【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(2)】「『強制連行』僕は使っていない」
朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)が初めて産経新聞のインタビューに応じた。インタビュー詳報の2回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。
「『連行』を強制連行の意味にとる?」
阿比留「もう一つ付け加えるならば、植村さんの記事は朝日新聞が(韓国女性の強制連行を証言した唯一の日本側証人、自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長)吉田清治氏を取り上げ始めた後に出ておりますので、吉田氏が強制連行したという対象、まあ、似たような、吉田氏がやったとはかぎらないにしても…」
植村「うん、吉田清治さん、なるほどね」
阿比留「その当事者がとうとう名乗り出たかというふうに受け止められる可能性はあるわけですね」
植村「ということは吉田さんが金学順さんを連行したという…」
阿比留「いや、そういう意味じゃなくて、そういうふうに吉田さんが、もし本当に強制連行したなら個人だけじゃなくてほかに似たようなことをやった人がいるということになりますので、その誰かがということですね」
植村「連行のところ、まあこれからまたちょっと議題全体でいいんですけど。例えばね、産経の正論の筆者の西岡(力・東京基督教大教授)さんという人が、連行という言葉について、ここにこういうふうに書いているんですよ(論文集の中を示して読み上げる)『朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受けとめてしまった』とある。この場合の連行というのは、原川さんどういう意味ですか。強制連行の意味ですか」
原川「まあ、強制連行、まあ先ほど阿比留も申し上げたように『連行』という言葉自体が、強いる、本人の意思に反して、どこかへ連れて行くという意味がありますから、ま、あの、強制連行というか、ま、あの、どこかに連れて行かれたんだろうなと…」
植村「だから僕もどこかに連れていかれたんだろうかなという、原川さんと同じ考えで使ったんですよ」
阿比留「でも『戦場に連行』と書かれています」
植村「これはどうですか。じゃあこの(西岡氏の論文中の)『連行』というのは強制連行の意味にとるんですか」
阿比留「これはしかし、個別具体に見ないとこれだけじゃちょっと分からない」
植村「分からないけれども、これは金学順さんの話ですよね」
阿比留「うん。あっ、この西岡さんが書いているもの、そのものがという意味ですか」
植村「うん、そうそう、連行の部分の…。つまり、連行というのは僕は連れていかれた、原川さんと同じような意味ね」
阿比留「それは西岡さんに直接聞いていただかないと、無責任に答えるわけにはいかない」
「挺身隊が慰安婦の意味で使われていた時代が長かった」
植村「なるほどね、分かりました。じゃあ最後に、始まる前にアジェンダ設定。『強制連行の被害者と読める書きぶりだった』とあるんですけど、私は何回も繰り返しているから阿比留さんももちろんご存じだと思うんだけど、だまされたって書いてはいるんだけど、これってやっぱり強制連行の被害者と読める書きぶりと、阿比留さんは判断される」
阿比留「やはりリード(前文)を読むとですね、『女子挺身隊の名で戦場に連行された一人が』と書いてありますので、これは強制連行というふうに普通、読めるんじゃないかなと思います」
植村「読めるんじゃないかなと。もう一つ質問させてほしいんですが、強制連行って、僕は使っていないと言うんだけど、阿比留さんはずっと強制連行だというふうに言ってる。ところで強制連行って書いたらまずいんですか」
阿比留「強制連行? まあ、主語が問題ですよね」
植村「まあ、主語というか、普通、『強制連行』とよく書きますよね、日本の新聞はね。金学順さんは、僕は強制連行と書いたつもりはないんですよ。だけど阿比留さんたちはいつも強制連行の被害者うちの一人と。じゃあ僕がもし仮に強制連行と書いていたとしてなんか問題があるんですか」
阿比留「要するに、ここが植村さんと後で話をしようと思ったんですけれども、要は主体がですね、軍や官憲による強制連行であるか、あるいは民間の業者や、女衒その他もろもろが無理矢理引っ張っていったと。無理やり引っ張っていったのを強制連行という言葉を使うとするとそれも強制連行になるんでしょうが。主語、主体が誰によるかによって全然話が違ってくると思っているんですね」
植村「なるほどね。全然話が違ってきて、そうすると、何が、軍が主体だったら強制連行、事実じゃないとかそういうこと」
阿比留「そうですね」
植村「ん~。民間業者は強制連行じゃないと」
阿比留「民間業者のことは、一般的に強制連行という言葉を使うかどうか分かりませんが、強制連行とまあ、仮に言っても構わないと思いますけども、一般的には使っていないですよね」
植村「軍がやる?」
阿比留「軍や官憲ですね。官憲というのはこの場合は主に警察を指しますね」
植村「なるほど。で、私の記事も軍や官憲が強制連行したみたいな書きぶりだったというふうに解釈された?」
阿比留「最初の女子挺身隊の名で戦場に連行され、と書くと、軍や官憲が主体であろうと普通は考える。それは植村さんの意図がどこにあったかは、これから、後で話していただければいいんですけど。そう読み取れるということです」
植村「そうするとやはり金学順さん、軍や官憲じゃないのにあれを書いたから強制連行と読める書きぶりだったというふうに書いているわけだね」
阿比留「まあそれもね、実は(本の記述は平成26年9月11日の木村伊量前朝日新聞社長の記者会見の)全文(掲載)じゃなくてちょっと縮めてるからそうなっている部分もあると思うんですけどね…」
