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【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(7)】「大学には娘を殺すという攻撃があった」

【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(7)】「大学には娘を殺すという攻撃があった」

インタビューに応じる元朝日新聞記者の植村隆氏=7月30日、札幌市(早坂洋祐撮影)

 朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの詳報7回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「大学への攻撃が続いて、大学がすごく大変なんだ」

原川「ただ、その、このだまされたというこの日本語ですよね、だまされたという言葉と連行という言葉を同時に使うのは日本語の日常の用語法上、両立しないという指摘だと思うんですけど」

植村「ああ、そうなんですか。ま、それは僕はちょっとね、分からないんだけど。ま、僕が日本語の専門家じゃないわけですけれども、別に、先ほど言った西岡(力・東京基督教大教授)さん(の過去の論文)でね、『連行されたプロセスを』ということで、これはプロセスが、あるいは人身売買だったかも分からんし、だまされたかも分からんし、強制連行かも分からんと。戦場に連れて行かれたという意味で私は書いたわけで、それがそういう意味で書いたということを繰り返したい」

阿比留「それでですね、大きな意味で、先ほどから西岡さんの名前を出されているわけですが、やはり、いろんな判断があったんでしょうが、最初に(批判論文を)書かれて、社内に報告書も上げさせられたわけですよね。結局、問題はないということになったそうですけども、その報告書では、どういうことを書かれたんですか」

植村「それは結論しか言えません。そこの(『文藝春秋』の)手記に書いてるのを参照してください。報告書の内容まで私が言えないじゃないですか。会社のものだから。ただし、問題がないということだった。で、確かに、その後も、ご存じのように、植村批判がずっと続いてきましたよね。だけれどもまあ、私はまあ、もちろん、最初に説明して問題ないと言っているわけですから。会社的な問題はなかった。今回はご存じのように去年、転職が決まったときに激しい攻撃が(転職先の神戸の)大学にあった。そして北星学園大学には娘を殺すという脅迫状が来た。これも阿比留さん書いてくれないかな」

阿比留「書きますよ」

植村「つまり、僕、本当に許せないんだ。阿比留さんたちはちゃんとこの記事はどうだって言っているけど、そうじゃなくて、やっぱり尻馬に乗るというかね。申し訳ないけれども、やっぱり植村が、何か問題があるんだということで、メールとかそういうことで大学への攻撃が非常に続いて、大学がすごく大変なんだ。これも書いてほしい。で、阿比留にさんに、ぜひお願いしたいのは…。あ、ちょっとごめんね(携帯電話が着信する)」

「産経新聞の私の置かれている状況を伝えてほしいんだ」

植村「まあ、とにかくそういうことで、激しい批判がでている。そこのところを産経新聞がぜひね、私の今、置かれている状況を伝えてほしいんだ」

阿比留「それは約束しますよ。でも一方でですね、例えば、確か植村さんがロサンゼルスかどこかで講演をされたときの話で、西岡さんや櫻井(よしこ)さんがそうした卑劣な動きをあおっているというような趣旨のことをですね…」

植村「ああ、あれはね、あおっているというか要するに、えーっと…」

阿比留「ちょっと言い過ぎではないかなという気もするんですよね」

植村「うん、まあ、あの要するに、『社会の怒りをかき立て、暴力的言辞を惹起しているのは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか』ということを(櫻井氏が書いている)。やっぱり、それに影響されているんじゃないかと、私は怒っておるわけなんです。まあ、言い過ぎかどうかは、これはまあ、法廷でもそれが出ていますので」

阿比留「ああ、そうですか」

植村「はい、当然それは出てきますから、あの、法廷に来ていただければ、またそれもやりとりが…」

阿比留「あとですね、やはり外国での米国での講演でですね。まあ、歴史修正主義者という言葉を使いまして、代表格のようにして例えば安倍晋三首相のことを挙げられたりもしてましたけども、外国でですね、あまりよく事情を知らない人の前で、そういう文脈で話すといらぬ誤解を招くんじゃないかと思うんですけど」

植村「そもそも僕が言い出したのではなくて、多分そういうふうにずっと受け止められるような行動があったんじゃないですかね。僕が初めて言ったんでしたっけ、阿比留さん、そういうふうな表現を」

