2015-09-02

母になった友達と接する時間がつらくなってきた

年齢的に赤ちゃんを産んだ友人が何人かいるので、顔を見せてもらいによく行くようになった。

 

個人的にいろいろあり、子供を産むくらいなら死にたいという考えがあるが、

それは人に理解してもらえるものではないし、子どもを持つ人を不愉快にさせるのではと怖くて誰にも言っていない。

人の赤ちゃんはかわいらしいなと思うし(育てる責任も負っていないしな……)

この産みにくい時代によくぞ産んでくれたなと思う。

 

実際に会いに行くと触らせてくれて、赤ちゃんにまつわるいろいろな話をされる。

自分で産むつもりがないのと周囲に子どもがいないせいで、予備知識がなく、初めて聞く話ばかり。

最初は未知の世界の話にわくわくした。

身近な、自分もそうされてきたことなのに全くの無知であることもあり、母たちの話を楽しく聞いた。

頑張ってスナイプしないと産みたい病院で産むのが超大変とか、赤ちゃんの成長の微妙な部分とか、夫の収入保育園補助金が……とか、

最近ベビーカーの高性能ぶりとか、山ほどある。

 

会うたびに前と顔が違う赤ちゃんの成長はすごい。

この裏に育てる両親の苦労がどれだけあるのかは、話を聞くだけでは想像もつかないすごい世界だ。

だけど何度も会ううちに、自分では産むつもりがないこちらとしては飽きてきた。

また以前のようにいろんな話をしたい。

でも、母たちはもうそれどころじゃないし、赤ちゃんから解放されて大人としゃべれるとき

ひたすら育児愚痴とかを言いたいのだ。それは当然のことだ。

わかってはいるが、よくわからないことをずっと聞くのはなかなか体力がいる。

 

こちらから話題提供をするにも、あちらは自分時間犠牲にして子供を育てている。

まり滅多な話はできない。

 

母になった友人たちが、またうちにおいでよ、赤ちゃん抱っこしにきてよとメールをくれる。

今、忙しいんだ、また連絡するねという返信ばかりするようになってしまった。

 

マタハラは男だけではなく、子どものいない女もする」みたいな話が頭をよぎる。

ハラスメント彼女たちにしているわけではないけれど、根っこが多分一緒のことなのだ。

結局、産まなければだめなんだということなんだろうと思う。

でも、産むくらいなら死にたい

社会的にも人類的にも、友人関係的にも、私は産廃なのだなあと痛感している。

 

 

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