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宅見 勝 (1936年06月22日~1997年08月28日)

1939年神戸市の洋装店の三男として誕生

幼年期に父を少年期に母を無くし縁者を頼り転々とした
(香川県大野村~大阪府北河内郡田原村)
(三重県伊勢市~大阪府)等、諸説あり
1953年大阪府立高津高等学校中退後、

和歌山県に移住、那智勝浦漁港や和歌山市内で暮らし
同じ歳の女性と結婚後、共に大阪に移住する

1959年に大阪の独立組織土井組川北組の若衆となった
(昭和初期、土井熊こと永田熊吉が結成、大阪市住吉区)
(三代目河合貞行が河内長野に移転後、1983年解散)
(河合貞行、二代目難波安組長 小林治、中野組長 中野雅美は兄弟分)

1960年川北組若頭に昇格。1962年川北組は西成区の
菅谷組(菱と別系統)と抗争、大量検挙を招き川北組は解散。

1963年、旧「南道会」八人衆筆頭であった、
福井英夫が率いる、三代目山口組福井組の若衆となる
1967年福井組若頭補佐に就任。同時期、三重県鳥羽市に
三代目山口組福井組内宅見組を結成
1970年福井組若頭に就任。大阪に事務所を移転

1971年、山本健一が三代目山口組若頭に就任。
宅見勝は従兄弟の縁故を通じ山健への橋渡しを依頼した

1978年三代目山口組福井組若頭の宅見勝は
三代目山口組若頭、山本健一組長(初代山健組)の推挙を得て
三代目山口組直参に昇格し、三代目山口組宅見組となる。
同時に小田秀臣本部長を補佐し、会計に就任した

この頃、大阪市南区玉置町のクラブ朱雀で木本絵里子と出会う
(西城秀樹の実姉)1979年二人の間に男子が誕生(宅見将典)
絵里子には4歳の女の子(宅見まり)がいた。1982年宅見は
父方の伯母と養子縁組させ、絵里子に宅見姓を名乗らせた。