阿比留「初めてかどうか知りませんけど」

植村「違うと思います。河野(洋平官房長官)談話、村山(富市首相)談話についてのぶれと、この間の動きをみたら、そういう流れの中の人ではないかと。なぜなら、歴史教科書の問題でも中川(昭一)さんと一緒にやられてきましたよね。そういう流れを言ったわけで、それは別にどこでも言ってますんで、米国だけではないですよね」

阿比留「ただ、しかし、あの中でですね、自民党の『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』のことを触れられてますけども、彼らがやってきたことは、むしろその、いい意味での修正というと変な言葉遣いですけども、歴史を正しているだけじゃないかと思いますね」

植村「そこはもう、ちょっと論議が広がると思うんですけど、村山談話、河野談話という2つの談話を変えよう、あるいはそれをなき(もの)にしようという動きがありますよね。僕は、やっぱりそれは大きな意味では歴史修正じゃないかと思うんです。なぜなら、それは世界に向けた日本政府のマニフェストですよ。そして、それでいろんな外交関係、いろんなものができた。にもかかわらず、それが揺らいでいる、ということを言ったわけです」

「阿比留さんは金学順さんを何だと思っているんですか」

原川「えー、そうですねえ、いろいろ…。えっと、植村さんご自身は、慰安婦と挺身隊の言葉の混同に戻りますけども、いつ混同に気が付かれたんですか?」

植村「これがね、だから、混同ということよりも」

原川「あー、これは別のものだ、と気づかれたときがあったんですか?」

植村「いや、今でもね、慰安婦のことをチョンシンデと言う韓国の年寄りはたくさんいるんですよ。それで、おばあさんたちもそれは言う。で、気付かれたというか、どこかでこれが間違いだとかね、そういうふうな、僕は、認識じゃなくて、やっぱりそういう時代の認識で、そのおばあさんたちって挺身…、あの、金学順さんって慰安婦じゃなかったんですか?」

阿比留「ただ、でも、金学順さんは別に挺身隊じゃないんじゃないですかね」

植村「いや、だから挺身隊というふうに、ご本人が言ったり、それから周りが言ったりしている。つまり、その場合の挺身隊というのは、勤労挺身隊の意味ではないんですよ。慰安婦のことを韓国ではそういうふうに言われている。だから、当時はそういうふうな言い回しと時代認識があったということなんですよ」

阿比留「今はどうですか」

植村「まあ、今は使いませんよね、確かにね。もう使わなくなっている。それは別に私だけじゃなくて、新聞自体がね。じゃあね、それはだから、その時代はそういう風なことですよね。でも、じゃあ、金学順さんは何だったんですか。慰安婦だったんですか。慰安婦だったんでしょう、阿比留さん」

阿比留「おそらく慰安婦だったんでしょうね」

植村「で、金学順さんは強制連行で慰安婦になったんですか」

阿比留「それは分かりません。強制連行、先ほど一番最初に、広い意味でいうのと、狭い意味と」

植村「狭い意味もね。いわゆる人(狩り)。この日本軍が連れて行ったという産経新聞の報道的なものですよね。産経新聞のこのね。これは、(事実)じゃないと思っている? と、思っているよね?」

阿比留「(事実)じゃないと思います」

植村「じゃ、(事実じゃ)ないと思ってるよね。じゃあ、何なんですか。つまり、僕はだまされたというふうに本人が言いましたよ、という風に書いているんだけれども、じゃあ、阿比留さんは金学順さんを何だと思っているんですか」

