心持ちと40代50代っていうのとじゃ全然違うんですか?ご自身の中でも。
全然違う。
例えば何ができてなかったと今思えば。
見得を切るだけとかそれだけが型じゃなくていろんなところにあるわけで…まあ演出ですね。
はい。
これいったら次ここでしょ…。
だったら今度こうやってこっち見てこうあれしてこうやってこういうセリフを言ってどうのこうのっていうそういうのの重なりですからね。
それをやるだけでも名人上手のやり方と同じになるわけですよ。
ですからある程度の見るだけの価値のあるものにはなるわけです。
だけどそれよりはもっとあの〜自分自身の…直実なら直実の気持ちを表したいお客様の魂に届かせたいっていうのがあると思うんですね。
それをするにはまずその型というものを…演出というものを自然に出てくるぐらい身に付いたうえでなおかつ自分の考えている直実の気持ちというものを表してお客様に伝えたいというのが僕の考えてる理想なんですけどね。
今のお年になって直実の気持ちの新しい発見はなんですか?
(中村)あの〜時代を源平の時代のものにしてますから簡単に首斬ったりなんとかこんだかでやってますけどもそれは今の時代も同じで殺す殺さないじゃなくて自分の直属の上司のために働くにはどうしたらいいか?何か家族も犠牲にしなければならないという状態っていうのはあると思うんですよね今でも。
うんうん。
その苦しみは同じなもんですからお客様に同じように分かっていただければまあ幸い…それぐらいの演技をしたい。
それをいつも悩みますね。
でもこうやって伺っているとどれほど演じることがお好きかと。
ああ好きですね。
本当女房にも「芝居があんた好きね」って言われますね。
ほう〜。
だからまあまあ役者子供と言いますかねやっぱり僕もそう…それだったなと思いますよこのごろしみじみ…はい。
でも今はあの〜後輩…まあ後人というか…その方々をお育てになるのがもう忙しいのにっていうくらい…。
まあそれがその伝統歌舞伎とよく言われますね。
だから伝統っていうのは先人のやったことを受け継いでそこにまあ自分の新しい…その時代その時代の新しい息吹を吹き込むことですのでまず伝えないとどうにもなんないです始まらないんですよ。
まあちょっとくたびれますけどね自分でやる方が疲れないです。
教える方が疲れます。
教える方が疲れる…。
今の若手の人たちの共通するよさと悪さっていうのは…。
いいところはですねあの〜とにかく内へこもらない。
ああ…。
我々の時代は昔のことをそのまんま受け継いで自分のものにしてそれから自分を出そうというふうに考えてたのが今はまず自分というものをバ〜ンと出すことですね。
ですから教える方もそれだけ神経使うわけですよ。
こっちはおかしいから注意するけども彼のそれが魅力になるかもしれないんです。
うんうんうん。
だからそれを止めちゃうのはいいことかどうかっていうのはまだいまだに分からないですね。
そうかなるほど。
昔はもうとにかくその形がどういう意味をなしてるかっていうことよりもまず型をとにかく全部覚えろと。
(中村)そうです。
今は分かんないことはできないんですよ。
はあ〜。
じゃあ1つ1つ説明して…。
(中村)ええ説明しなくちゃなんないわけです。
「これはねこうなってこうでこうだからこうだろ」というふうに…だから疲れるんです。
そうですねぇ体力いりますね。
はい。
で先代の吉右衛門さんの俳号をお引きになった…。
「秀山祭」。
ご存じのとおりまああの〜跡継ぎがおりませんでしょ。
なんかしなくちゃならないなと思って皆さんに初代吉右衛門という者をああこういう役者だったのかとか思い出していただいたり懐かしんでいただいたりする興行をまあ今年で10年…10年目になります。
記念的なものをやりますんですけどもねはい。
えっでもまだ三代目吉右衛門さんの可能性は。
いやないですないです。
お孫様は?はい?お孫様は…あっちか。
そうですあちらです。
じゃあ次男坊が生まれたら…こっち?いやもう〜その養子というのの大変さっていうのはもう私だけで…。
身をもって?身をもって…もうかわいそうですわ。
そんなかわいそうなことはできない?はい…ふふふっ…。
娘はそんなつもりでいるらしいんですけどもね。
そうなんですか?男の子2人産んでみたいっておばあちゃんのまねしてるんですけどね。
あっそうなんですか?
