関東軍は民間人を捨てたのか? 『妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義
『妻と飛んだ特攻兵 8・19の満洲、最後の特攻』という題名に、いくつかの状況を連想した。しかし、残念ながら、私の想像力では、この本に書かれた事態に思い至ることはできなかった。大きなヒントは、“8・19満洲”と大きく書かれているのに。なのに私ときたら、「『妻と飛んだ・・・』? それじゃ、心中と何が違う?」などと・・・。
8月9日からの満洲、15日を経て、19日までの満洲。たった10日間の間にこの満洲でおこったことが、二人に決意をさせた。彼らがいなかったら、総体としての関東軍は蒋介石の軍と何ら変わりない。彼らがいなかったら、総体としての関東軍は・・・、言い難いが、“ゴミ”だ。そりゃ、言い難いこともあるだろう。でも多くは鬼籍に入ったし、もうそろそろ語りましょうよ。
宣戦布告 8月8日の布告された、ソ連の対日参戦理由
ソ連進行に対する関東軍の作戦計画
『孫達への証言』より「野獣の館」
谷藤徹夫は、会津藩士の流れをくむ。彼の数代前の先祖が、会津亡国の悲哀を味わっている。薩長兵の暴虐もひどかったが、それすら甘く思える満洲の悲劇。
どんなことがあっても避けなければならないのは、戦争ではない。戦争に負けることだ。あるいは、負けたも同然に成ることだ。
一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
8月9日からの満洲、15日を経て、19日までの満洲。たった10日間の間にこの満洲でおこったことが、二人に決意をさせた。彼らがいなかったら、総体としての関東軍は蒋介石の軍と何ら変わりない。彼らがいなかったら、総体としての関東軍は・・・、言い難いが、“ゴミ”だ。そりゃ、言い難いこともあるだろう。でも多くは鬼籍に入ったし、もうそろそろ語りましょうよ。
『妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義 (2013/06/08) 豊田 正義 商品詳細を見る ある者は許嫁の自決を見届け、ある者は恋人を連れ、そして谷藤徹夫は妻を乗せ、空に消えていった。 |
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ソ連進行に対する関東軍の作戦計画
国境守備隊の大苦戦の様子は、逐一、関東軍総司令部に打電されていた。しかし、総司令部の指示で援軍が派遣されることはなく、むしろ国境警備隊の背後に控えていた部隊に撤退の命令が出た。最前線の国境警備隊だけが時間稼ぎのために切り捨てられた。 ソ連進行前に立案された満洲防衛計画によれば、東部山岳地帯に戦線を縮小し、持久戦に持ち込むとするものであった。実際にソ連軍が侵攻してくると、新京を頂点として大連・図們を結ぶ三角形を「防衛戦」とし関東軍部隊を要所要所に集結させた。 満洲全土の四分の一に当たる防衛戦の内側の地域は、満州国の中枢部であり、朝鮮半島への入路でもあった。総司令部はここを守るため、全戦力で徹底抗戦する作戦を立てた。持久戦に持ち込んで時間を稼ぐうちに講和に持ち込むことが狙いである。 しかし、この作戦が実行されるためには、必ず事前に行わなければならないことがあった。総司令部が放棄すると決めた防衛戦の外側、満洲全土の四分の三にすむ日本人居留民を防衛戦の内側に避難させることである。しかし、関東軍は、kの措置を取らなかった。居留民の避難がソ連軍への誘い水になることを恐れた。あまつさえ、国境守備隊以外の部隊は日本人居留民を残したまま駐屯地を出ていき、防衛戦の方向に撤退した。日本人居留民は、ソ連兵の暴虐にさらされるままとなった。 |
『孫達への証言』より「野獣の館」
〈約二五〇名の四合成開拓団が慶安満洲拓殖公社跡に避難していた時、ソ連兵がやってきて惨劇が始まったという。〉 そのとき、ソ連兵二人がドカドカと入ってきた。それが何を意味するのかわからず、誰もが固唾を呑んで目で追っていた。 “はた”と立ち止まり、一番手近にいた人の肩に手をかけた。「立てっ」という仕草だ。肩にかかった手を振り払うと、二人が銃口を突きつけた。一人が銃の先を跳ねあげて「行けっ」と合図した。 こうして、次々「女狩り」が行われた。私は同じ人間が何度も来るのかと思ったが、そうではなく、入れ替わり立ち代り来たようであった。 明かりはランプがひとつ。奥の方にいる者の顔など見えはしない。手当たり次第、運の悪い者が犠牲になった。 「わしら女のうちではない」・・・狭くて、横になる場所がなく、通路に座っておられた七〇歳に近いおばあさんも、片目義眼で神を振り乱した小母さんも連れて行かれた。 ニ日目の夜が来た。日が暮れるのが恐ろしかった。死ぬことも怖いが、ソ連兵の餌食になることはそれ以上に怖い。「ガタ、ガタ」と床を踏む足音。「ダワイ、ダワイ(命令)」という声。何日も続けば気が狂いそうだった。 時間も場所もわきまえない。空き家に連れ込まれるのは良識がある方。通路と言わず、人前と言わず、至るところで行われた。 幸い、私は遭わなかったが、 「今、そこの通路で・・・」・・・息せき切って報告に来た者もいた。 十八、九の髪の長い、体格の良い娘さんが、二人の兵隊に挟まれ、後ろの兵隊に銃口を背中に突きつけられて、空き家に連れて行かれるところだった。引き裂かれたブラウスが、わずかに肩にかかって、両手で胸を隠すようにして、うなじをたれて歩いていた。 「どうしよう、連れて行かれる。」・・・歯ぎしりするほど悔しかった。 妻が連れて行かれるのを見て、夫が、「やめてくれ」、叫んで立ち上がった途端、「ズドーン」と一発。大勢の目の前でもんどり打って倒れたそうだ。手出しは絶対にできない。ただ、見送っているより仕方がなかった。 |
谷藤徹夫は、会津藩士の流れをくむ。彼の数代前の先祖が、会津亡国の悲哀を味わっている。薩長兵の暴虐もひどかったが、それすら甘く思える満洲の悲劇。
どんなことがあっても避けなければならないのは、戦争ではない。戦争に負けることだ。あるいは、負けたも同然に成ることだ。
一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
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