このたび、
オリンピックエンブレムが取り下げという事で一つの区切りがついたのかなという状態ではありますが、今回の組織委員会の説明に、一般国民というキーワードがとにかく多かったことが気になるところであります。
https://www.youtube.com/watch?v=Xd2bmMrk9ss私個人としては、模倣か模倣でないかについては、最終的に「模倣しただろ!
このたび、
オリンピックエンブレムが取り下げという事で一つの区切りがついたのかなという状態ではありますが、今回の組織委員会の説明に、一般国民というキーワードがとにかく多かったことが気になるところであります。
https://www.youtube.com/watch?v=Xd2bmMrk9ss私個人としては、模倣か模倣でないかについては、最終的に「模倣しただろ!という人」と「模倣ではありませんという人」の問題であり、その点についてちゃちゃを入れるつもりはありません。あとは裁判で決めていただければと思うところです。
現状では、突然「君、窃盗の容疑あるからと言われ、それが原因で仕事を失い、誹謗中傷をうけている段階」であって、シロクロ決着がついていない限りは、痴漢冤罪となんら変わらないですよね。
で、実際私が気になっている点は、デザイナーと一般国民の違いについてです。
デザイナーって、デザインの理由を語れます
決定的な違いについて、結局のところ私が知っているデザイナーさんのほとんどが、
デザインについて明確な理由を、他者に言語や文章として伝えることができるという点ではないかと思います。このデザインがなぜ良いのか、なぜこの色を使ったのか、どうしてこの形になったのか。
こうしたデザインにおけるプロセスを、1からきちんと話せる人がデザイナーであって、一般庶民との大きな違いです。
つまり、デザイナーはクライアントの要望から、プロセスを踏み、そしてなぜその形に、色になったのかを説明できます。
デザイナー達は、それぞれ作成したロゴやエンブレムが3つ4つあれば、それを酒のつまみに朝まで語らえると思います。
もしあなたが、フィーリングによってでしか作れなかったとしたら、例えたまたま完成した偉大なデザインがあったとしても、それはデザインとはよべないので、次に作るときもまたフィーリングによって作るでしょう。
つまり、フィーリングは他者を介さないあなたの表現であって、きっとそれは、アートと表現してもいいかもしれません。
そこにきて、今回の組織委員会の説明における、「一般国民の理解を得られない」という言葉のオンパレード。
1時間半の間に、何回「一般国民にはわからないが専門家はわかる」という言葉を使ったことか。