タイトルのような質問に対し
「習慣化しましょう」
というのはダメな答えです。にもかかわらず、この種の質疑応答に終始している不思議なやりとりが、不思議なくらい説得力があるようなのです。
毎日「ブログ」を書くためにもっとも良い方法は、習慣化することです。
21日間、毎日続ければ、習慣化することは、科学的に証明されています。
このような文章を私は何度か目にしているのですが、「ブログ」のところを「ダイエット」にしても「英語の勉強」にしても、すべてダメなのは論を待たないでしょう。
続く文章はもはや「方法」でも何でもなくなっています。3日坊主という決まり文句に悩む人が、どうやったら21日間も続けられるのかが問題になっているのに、「それが方法だ」というのです。
もちろん21日続ければ習慣化されるという保証はありませんし、「科学的に証明」などもってのほかです。およそ「意志」がわずかでも抵触してきそうなことがらについて今のところいかなる科学も何一つ証明はできてないのです。
しかし「科学的証明」はこの際どうでも良い。やはりおかしいのは、続けたければ習慣化せよ、というインチキ方法論のほうです。これは「繰り返したければ繰り返しなさい」というのと同じことだからです。
シートベルトしなければキモチワルイのは結果である
「習慣化しましょう。シートベルトだって、最初は面倒だったのに、習慣化してしまえば、しないと気持ちが悪いでしょう?」という話を聞いたとき、真っ先に考えなければいけないことは、「どうやってキモチワルイと思うまで、繰り返しシートベルトがつけられたのか?」です。
ここでは行動心理学の用語に大きなヒントがひとつあります。
私たちが「習慣だ」と直感することを、行動心理学派は「学習行動」と名づけています。
つまり繰り返される行動は、「習慣になる」過程において「学習される」わけです。
シートベルトをつけるという行動を私たちは「学習した」わけですが、学習には動機づけが必須である、とたとえばB・F・スキナーのような人は考えました。
だから、ハトが青信号をつつけば、マメが出てくるのです。鳩は豆が大好きだから、というわけです。
ブログを毎日続けるなら、ブログを習慣化してしまえばいい、などというのには意味がありません。
ブログを毎日続けるなら、私は何が大好きなんだろう?と問わないといけない。その大好きなものを、ブログを書かなければ手に入らないようにする工夫は何だろうか?と自問する必要があるわけです。
もしそういう「装置」(これをスキナーボックスなどというのですが)を自分用に作ることができたら、こと「習慣化」に関する限り、天下を取ったも同然です。