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 広島で被爆し、京都で亡くなったマレーシア人留学生がいた。サイド・オマールさん。その死から70年がたち、命日にあたる3日、墓のある円光寺(左京区)で関係者らが集まり、平和への願いを込めて墓前で手を合わせた。

 オマールさんは1943年、日本が東南アジアの国々から集めた「南方特別留学生」の1人として来日した。45年8月6日、広島文理科大(現広島大)在学中に原子爆弾が投下され、被爆した。終戦後、帰国のため汽車で東京へ向かう途中、体調が急変。京都で下車して病院で治療を受けたが、放射線による健康被害が原因で帰らぬ人となった。

 亡くなった地に墓を建てるというイスラムの教えにのっとり、遺体は市営大日山墓地(左京区)に埋葬された。しかし、当時は2本の棒を立てただけの簡素なものだったという。61年の命日、墓は市民らの協力で円光寺に移され、以後、法要が続けられている。