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お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2015年09月04日

この「人間の危機」の只中で、あの「溺死した難民の子供」は、クルド人だ。

アゼルバイジャンの風刺画家、Gündüz Ağayevさんの連作、「各国の司法/正義」より、「シリアの正義」。

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via Bored Panda(いわゆる「バイラル・メディア」のひとつ)

西洋文化圏では伝統的に、「正義(司法: justice)」は、物事の見かけに惑わされぬよう目隠しをし、物事について判断を示す秤を左手に、必要な場合に振るう剣を右手に持った女性の姿に擬人化される。これは古代ギリシャ神話の女神像が由来だが、目隠しの解釈は時代によるようだ

ともあれ、アゼルバイジャン(ここは一党独裁制の国で、日本語圏でニュースになるときは埋蔵資源や「輝かしい経済発展」の話が多いようだが、英語圏ではよく「言論の自由への弾圧」でニュースになっている)の画家が描いた「シリアの正義」の絵を見たとき、私は思わずうなってしまった。多くの人がそう反応するだろう。

シリアで、「法」は陵辱され、殺されつつある。既にシリアの人口の半分が、そこを脱出したという。

シリアで紛争が始まって4年半。いまだ解決の見通しは立っていません。激しい戦闘下にある場所はシリア全域に広がり、国を追われた人はついに400万人を越えました。トルコ、レバノンなどの周辺国には、難民が押し寄せています。また、逃れる手段がなく、危険な国内に留まっている方も多くいます。

Read more at: https://www.refugee.or.jp/jar/report/2015/09/01-0000.shtml
Copyright コピーライトマーク Japan Association for Refugees


9月3日、英国の新聞各紙の一面は――The Sunやデイリー・メイルから、インディペンデント、ガーディアン、The National(スコットランド独立派の新興メディア)まで――、ある幼い男の子の死の写真で埋まった。その男の子は英国人ではない。「迫害」や「生命の危機」をなかなか事実と認めようとしない立場のメディアや国家によっては「移民 migrant」と呼ばれ、国連や人道支援組織や一部メディアのように「迫害」の事実を認めるのが前提という立場からは「難民 refugee」と呼ばれる人々のひとりだ。







※こういう写真を見ると「この写真は日本では使えない」だの何だのというローカル事情の話を私にしたがる人が出るかもしれないが、そんなことはいちいち教えていただかなくてけっこうだし、それ以前に、当方は「日本では〜〜〜」という話をするために「海外の」話を持ち出しているのではない(「日本」と「海外」の二分法など、クソ食らえだ)。

英仏海峡を挟んでカレーから難民が「大挙して押し寄せてくる」と、swarmという単語を使って表現したデイヴィッド・キャメロン首相は、今も、休暇明けでこんがりと日焼けした顔をして、「難民は受け入れない」という態度を示している。






What's "the answer"? Remove Assad and destory the ISIS? If it were to be achieved, millions of Syrian people would have to flee. No, they don't want a f***ing answer. They want a safe place to live.




https://twitter.com/nofrillsキャメロンの態度に対し、「ひどすぎる」という声が、3日のUKのTwitterにはあふれた。#RefugeesWelcomeというハッシュタグ(先週末のドイツで、極右による移民排斥呼びかけデモに対抗して行なわれた「移民受け入れ要求デモ」のスローガンで、週末のサッカーの試合会場の客席にも見られた)はTrendsの上位に入っていた(今もBelfastではTrendsに入っている)。

きっといろいろな立場の人がそう発言している。共通しているのは、これは「人道上の/人間の危機 (humanitarian crisis) だ」という認識である。

この2週間ほど、BBCなど英大手メディアはほぼ毎日、地中海を渡る難民の苦境を大きく報じてきた。オーストリアで道路に放置された冷凍車から71人の遺体が出てきてからは、なお報道が多くなっている(ようにネットでは見える)。「毎日毎日、どうしてこんなニュースばかりなのか」という憤りは、人々の間で充満していることだろう。しかもシリアの暴力は4年も続いている。「国際社会」は何もしていない。機能しない安保理、仕事をしない調査団(現地入りしても30分しかとどまらないし、市民の話もろくに聞かない)、etc, etc.