(中村)う〜ん…でも僕は結構でございます。
あっもう「結構でございます」なんですか?結構でございます。
へえ〜。
それでは今吉右衛門さんの心に響く曲は?ナット・キング・コールっていう人が大好きでその中のあの〜「アンフォゲッタブル」という…。
あの人はまあジャズピアニストなんですけどその歌声が素晴らしくていつ聴いてもこれでほっとするようなね。
これ…ジャズこういうのお好きですけれどもご自身でも歌ったり演奏なさったりすることは?あの〜演奏はちょっと友達と一緒にやっておりました…。
ピアノ?いや僕はベース。
ベース。
ほう…今時々?もうただ楽屋で時々聴くだけです。
あっ…聴くだけで。
はい。
あぁ…。
心穏やかな気持ち…。
ねえ。
もうほんとなんかこううっとりとしますね。
ねえほんとに。
でもやっぱりものすごく苦労なさったけれど歌舞伎役者を続けていらしたことは…。
ああそれはもうほんとにあの〜この職は天職だと思ってますんでね。
一歩間違えればねパリでしがないフランス文学者…。
それはちょっと残念かなと…。
ええ〜!残念だったんですか?やっぱり。
あははっ。
いやそれはそういう暮らしも味わってみたかったですよね。
Bonsoir?うんそうです…。
それもやってみたかった…ふふふっ。
「Jet’aime」とかね。
「Jet’aime」もまた…。
「Jet’embrasse」とかね。
なんですか?それは。
抱きしめたい。
あっ…ちょっとほんとに具体的になってきた。
あははっ!あははっ!番組をもう一度見たい方のために期間限定で無料見逃し配信を行っています。
お手持ちのパソコンやタブレットスマートフォンで見られます。
くわしくは番組ホームページをご覧ください。
2015/09/05(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【中村吉右衛門▽鬼平の葛藤と涙】
ゲスト・中村吉右衛門/歌舞伎俳優▽「兄(松本幸四郎)は才能あるから、色々できた。僕は…」宿命的な生い立ちから二代目襲名、人間国宝へ…長い歌舞伎人生に阿川が迫る。
詳細情報
番組内容
ゲストは歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん。父は松本白鸚さん、兄が松本幸四郎さんという梨園の名家に生まれた吉右衛門さんは、4歳の時に母方の祖父である初代・中村吉右衛門さんの養子に。宿命を背負いながら歌舞伎立役の第一人者として邁進し、活躍の場は歌舞伎だけに収まらず主演を務めた人気ドラマ「鬼平犯科長」は26年もの間人気を博しました。その“鬼平”の主人公・長谷川平蔵役に抜擢したのは原作者の池波正太郎さん自身。
番組内容2
だが、自分にはまだ早いと一度辞退した吉右衛門さんが、出演を決めたきかっけとは!?
役者の道ではなく、文学の道へ進みダメだったら“ジゴロ”になろうとさえ考えた10代の吉右衛門さんは、22歳で二代目中村吉右衛門を襲名し人間国宝となり70歳を越えた今もなお歌舞伎界を牽引し続けています。番組では、その長い歌舞伎界での道のりを阿川と辿っていきます。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
中村吉右衛門(歌舞伎俳優)
1944年、東京都生まれ。父は八代目松本幸四郎、兄は九代目松本幸四郎
1948年、母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子となる
1966年、二代目中村吉右衛門を襲名
1974年、はとこの知佐さんと結婚、後に4女をもうける
1989年、ドラマ『鬼平犯科帳』が始まり人気シリーズに
2006年、初代吉右衛門の俳名を冠した「秀山祭」をはじめる
出演者2
2011年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
2013年、四女・瓔子さんが五代目尾上菊乃助と結婚。初孫が誕生、15年7月に第二子誕生
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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