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菊池哲郎の世相診断

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【インフレ、デフレ】心のありよう示す指標だ(9月2日)

 子どものころ台風が来て大荒れになった翌日、まぶしいような秋晴れになると、近くの農家の人がリヤカーに風で落ちたリンゴを山のように積んで売りに来た。1個5円だったような気がするが、もっと安かったかもしれない。母親がそれを大量に買い込んで、しばらくはそのリンゴが毎食ご飯代わりになった日々を思い出した。おじさんの紙芝居も5円払って水あめをもらってなめながら見ていた記憶が、結構鮮明に残っている。
 モノの値段は非常に分かりやすく目に見えることだった。それから世の中は日に日に変わり、氷の冷蔵庫、絞るのは腕力でローラーを回す洗濯機、白黒テレビなどへと電化時代がやって来て、身の回りは商品だらけになっていき、「物価」なるものをニュースを通して意識するようになっていった。そしてモノの値段が必ず上がる「インフレ」なる事象が当たり前となる。何でも早く買わないと値上がりする。消費ブームと裏腹だ。そのうちインフレ退治が世の中の主要テーマになっていった。大変だがそのインフレが世間を活気づけ、景気の良さの象徴だった。その集大成がバブルだ。
 そんな時代が終わってモノの値段は下がりっ放し、バーゲン、値下げが常識となり、値上げでなく値下げ競争が世の中の主流になってからもはや四半世紀がたつ。デフレの時代だ。待っていれば安くなるのが常識となった。それも悪くないが、どうも先行きが明るく見えない。デフレとは人々の心を支配し定常化・停滞・後ろ向きにさせる。単に物価のことではなく元気が出ない風潮を指すのだ。
 インフレ、デフレはあたかも物価の上下を指すような扱いをしているが、間違いだ。物価などよりも人々の心のありようを示す指標としてより重要なのだ。それが統計家さんや経済学者やエコノミストや株屋さんの専門用語のまま、はびこっている。消費者物価指数(CPI)はそうした生活実感を省いて抽象化し、結果として銭もうけのネタになっている。
 「物価」が0・2%上がったの下がったのと精密さを誇っているように見えるが、まず日々の買い物で最大の野菜やお肉、魚、果物など生鮮食品は入れない。最大の楽しみの夕方の食品割引も、季節ごとのバーゲン、大売り出しもカウントされない。そのくせ払っていない自宅の家賃なるものを架空計算してそれを全体の2割近いウエートで算入し、実生活とはかけ離れた統計なのだ。
 そもそもこの世に実在しない「物価」なる数値が鼻くそほど上がった下がったと騒いで、その対応として金利が下がる上がると自分らの銭もうけのネタにしているだけだ。全然間違っている。デフレは物価や経済の用語ではない。%などで測れない人々の心の持ちようなのだ。生活からかけ離れたプロだけの数値にだまされてはいけない。
(元毎日新聞社主筆・福島市出身)

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