そこに、この写真である。砂浜の波打ち際に、顔面を下に力なく横たわる小さな子供。トルコの西の海岸、ボドルムに流れ着いた小さな遺体。












(ブライアン・メイは動物愛護の分野で活発な人だが、動物についてだけ熱心というわけではないから、多くの人の信望を集めているのだろうと思う。)






写真の子供は男の子で、3歳だった。名前はアイラン・クルディ (Aylan Lurdi)。お父さんのアブダラさん、お母さんのレハンさんと、5歳のお兄さんのガリプくんの一家四人で、トルコからギリシャのKos島へ向かっていた。







Abdullah Kurdi, a Kurdish Syrian who has been in Turkey for three years and previously lived in Damascus, said he no longer had any desire to continue on to Europe.

Speaking outside the mortuary where the bodies of his two sons were being held, Kurdi said: “I just want to see my children for the last time and stay forever with them.”

Kurdi described what had happened on board the boat heading for Greece, saying the captain had panicked because of high waves and jumped into the sea, leaving him in control of the small craft.

“I took over and started steering. The waves were so high and the boat flipped. I took my wife and my kids in my arms and I realised they were all dead,” he told AP.
http://www.theguardian.com/world/2015/sep/03/father-drowned-boy-aylan-kurdi-return-syria

シリア国籍のクルド人であるお父さんのアブダラ・クルディさんは、以前はダマスカスに住んでいたが、この3年間はトルコに住んでいた。

APの取材に答え、アブダラさんは当時の様子を、波が高くてパニクった船長が海に飛び込んでしまったので、自分が舵を取らなければならなくなった、と語る。「高波で、船がは転覆してしまいました。妻と子供たちを抱き寄せたのですが、みな、死んでいました」

妻子を失った今、もう欧州に渡ろうという気持ちもなくなったと語るアブダラさんは、故郷のコバニに帰り、そこに家族を埋葬するつもりだという。




この写真に対し「とても立派なお家ですね」とかいう馬鹿なコメントをつけている人がいるが(何でも「新聞なんてくだらないものは読まない」が「見たものについての意見は言う」のだそうだ。呆)、背景のこの建物は遺体安置所である

この馬鹿なコメントはまだいいほうで、ちょっと見れば「なぜこんな子供をこんな危険な目にあわせるのか。親が悪い」みたいな、擬似的な「子供を守れ」の叫び声などもあちこちで響いている。

クルディさん一家の乗っていた小さな船は、何艘かの他の船と一緒にトルコのAkyarlarからギリシャのKos島へ向かっていた。クルディさんたちの船の転覆で、少なくとも12人が死んだ。トルコのアナドル通信は、警察がこの件にかかわった密航業者 (people smugglers) との疑いで4人を拘束したと伝えている。

オーストリアのトラック放置でもあったことだが、トラフィッカーは危険が迫ると、「客」(難民たち)などほっといて自分だけ逃げる。その「危険」は警察の検問だったり、沿岸警備隊の放水だったり、高波だったりするわけだ。

それだけでも十分にやりきれないが、下記のところを見て、記事の先が読めなくなった。

Anadolu said the four, including at least one Syrian citizen, were detained on a beach on the Bodrum peninsula and would appear in court later on Thursday suspected of acting as intermediaries for illegal crossings.

http://www.theguardian.com/world/2015/sep/03/father-drowned-boy-aylan-kurdi-return-syria


シリアの周辺国はもう難民の受け入れ人数的に限界に達している。湾岸諸国は(イランとつながりの強い)シリアからの人の受け入れには積極的ではない。

そこに来て、最近のトルコの「参戦」である。トルコの「参戦」のきっかけは、ISISがクルド人の団体を標的にしてトルコ領内で行なった自爆攻撃だったが、なぜか、対ISISの軍事行動より、対クルド人武装勢力(PKK)の軍事行動に熱心である。

シリアからトルコに脱出していたクルド人は、自分たち「民族」に対するトルコの態度もそんなんだし、国境などはISISに対してはかなりぐだぐだなので、身の安全が保障されているとは思えなくなっていただろう。

Mustefa Ebdi, a journalist in Kobani, said the Kurdi family had been forced to move several times during the Syrian conflict and left the country in 2012. He said the correct family name was Shenu, but that Kurdi had been used in Turkey because of their ethnic background.