植村「だけど縮めているったって僕はこれしか読めないからね。そしたら、ほかの新聞も強制連行といっぱい書いているんですよ。これね。阿比留さん、資料集(植村氏の支援団体作成)を見ていただければ。当時、まあいっぱい書いているの。それでね、後でゆっくり見といていただければと思いますが…。参考メモで、『挺身隊=従軍慰安婦』という図式で。まあ、見ていただくと当時、多分、阿比留さんはご存じだと思うんだけど、女子挺身隊とか挺身隊が慰安婦の意味で韓国で使われておった時代が長かったんでね。まあ、それはちょっと参考なんですが」
「(産経の報道は)間違っている?どこが間違っている?」
植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?(平成3年12月7日付の産経新聞大阪本社版記事を示す)」
阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」
植村「間違っている?」
阿比留「はい」
植村「間違っている?」
阿比留「間違っていると思いますね」
植村「どこが間違っているんですか?」
阿比留「『日本軍に強制的に連行され』」という(部分)」
植村「これは産経新聞の記事ですね?」
阿比留「だから、うちが間違っているんですね」
植村「訂正かなんかやられたんですか」
阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」
植村「これ、間違っているんですか」
阿比留「間違っていると思いますね」
植村「2回も書かれていますね?」
原川「別の記事ですか」
阿比留「これですね。この部分のことを言っているんですか」
植村「いやいや、その日本軍に…」
阿比留「あっ、こっちか」
植村「日本軍に強制的に連行、とありますよね」
阿比留「うん。間違っていると思います」
植村「間違っている! これは『金さんが17歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた』というのを書いた12月7日の産経新聞大阪版。これは金学順さんの記者会見の時の取材で書いていますね。これ間違っている?」
阿比留「うん」
植村「間違っている? これはね93(平成5)年8月(31日付の産経新聞大阪本社版)の記事。(記事を読み上げる)太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。『お前たちは朝鮮人か。スパイだろう』。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた」って出てるんですけど、これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」
阿比留「間違いですね」
植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」
原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べられるか。これはちょっと日付をメモさせてもらって」
植村「いや、あげます。調べて、間違いだったらそれがどうなのか、どうするのかも含めて知らせください。歴史戦というのは、もし歴史戦を皆さんがやっておられるんであれば、たぶん真実のためにやっておられると思うんです。皆さんがね。であれば、先ほど間違ったとおっしゃったことに対しても、謙虚に向かうべきだと思います」
阿比留「そうですね」
「日本のジャーナリズム史に残る取材だ」
植村「阿比留さん、やっぱり今回の取材というのは日本のジャーナリズム史に残る取材だと思うんです。なぜならば、やはり阿比留さんがこういうふうな形で、私はだまされて慰安婦にされましたと書いているにもかかわらず、強制連行の被害者と読める書きぶりだったというようなことで本を出されている。僕は非常にそれによってやっぱり迷惑をこうむっている。
僕はだから言論戦できちっと今日、説明しますけど、それと同時にあなたたちの会社、そしてあなたたちの言動もまた歴史に検証されるということを理解していただければと思います。今回のインタビューは、私も発表させていただきます。そういうことであります。じゃあ、あの、長々としゃべりましたけれども。ちょっとじゃあ、阿比留さんどうぞ」
「(証言テープは)持っていない」
阿比留「まずですね、(昨年12月発売の)文芸春秋に発表された手記の中でですね、平成5年8月11日付の初報の記事(※植村氏の署名記事。「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。-中略-尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。-中略-中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」と記述)ですね。これは、『テープを聞いた日のことはいまでも忘れられない』と(手記に)書かれているのですが、(元慰安婦と最初に名乗り出た金学順氏の)証言テープというものは今どこにあるんでしょうか」
植村「あ、これはもちろん僕は持っていません。それはだって、韓国挺身隊問題対策協議会のテープでありまして」
阿比留「持っていないわけですね」
植村「持ってないです」
阿比留「つまり、聞いたのはその時一度だけということでしょうか」
植村「そうですね。はい」
阿比留「そうすると、あまり細部のことは、記事にした以上のことは明確に覚えていない部分もあるということになりますか」
植村「そうですね」
阿比留「それでですね、私ども、ちょっと不思議なのはですね、誰とも分からない、挺対協が出元とはいえですね、誰とも分からない、名前も分からない、証言テープだけですね、しかも1回聞いただけでですね、このような記事にできるものかなあと不思議なんですね」
植村「うーん、なるほどね」
阿比留「記者の作法としてですね」