阿比留「いや、慰安婦ですね」

植村「慰安婦で。慰安婦で、どうやって慰安婦になったと思っているんですか」

阿比留「親に売られてて」

植村「親にどこに売られたんですか」

阿比留「まあ、養父とされる人間に預けられた段階で、もう母親に売られているわけですね」

植村「で、キーセン(妓生)の学校ですよね。キーセン」

阿比留「ええ」

植村「阿比留さん、キーセンって何かご存じですか」

阿比留「芸妓(げいこ)、芸子。まあ、いわゆる…、植村さんは芸者という言葉を使われましたけども、芸者というのも実は簡単な意味じゃありませんけれどもね」

植村「うーん」

阿比留「それに、芸者とは、必ずしも一致しないかもしれませんが、いわゆる遊芸を売ったり、場合によっては春をひさぐこともあるような」

植村「う~ん」

阿比留「いろんな人を含めていっているのでしょうね」

植村「金学順さんは、キーセン学校のとき売春婦だったんですか。その意味でいうと。春をひさぐ」

阿比留「さあ、ただ、売春婦にする目的で、その養父が育てた可能性はありますが、そこまでは…」

植村「可能性でしょ」

阿比留「そこまでは分かるわけないですよ」

植村「分からんでしょ。じゃあ、金学順さんがどうやって、どういう経緯で慰安婦にされたんですか。人身売買ですか」

阿比留「まあ、人身売買が発端でしょうね」

植村「人身売買で、誰に売られたんですか」

阿比留「最初は母親ですね」

植村「いや、母親が誰に売ったんですか」

阿比留「だから養父にですね」

植村「で、養父は誰かに売ったんですか」

阿比留「そのへんははっきりしません。何かいろいろ…」

植村「なのに何で、それが人身売買というんですか」

阿比留「最初に母親に、もう養父の男に40円で売られたと自分で言っているわけじゃないですか」

植村「だけどそれが、それが、慰安婦になった理由ですか」

阿比留「発端でしょうね」

「僕は慰安婦担当ばかりやっていたわけではない」

植村「そしたら、この産経新聞(平成3年12月7日付の大阪本社版記事)は日本軍に連行されたと言っているんですよ。で、当時、金学順さんは最終的な法廷の陳述でも、そういうふうに言っているんですよ。何が真実か、私が間違っていて、あなたが合っているんですか? 言えないでしょう。結論でいえるのは、金学順さんが意に反して慰安婦にされて、いやだと言っていることが僕は問題だと思うんだ。そこは、阿比留さんと見解が違うかも分からんけれども」

阿比留「慰安婦という境遇に置かれた方の中で、嫌な思い、あるいはその境遇自体が嫌だと思った人がたくさんいることは当然だと思うし…」

植村「はい」

阿比留「同情もします」

植村「うんうん」

阿比留「同情だけじゃなくて、真摯に受け止めたいと思いますが、一方で、なぜ今、世界で日本が、日本だけが悪者にされているのかということは…」

植村「じゃあね、金学順さんが、どういう人だったんですか。ぼくは金学順さんのことしか、ま、ほかにも何人か書いているけれども、基本的に僕は強制連行の慰安婦に会ってないから。だまされた、と書いているんだけども。それをいうとまあ、原川さん、これ記事みた? どっかの記事に言ってたと思うんだけども、ま、要するに、もう一人の人も、これもだまされているんですけれどもね。だまされたようなケースで僕は書いているんだけれども。あの~、それのどこが問題なんですか。僕が強制連行って金学順さんのことを伝えたんですか」

原川「いや、私は当時むしろ、まだ学生でしたから、それこそ、この慰安婦のこと、特に金学順さんのこと、当時は匿名でしたけども、初めて書かれた植村さんですし、署名記事は2本とはないとはいえ、いろいろ、この…」

植村「あ~、それは90何年頃ですか。この記事が出た頃?」

原川「いや、だから、その時は、大学生ではないですね、中学生ですね。つまり、その私は当時、(金学順さんに)アクセスすることはできなかったし、この記事を果たして認識していたかといえば、ダイレクトに認識していなかったかもしれません。ところが金学順さんの記事を署名記事で2本、書かれている植村さんだから、もっと金学順さんのことをいろいろ取材されているのかなと思って」

植村「うんうんうん」

原川「いろいろ、金学順さんの記事に出ていないことを聞けるかな、と思ったんですけれども」

植村「いや、そんな、だから、書いているしかないです。僕はだから、慰安婦担当でそればっかりやっていたわけではないということですよね。で、金学順さんの証言について知りたければ、後で僕がコピーでもあげますが、法廷証言なんかがありますので。そこではキーセン学校が一体、どんなものだったのか、とかいう…」

<詳報(8)に続く>

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