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 20年前の9月4日、沖縄県で少女が米兵3人に暴行される事件が起きた。県民の怒りが燃え上がり、日米両政府が米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の返還に合意する契機となった。しかし、今も普天間は返らず、米兵犯罪は後を絶たない。沖縄が抱える「痛み」は変わらないままだ。

 20年前、県副知事だった東門(とうもん)美津子さん(72)=沖縄市=は県庁へ向かう途中、ラジオを聞いた職員から事件を伝えられた。「またか」。4カ月前には宜野湾市で20代の女性が米兵に殴り殺される事件が起きたばかり。登庁すると、目を赤くした女性職員が手を震わせていた。

 戦後27年間、沖縄は米軍の統治下に置かれた。米兵の性犯罪は繰り返され、中学生だった1955年には、近くの街の少女が米兵に暴行されて殺された。

 副知事室の電話は鳴りっぱなしになった。県内の女性団体がまとまり、米軍や日本政府への抗議に動いた。事件の翌10月に県民大会が開かれ、主催者発表で8万5千人が集まった。

 「軍の支配で傷ついてきたのは、力の弱い女性や子どもたち。みんな気づいたんです。日本に復帰しても沖縄の状況は何も変わっていないと」。沖縄の声に押され、日米両政府は普天間飛行場の返還に合意。だが東門さんは、その後は県外の共感が薄れていくのを感じた。