ラーメン店:壁に格言、店主腕組み…うまいが落ち着かない
毎日新聞 2015年09月03日 18時56分(最終更新 09月03日 19時00分)
夏が過ぎ、朝晩に肌寒さを覚え始めると恋しくなるのがラーメン。中華料理屋や屋台に漂うほかほか湯気を想像すれば、おなかが鳴ってしまう人もいるはず。でもそんな素朴なラーメン屋はどこへやら、最近は「ラーメンは人生」といった格言のような言葉を掲げたり、コワモテの店主が腕組みしてにらみをきかせたりする店が増えたような……。確かにおいしいのだが、ラーメンって、そんな食べ物だっけ?【吉井理記】
◇コワモテ系「作品」に意気込み
「ラーメン好き?」と聞かれれば「嫌いじゃない」と返す程度の記者が言うのもなんだが、どうも最近は店に入るのが気が重い。いやコワい。
東京都内のある有名店は、紺色のTシャツ、頭にタオルを巻いて腕組みをする店主の写真がドーン。あごひげがマッチョ感を倍加させる。店内は暗色系の「和」の重厚なたたずまい。店員はそろいの紺Tシャツ姿だ。うならせる味だが、緊張感があって落ち着かない。
先日、ふらりと入った別の店は「味を損ねますのでコショウは置いていません」「麺が伸びるので新聞等を読みながらの食事、写真撮影は禁止」との張り紙があった。スポーツ新聞を眺めつつラーメンを、と思っていたからしょんぼり。追われるように慌てて麺を詰め込んだ。
これらの店は大体、ラーメン店とは呼ばないらしく、店名は「麺屋〜」「麺処〜」とか。画数の多い難しい漢字の店名も多い。おやじさん、おかみさんが切り盛りする店で、野球中継とビールをお供にすするラーメン……というような心落ち着く風情はどこに行ったのだろう。
「僕はコワいと思ったことはありませんが、近年、ラーメン店が様変わりしたのは事実ですね」。ラーメン激戦区、東京・中野。ある有名店に誘ってくれたのは「ラーメン官僚」としてメディアに引っ張りだこのラーメン通、田中一明さん。取材日の一杯が、今年478杯目である。
名物の「煮干し中華そば」を注文した田中さんが解説する。「昔ながらのラーメンのダシは鶏ガラや豚など動物系素材でした。ところが1996年ごろから煮干しなど魚介系素材からもダシを取る店が現れ、従来にない多彩な味を生み出して急速に広がり、店のあり方も変えました」
動物系スープは煮込んでも味があまり劣化せず、管理が比較的簡単なので店主が調理を店員に任せられた。一方、アジやイリコなどを組み合わせる魚介系スープは複雑な味を生むが、扱い方や煮込み時間を誤ると味が激しく劣化する。店主が常に目を光らせる必要がある。このため、営業時間も限られ、駅近くなど人通りの多い場所に出店しなければ商売が成り立たない。
すると「女性客や家族連れなど客層を広げなければならない。だらしなさが残る店は敬遠されるので、店舗間の競争に勝つために緊張感や清潔感が必要になる」。その緊張感を象徴する道具立てが、そろいのTシャツやバンダナであり、重厚な和風内装なのだ。
腕組みもこれに近い。魚介系スープは味に個性が出る。調理も難しく、店主は「師匠・親分」的な立ち位置になる。そこで腕組み、というわけだ。「そういう店は内にも厳しいが、客にもモラルを求めるから食べ方にもうるさくなる。お、来ましたね」
油の玉が細かく光る黄金色のスープ、香ばしい煮干しの匂い、白い太麺、やわらかいチャーシュー。二人、夢中で麺をずずっ−−。
そういえばこの店の店員も、そろいのTシャツ姿で、内装も重々しい。でも店主が店内をにらみ回すこともない。コショウもあるし「食べ方指導」もない。「コワい店ばかりじゃありません。最近はコワモテ店主を嫌う人も多い。スマホの普及で店の批判がすぐネットで広がりますから」
そもそもコワいと思わせる緊張感ある店が増えたのも、ネットが一因らしい。「お客さんというか、世の中が全体的に潔癖志向になって店に高いモラルを求めるようになった。そうでない店は批判されるんです」。うなずきながら話を聞くうちに、スープ一滴残さず平らげた。
ラーメン通以外からはどう見えているのか。社会学的な視点でラーメン店の変化に注目した著書「ラーメンと愛国」などで知られるフリーライター、速水健朗さんを訪ねた。「『和のイメージ』、つまり伝統回帰的、国粋主義的色彩を帯びているのが最近のラーメン店の特徴です。僕は店主や店員が作務衣(さむえ)やそろいのTシャツを着る店を『作務衣系』と呼ぶのですが……」と切り出した。
最近の有名店の店主は、90年代のバブル崩壊後の就職氷河期世代と重なる人が多い。この時代、不況とグローバル化の波が押し寄せる中「Jポップ」「J文学」という言葉に代表されるように「日本的なものを取り戻す」という雰囲気が広がった時期である。中国由来の食べ物なのに、日本的な職人・芸術家風を装う「作務衣系」の増加は、ラーメン業界に根付く実力主義・職人気質の反映に加え、日本回帰を好むような時代の空気感も背景にある、と見ることができるというのだ。
「今やラーメン店は腕一本で成功する可能性が開ける数少ない業種です。立志伝中の人って往々にして人生訓が好きだったりするでしょう。有名店の壁に『人生は自己表現、ラーメンは俺の生き様、人生』といった人生訓や詩が書かれるのもそれに近い。ラーメンは作品、という意気込みもあるのでしょう」
「ラーメン考」で最後に味わったのが東京都心の、とあるJR駅近くに出ていた屋台。最近さっぱり見かけなくなった屋台を引くのが東北地方出身の大将(58)で、いわく「屋号なんて大それたものはないよ」。ここで屋台を出して3年。それまでの12年ほどはJR池袋駅(東京都豊島区)で屋台を引いていた。
「いろいろあって東京に出て屋台を、ね。最初は新宿の屋台でしばらく修業させてもらって一本立ち。東京五輪が関係しているのか、ここ数年、警察の取り締まりが厳しくて池袋じゃ商売できなくなってねえ……」
外は雨。屋台に備え付けのカセットデッキから浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」が流れる。ビールを飲み、シンプルなしょうゆ味のあつあつをずずずっ。ここも時折、住民の通報で警察が駆けつけてくるらしい。「ま、何とか食うことはできているから、恨み言は言えないさ」とゆで卵を一つ、サービスしてくれた。
コワモテのカリスマ職人の手による一杯も、もちろんうまい。でもしばらくは、この屋台に通いたいと思わせる味だ。その理由を考えながら家路についた。