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三食昼寝無為徒食

世の中に寝るより楽はなかりけり

【読書感想】武田砂鉄 「紋切型社会  言葉で固まる現代を解きほぐす」

 こちらのブログは身辺雑記ということにしているので、読書感想文なんかもこちらで良いのかな、と思うので(誰に断ってんだろ)書くことにした。

<武田砂鉄著 「紋切型社会」 朝日出版社

 

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(ちゃんと自分で買いました)

 

2年ほど前にハフィントンポストに武田氏が寄稿した下記の記事を私のブログ(以前のココログ)で引用させて貰った。

「ちゃんとした子どもを作って国力増強!」と連呼する婚外子差別のメンタリティ | 武田砂鉄

このエントリーを題材とさせてもらい、私のブログとして初めてアクセス数を1000(少ないやん)を越えて、場末ブログの管理人としては大変驚いたという、いわくつき(というのも変かな)で、その時からずっと気になっているライターだ。余談だが、その時、はてなでブクマして貰ったということもあり現在に至ってたりする。


ところで関係ないけど、この人の出身大学をずっと「成蹊大」と空目していた。へえ、安倍晋三と同じなんだ、と思っていたのだが(他意はない)改めて読み返してみると「成城大」だったりするのだった(汗)、すんません。

 

それはともかく。
紋切型、つまり【言葉で固まる現代を解きほぐす】という副題が示すように、決まりきったやり方や言い方をする社会に対して、それでいいのかい、と問いかけるという。本人は『骨太な評論とも柔らかなエッセイでもない』と記述している。
全20章からなるこの本の中で私が一番面白かった章の一部を引用する。

 

(引用ここから)

■ ずっと好きだったんだぜ     語尾はコスプレである

 外国人の発言を邦訳した時に突如として表れる不可思議な語尾。それにまつわる違和感について、朝日新聞の連載「英語をたどってⅡ」(2014年9月8日)に鋭い指摘があった。例に挙げられているのは『アナと雪の女王』。

 記事によれば、吹き替え版では「~ました」や「~のです」となっている語尾が、劇場で販売されているパンフレットでは、「~のよ」や「~なの」と記載されているという。エルサは「誤解されているのよ」と言い、アナは「彼女はとても人間的なの」とパンフレット上で言い始める。鑑賞後、途端に二人が馴れ馴れしくなっているというわけ。
 なぜこのような語尾が使われるのかについて、翻訳家の戸田奈津子に尋ねるのだが、さすが映画字幕のオーソリティ、返答が痛快だ。
「書いている人はなーんにも考えてないでしょ。私だって昔そういう仕事をしたけれど、考えてなかった。そもそも英語に語尾なんてないんだから」

(引用ここまで)

 

外国のロックミュージシャンが「今回のアルバムは最高さ、きっと気に入ってくれると思うぜ、一緒にロックしようぜ!」という。その言葉も本当は「今回のアルバムは最高です。ファンの皆さんもきっと気に入っていただけると思います。今度のライブは一緒に盛り上がりましょう」という話だったとしても、それを翻訳する人が前述のようにロックスターらしく忖度するなんてこともあるだろうという。
このあと、斉藤和義のヒット曲「ずっと好きだった」*1のタイトルは「~だった」けど、歌詞の中では「好きだったんだぜ」と「~だぜ」を使って、今よりも若かったあの頃、その時の青臭い気持ちを「~だぜ」と表現しているなど、語尾によりその人の性格や印象がずいぶん変わってくる、という指摘は、この人の本領発揮と言えるかもしれない。

 

実は、この人のもっと鋭い切り口の社会批評を期待していた。いや「国益を損なうことになる」という章もありそれはそれで評価はするのだが。
豊富なボキャブラリーと鋭い考察はそのままなんだけど、著者初の単行本ということで、ご本人もいくぶん肩に力が入ったのではないかと、素人ながらそんな生意気な感想を抱いた。遠足を控えた小学生が前の晩にワクワクして寝られないというか(ちょっと大げさかな)、読者である私の期待値が高かったせいかもしれない。
ともあれ。
次回作にも、期待したい作家であることには違いない。

 

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

 

 

 

 

*1:脱原発ソングの「ずっとウソだった」も有名だけど