“They left Damascus in 2012 and headed to Aleppo, and when clashes happened there, they moved to Kobani,” Ebdi told AFP. “And again, when clashes [with Islamic State] happened there, they moved to Turkey.”

“I tried to speak to him [Abdullah], but I couldn’t because he just started crying,” he added.

http://www.theguardian.com/world/2015/sep/03/father-drowned-boy-aylan-kurdi-return-syria


「クルディさん」たち一家は、本当は「シェヌさん」一家だと地元コバニのジャーナリストは説明している。その後の記述は、ちょっとわけがわからない。2012年にシリア国外に出たというが、そのときはISISはまだ今のような組織ではなかったし、ISISがコバニを攻めたのは2014年だ(その前により小規模な攻撃があったのかもしれないが)。いずれにせよ、一家はダマスカスからアレッポへ行き、そしてコバニへと、そのときどきで安全なほう、安全なほうへと行っていた。

そしてついにトルコにいるのも危なくなってきて、欧州に脱出し、そこから、20年前に移住した親族を頼ってカナダに行こうとしていたという。
Speaking to Canadian press on Wednesday night, Abdullah Kurdi’s sister Tima, a hairdresser in Vancouver who emigrated 20 years ago, said the family’s application had been rejected.

“I was trying to sponsor them, and I have my friends and my neighbours who helped me with the bank deposits, but we couldn’t get them out, and that is why they went in the boat,” she said. “I was even paying rent for them in Turkey, but it is horrible the way they treat Syrians there.”

http://www.theguardian.com/world/2015/sep/03/father-drowned-boy-aylan-kurdi-return-syria

つまり、アブドラさんのお姉さんのティマさんが20年前にヴァンクーヴァーに移住しており、友人や地域の人たちの協力も得てアブドゥラさんたちを呼び寄せようとしたが、トルコから直接カナダに来させることができず(Only applicants who have been formally designated refugees can make the G5 application that Kurdi’s sister would have sponsored, and many Syrian Kurds have reported difficulties getting their applications processed in UNHCR camps in Turkey. Turkey will not issue exit visas to refugees if they do not have official status.)、一家はトルコから欧州大陸に入ることにしたという。アブドゥラさんのトルコでの家賃を払っていたのがティマさんだが、「トルコでのシリア人の扱いはひどい」。



本稿冒頭で参照したアゼルバイジャンの風刺画家さんによる、この「波打ち際にうつぶせで倒れている子供」へのトリビュート。
https://www.meydan.tv/az/site/authors/7892/Syrian-child---Suriyal%C4%B1-u%C5%9Faq.htm

英国では、フィナンシャル・タイムズがキャメロンに難民受け入れを求めている。




3日、国連は、シリアの難民保護について "global failure" だと結論する報告書を出したそうだ。それを報じるBBCの記事に、"The government's indiscriminate bombardment of residential areas has meanwhile continued" という写真キャプションがある。Indiscriminateに引用符がついていない。

そしてこの写真でも、子供が傷ついている。



こういう写真があり、「国際社会が何もしないでいる」ことは、過激派を利する

まずは「難民」は「難民」と認めるところからだ。




アラブ連盟(何もしない「国際社会」の機構のひとつ)への強烈な風刺。




「人間の危機」への人間の反応。




日本では:
http://www.japanforunhcr.org/activities/theme_em-syria/
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2015/09/01-0000.shtml
https://www.msf.or.jp/donate_bin/onetime.php (国境なき医師団。「シリア緊急援助」があります)
……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照。

※この記事は

2015年09月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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「懐疑的で、何事にも動じない冷静なボク(たち)」は、知らず知らずのうちに過激派に利用され、「情勢を大きく動かし」ているというのに。
Excerpt: この先きっと「あの溺死した子供」として記憶され、語られることになるであろう3歳のアリヤン・クルディ (Alyan Kurdi) くんと、お兄さんで5歳のガリプ (Galip) くん、お母さんのレハン ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-09-04 23:30




記事を読んでくださってありがとうございます。
個別のご挨拶は控えさせていただいておりますが、
おひとりおひとりに感謝申し上げます。




なお、ここに貼ってあったZenbackは2015年2月19日にコードを外しました。今後は検討中です。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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