ケント・ギルバート(米カリフォルニア州弁護士、タレント)
雑誌正論5月号に掲載された近現代史研究家、関野通夫氏による「米占領軍の日本洗脳工作『WGIP』文書、ついに発掘」を興味深く読みました。早速、関野氏が執筆された「日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦」(自由社ブックレット)も購入して読みました。今さらながらGHQが行ったWGIPの猛威を痛感します。
GHQによる占領は7年間に過ぎません。日本はサンフランシスコ平和条約を締結し、形のうえでは独立国の主権を回復しました。ところが戦後70年経った今でも日本人のマインドコントロールはほとんど解けていない。それが様々な分野に悪影響を与えています。
私は40年近く日本に住んでいます。最高に住みやすいし、長く住むほどに日本の皆さんが羨ましくなります。日本に生まれた人はなんと幸せかと思います。東京は世界一の都市です。料理、芸術、文化、治安。どれを採っても最高ですし、何より全てが清潔です。また、素晴らしいのは日本に住む人々です。礼儀正しく、真面目で、働き者。思いやりがある人が圧倒的で、初めて会ったにもかかわらず、すぐに信頼しても大丈夫という人々で溢れている先進国は日本だけです。
それなのに、日本人は世界で最も不幸な国民でもあると思います。第二次世界大戦の敗北以来、70年間も「愛国心」を持つことに罪悪感を抱かされてきたからです。日本の過去を悪い歴史だと漠然と捉え、「反省とお詫びをしなければならない」「謝罪こそが重要だ」と根拠なく感じているのです。贖罪意識を抱え、戦争をどのように捉えるか内外から責められ、日本人が大切にしてきた誇り高き精神は大きく歪められたままです。
それらがWGIPに端を発することはいうまでもありません。しかし戦後の政治家と教育界、そしてマスコミにも大きな責任があると言わざるを得ない。米国による日本人の「精神の奴隷化」を放置し、GHQが去った後も、それを強力に推進しながら今日に至っているからです。
今と全く同じじゃないか!
関野氏の著作に終戦直後の1945年9月に定められた正式名称「日本に与うる新聞遵則」(通称「プレスコード」)に規定された30項目があります。私はこれを見てぎょっとしました。順番に読んでみて下さい。
(1)SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判(2)極東国際軍事裁判批判(3)GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判(4)検閲制度への言及(5)アメリカ合衆国への批判(6)ロシア(ソ連邦)への批判(7)英国への批判(8)朝鮮人への批判(9)中国への批判(10)その他連合国への批判(11)連合国一般への批判(国を特定しなくても)(12)満洲における日本人の取り扱いについての批判(13)連合国の戦前の政策に対する批判(14)第三次世界大戦への言及(15)冷戦に関する言及(16)戦争擁護の宣伝(17)神国日本の宣伝(18)軍国主義の宣伝(19)ナショナリズムの宣伝(20)大東亜共栄圏の宣伝(21)その他の宣伝(22)戦争犯罪人の正当化および擁護(23)占領軍兵士と日本女性との交渉(24)闇市の状況(25)占領軍軍隊に対する批判(26)飢餓の誇張(27)暴力と不穏の行動の扇動(28)虚偽の報道(29)GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及(30)解禁されていない報道の公表
これは当時、こうした内容を取り扱ってはいけないと、報道機関に規制対象を命じたリストです。GHQはWGIPを進めるに当たって、自分は表に出ないで日本のメディアを使いました。30項目を見ると「今も全く変わらないじゃないか」と言いたくなります。今のメディアの意識と寸分違わないことに驚きました。
先日、安倍首相が訪米され米議会で演説をしました。日米を「希望の同盟」と位置づけるよう呼びかけた意義ある内容でしたが、日本のメディアの関心はもっぱら日本が大東亜戦争を反省するか、お詫びの文言が盛り込まれているか、という点に向けられていました。日本の「反省度」こそが問われるべき点である、謝罪を明示的に表明することが正しい、という前提に立った報道が多かったと思います。
かつて森喜朗元首相が「日本は神の国」と発言したときもそうでした。マスコミは大騒ぎしましたが、果たして何がいけないのか、さっぱりわからない。プレスコードには神国日本の宣伝が禁止されています。そこに正面から抵触するからでしょう。日本を褒めることなど絶対許されませんし、まして日本を「神の国」と称するなんてとんでもないという理屈でしょうか。未だに日本のメディアのメンタリティーは、GHQの洗脳と命令を唯々諾々と受け継いでいると言わざるを得ないのです。
ナショナリズムの宣伝もダメです。今でも国旗国歌に対して多くの教職員が斜に構えた態度を取っています。メディアも愛国心の養成が、軍国主義思想に直結するかのような報道ぶりです。「愛国心の重要性には決して触れられない」「いや触れてはならない」という心構えが正しいと、彼らは今も本気で考えているのです。
大東亜共栄圏の宣伝も禁止されました。日本人は大東亜戦争という戦争の正式名称を奪われ、太平洋戦争と呼ぶよう強制されたのです。今では先の戦争を学校もメディアも「太平洋戦争」と当たり前に呼んでいます。経緯を何も知らないから、そのことに疑問すら抱いていません。
しかし、これはアメリカが名付けた戦争の名称です。日本の先人は太平洋戦争を戦ったのではありません。大東亜戦争を戦ったのです。今でも大東亜戦争という本来の名称を持ち出せばメディアから「軍国主義につながる、けしからん」と袋だたきにあうでしょう。過ちを肯定することになるから、賛美することにつながるから、あるいはそう批判されるからと、大東亜戦争という呼称を使うことに躊躇する人は大勢いるでしょう。自己検閲が入るのです。