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2005-05-25 沖浦啓之監督『人狼』映画感想と映像解説
■沖浦啓之監督の執念が凄い!劇場アニメ『人狼』の秘密を徹底解説!

■あらすじ『深刻な社会不安に悩まされる高度経済成長下の日本。首都圏治安警察機構には、強化服と重火器で武装し、ケルベロスの俗称で恐れられている特機隊があった。その一員、伏一貴は、反政府ゲリラ掃討作戦を展開中に遭遇した一人の少女が自爆する姿を目撃する。その光景が脳裏に焼きついて離れない伏のもとに、ある日彼女の姉と名乗る雨宮圭が現れた。』
本作は、押井監督のライフワークとも言える『紅い眼鏡』『ケルベロス』に続く三部作の一つ、『犬狼伝説』シリーズの劇場用アニメーションだ。舞台を昭和30年代架空の日本に置き、国家公安委員会直属の実動部隊:首都警の伏一貴と、ある事件をきっかけに出会った少女:雨宮圭との悲しく切ない恋を描いた物語である。しかし、今回は内容についてではなく、「普通に見ていたのでは絶対に気付かないこの映画の凄さ」について書いてみたいと思います。
元々『人狼』は30分のビデオシリーズとして企画されたもので、当初は押井が自分で監督する予定だったが、『攻殻機動隊』の仕事が入ってしまったので断念。そこで当時『パトレイバー2』などで頭角を現していたアニメーター:沖浦啓之に白羽の矢が立った。しかし、押井監督から「お前、監督やらないか?」と言われた沖浦は、「何で俺がやるんですか!?」と全く乗り気ではなかったそうだ。
なんせ、当時の沖浦は監督どころか演出経験も無く、コンテすらまともに切った事が無かったのである。結局、「まあ、ビデオシリーズの一本ぐらいだったら…」という事でしぶしぶ引き受ける事になったのだが、その後、この企画は劇場用作品へと大幅にスケールアップ!
ある日突然その事を告げられた沖浦は「ななな何ですか!?いつの間にそんな話になったんですか!?」と腰を抜かさんばかりに驚いて、激しく押井監督に詰め寄ったらしい。最終的には「自分の好きなようにやらせてもらえるなら」という条件付で、ようやく監督になったそうだ。
しかしそこからがまた苦難の連続で、こだわり過ぎる沖浦監督の性格がアダとなり、当初の製作予定期間を大幅にオーバーして、完成までになんと3年もかかってしまったのである。いったい、何にそんなにこだわったのか?実写なら何でもないシーンでも、アニメで描くと大変な時間と労力を要する場合が有る。アニメーター出身の沖浦監督はその苦労をイヤというほど知りながら、「どうしてもやりたいから」と以下のポイントにこだわったのだ。
●中身を感じさせるプロテクトギア
沖浦監督が一番心がけたのは、プロテクトギアの中に人間が入っているという感じを出すことだった。通常、アニメでは甲冑を着たとたんにサイボーグのような動きになってしまい、人間の存在が感じられなくなる。そこで、「甲冑部分は人間が動く時、体に遅れて動く。歩いているだけでも、甲冑部分は揺れる」という具合に、とことん動きにこだわったのだ。
●揺れるスカート
この映画の中のスカートは、歩くたびに揺れ、走るたびに翻る。しかも自然に!実は、アニメーションでこれを表現するには、大変な手間がかかるのだ。普通、アニメーターがスカートを描く場合、それをブリキの筒のように考え、その中で足が前後しているように描く。そうしないと効率が悪いからだ。
しかし沖浦監督はそんな現状に不満を持ち、リアルなスカートの動きを表現しようと試みた。「走るとスカートが足にまとわりつき、右足が前に出た時、後ろから見るとスカートの右後ろが引っ張られて奥へ動く」という異常に細かい作画を、省略することなく丁寧に描いてみせたのである。忍耐力も尋常ではない。
●夜の雨の中を走る電車
電車は形が不変で、なおかつ車と違って決まった線路の上を走っている。それが、手前から入ってきて止まるだけでも途方もなく大変なのに、その後また走り出す。アニメでは、形の変化しないものをずっと描き続けるのは至難の業なのだ。しかも電車は徐々に減速し、加速もする。
おまけに、雨が降っているシチュエーションなので、濡れた路面に電車が映り込んでいる様子や、ライトが当たった部分だけ雨が強く降っているように見せなければならない。このシーンは、現場のアニメーターからは相当嫌がられたが、「どうしてもやりたいんだ!」と強引に押し切ったそうだ。
●吹雪と顔に張り付いた雪
まず、雪を雪らしく降らせる事自体がアニメーションでは難しい。しかも、その吹雪の中、カメラが引いていくと狼の顔の片側だけに雪がへばりついているようにしたかったという。技術的にこれも非常に難しい作画である。狼はその場を動かない上にキャメラは退き、その動かない狼の顔の同じ位置に雪を描かなければならないからだ。このシーンも、スタッフから苦情が殺到したらしい。
この映画の中で、一番目立たない割には最もアニメーターが苦労した場面がここだろう。伏と圭がデパートの屋上に上る時に使う“螺旋階段”である。普通の人は全く気にも止めないであろうこの「一見なんでもないシーン」、実はアニメで再現するにはとてつもなく難しいのだ。
まずアニメーターがラフを描き、それを元に美術監督がコンピュータを使ってパースを出し、手描きで清書して、またアニメーターがそれに人物を乗せ直してようやくレイアウトが完成する。
わずか3秒ぐらいのこのシーンに尋常でない手間が掛かっており、またそれぐらい手間を掛けないと「螺旋階段を上るシーン」は描けないのだ。普通の階段でもその空間の水平線と、階段の消失点の2つが生じるので描くのは大変だという。
それが、螺旋階段になるともはや計算不可能になり、想像力と理屈、あとはアニメーターの画力のみで描くしかない。どんなベテラン・アニメーターでも「こんなの描けません!」と土下座して許しを請うぐらい、メチャクチャに難易度が高いシーンなのである。
普通の監督ならこんなシーンは入れない。もっと簡単な見せ方はいくらでもあるし、極端に言えば無くても成立するシーンなのだ。試写を見た押井監督でさえ、「なんてとんでもない事をやってるんだ!俺だったら絶対にやらない!」とド肝を抜かれたらしい。
しかし、この映画を観て「凄い動きだなあ!」と驚く人は、せいぜいアニメの監督かアニメーターぐらいだろう。普通の人の目にはあまりにも動きが自然すぎて、特別な事をやっているとは思えないからだ。
しかも『人狼』のキャラクターにはほとんど影がついていない。これは、「動きを優先させる為には、少しでも影が少ない方が有利だから」という沖浦監督の判断によるものだ。しかし、この決定で影によって形をごまかす事が出来なくなり、アニメーターの画力だけでキャラクターの立体感を表現しなければならなくなった。
おまけに観客の目には単に「地味なアニメ」としか映らないのだ。スタッフの苦労が増える割には観客の反応はイマイチという、作る側としてはなんともやりきれない思いであっただろう。実にもったいない話である。
なお、以前『マトリックス』のウォシャウスキー監督が押井監督とこの映画を観た時、「なんてリアルな水の動きなんだ!あれはCGなのか!?」と非常に興奮していたそうだ。押井監督が「全部手描きだよ」と教えると仰天したらしい。やはりアニメオタクの心には響くものがあったのか(笑)。
そこまでして動きにこだわった理由は、もちろん沖浦啓之がアニメーター出身の監督だからである。アニメーターの本質とは言うまでもなく「絵を動かす事」であり、優秀なアニメーターであればあるほど「動画のチカラ」を信じているのだ。
押井監督によると「沖浦の作画はねっとりしている」らしい。『イノセンス』のラストで、バトーが装置の中から少女を引っ張り出すシーンの原画を描いたのが沖浦監督なのだが、明らかに「キャラクターの芝居」が多いのだ。普通ならカメラワークやレイアウトや人物のセリフなどで済ませるシーンを、全てキャラクターに演技させることによって成立させようとしている。まさに“頑固一徹アニメ職人”と言うしかない。
ちなみに押井監督は『人狼』を観た時、「予想以上にいい映画になってる。やっぱり俺の書いた脚本が良かったんだな」と自画自賛していたが、それを聞いたスタジオ・ジブリの鈴木敏夫は「押井さんが監督しなかったから良かったんだよ」と笑っていたそうだ。
これで話が面白くて、あそこまで抽象的なものでなかったら本当に名作だったろうに・・・アニメーターの皆さんには本当に敬意を表したいと思います。
そうですねー。実写でも、「いかにCGだと気付かれないように作るか」という点に製作者は苦労しているようです。良く出来た映画ほど、そういう部分が気にならないものだと思います。
>脚本は別の人がやった方が良い作品になると思うんですよね。
これも同感です。やはり伊藤和典氏と組んだ「パトレイバー1,2」や「攻殻機動隊」などが、完成度の高い傑作になっていると思います。押井監督が自分で脚本を書いたら、エネルギーが暴走し過ぎて映画のバランスが崩れてしまうような気がしますね。「人狼」の場合は、沖浦監督が脚本を無視して自分のやりたいように作ったから良かったんでしょう(笑)。でも映画を観た押井監督は「俺がやりたかったシーンが丸ごと無い!」とショックを受けていたそうです(笑)。
今回は「絵」の事しか書いていませんが、仰る通り内容もかなり地味な映画です。昨今の娯楽アニメを見慣れた目には、どうしようもなく退屈に映るでしょう。しかし、ドラマの作劇法は紛れも無く”映画”であり、ここまでこだわって作ったアニメがあるんだ、という事をもっと知ってもらいたいと思ったのです。海外で高い評価を受けているという事は、人をひきつける何かがあるという事でしょう。ただ、この日記の説明を見て「人狼」を観ても、結局「地味な映画」という印象は変わらないとは思いますが(苦笑)。